小学校から中学に上がり、新しい環境とちょっと大人なクラスメイトに途惑いながらも、皆と馴染もうと模索している、そんな時期、音楽の授業でコーラスをしたのが「花の街」。
 音楽の先生はちょっと髪が薄くなりつつあり、額のあたりがてらてら光っていた。町中で出会えばちょっと冴えないおっさんだよな。そう思っていた。
 しかし、彼がいざピアノの前に座り、唄い始めると、様相は一変した。その太く重厚な歌声は、教室内の隅々まで響き渡り、まるでオペラの一シーンに聞き入っているようで、自分は圧倒された。また、先生の弾くピアノも今思うと、教材通りの伴奏ではなく、彼なりにアレンジされ、よりドラマティックに装飾されたものとなっていたように思う。勢いに押された自分は、声変わりがまだだったため引っ込み思案となっていたにもかかわらず、知らぬ内に歌い始めていた。クラスメイトも多分自分と同じ気分だったのだろう。一歩引くようにしていた皆も揃って歌い始めていた。
 それから「花の街」の授業は2回ほど受けただろうか。最後は歌っている自分達が恍惚感を覚えるほどの出来栄えだった。コーラスの楽しみを初めて味わった瞬間だった。この時の歌をほかの教室で聞いていた教頭が「今日のコーラスは素晴らしかったねぇー。」とわざわざ言いに来た位だった。この時コンテストがあれば、間違いなく入賞したであろうと思える出来栄えだったろうと、今でも思えている。

 ラジオやテレビで「花の街」を聴くにつけ、あの、声変わりしていない自分がクラスメイトと心をひとつにして歌ったことを思い出す。音楽の先生、今はどうしているのだろう。自分はなんとなく、教師をやめて声楽家の道へ進んだのではないかとも思えるのだが、名前も覚えていない状況では、調べる術もない。


 …と思い出話はこれくらいにして。
 改めて「花の街」の歌詞を調べてみた。すると、2番までしか記憶になかったが、3番まであったことが判明。

花の街
 [江間章子作詞/團伊玖磨作曲]

七色の谷を越えて
流れて行く 風のリボン
輪になって 輪になって
かけていったよ
春よ春よと かけていったよ

美しい海を見たよ
あふれていた 花の街よ
輪になって 輪になって
踊っていたよ
春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で
泣いていたよ 街の角で
輪になって 輪になって
春の夕暮れ
ひとりさびしく ないていたよ


 
 3番まで読んで、首筋が痺れて冷たくなってしまった。

 これは、春を謳う歌ではない。死者を弔う唄だ。

 それも、戦争で亡くなった人が、魂だけとなり、風に乗ってふるさとへ帰ってきた、という唄だ。 
 
 発表されたのは、戦後まもない1947(昭和22)年。戦争という冬の時代を越えて、春はやって来たのだけれど、それにはたくさんの犠牲があった。その冬の時代の犠牲者(死者)への弔いと、平和への願いを込めた曲だったのだ。



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