2月7日早朝。熱に魘されながら見た夢。

 灰色の街を歩いている。
 霧にかすむ街並みの中、少し違和感を感じている。
 日本には違いないようなのだが、建物が見慣れているものと少々違うようだ。
 強いてあげれば、戦前の都心部に似ている。建造物はみな重厚かつ威圧的だ。
 大通りに面した十字路で、私は追いつく。
 霧の隙間から浮かび上がる山高帽にフロックコートの男。
 旧聞逍遙江藤新平である。
 彼が名乗ったわけではない。
 私が尋ねた覚えもない。
 だが、彼は間違いなく江藤新平だと解る。
 彼は40の若さで亡くなったが、初老の風格を漂わせている。
 江藤は通りを渡り始め、私も並んで歩を進める。
 歩みながら二人は何かを語り合った。
 内容は覚えていない。が、
 私は歩を止め、江藤は歩き続ける。
 私がひとこと、声を掛ける。
 江藤は振り返りもせず否といい、尚遠ざかる。
 私は呆然と見送る。
 これが永の別れなのだ。
 寂寥感が身を包み込む。今はそれが霧に化身したかのようだ。

 ここで、ふっと、気持ちが途切れ、自分を俯瞰する気分となる。
 そして、こう思う。
 なぜ、自分の夢に江藤新平が、と。



 目覚めの後は四肢のだるさと、関節の痛み。
 頭も朦朧としており、まだ熱が高い。
 動きにくい腕をやっとの思いで伸ばして枕もとの水を飲み干し、渇きを潤す。
 山高帽男の姿が眼前に蘇ってくる。
 
 江藤新平が、なぜ。
 と現世でも考え出す。

 自分と江藤新平の繋がりが見えない。
 旧聞逍遙かすかな手掛かりは島義勇の存在だ。
 北海道では島判官として知られ、北海道開拓の父と言われる男である。同じ佐賀藩出身で、親交が深く、共に佐賀の乱を起して捕らえられ、処刑された。
反乱を起そうとしている仲間を説得に行き、逆に首謀者となってしまったのも同じだ。
 ちょっと滑稽にも思えるエピソードだが、明治政府(大久保利通)の、乱を起さずとも関係者すべてを処断するという強硬な態度を知ると、逆に両名とも仲間を見捨てることができない深い情の持ち主で、それなら自分が政府に掛け合おうと代表格を買って出る正義感だったのではと思えてくる。

 江藤新平は初代司法卿である。磔の刑、晒首などの旧制を廃し、新制度を導入するなどした、近代司法の礎を築いた功労者である。
 その一方で、明治政府に隠然たる影響力を示していた実力者山縣有朋や井上馨の汚職を厳しく追及し、彼らを一時的に辞職に追い込むなど、法を厳格に執行しようとした。しかしこのことが山縣・井上を始めとする政府要人達の反発を買うこととなる。
 その江藤が反乱軍の首謀者として大久保に捕らえられ、近代法を無視されて旧法により晒首にされ、その姿が写真にも残されて広く配布されるという、悲劇を生むこととなってしまう。

 その人がなぜ私の夢を訪れたのか。足跡を紐解いても理解できるものではない。
 私の先祖は会津藩出身。同郷でもない。
 そもそも、ネットの写真を見て、この人が江藤新平か、と再認識した位なのに、
 夢ではなぜ彼が江藤新平と解っていたのか。
 夢は夢で、謎である。


 近年。無理を続けると、身体が強制的に休みを取ろうとして発熱し、倒れさせる。
考えてみれば年末年始といろいろあったが、まともに休みを取らなかった。
ああ、こんなことなら、しっかり休んでお気に入りの場所に行っとくんだった。