
自分は当初YMOの良さを理解出来なかった男であります。写真は細野晴臣名義の「イエロー・マジック・オーケストラ」正真正銘のファースト・アルバム。これは当時ジャズやフュージョンを聴いていたA君が購入したものを借りて聴いたのが最初である。このアルバムを聴くまで、細野氏の「トロピカル・ダンディ」「泰安洋行」の傾向から、A君と自分は“かなり突飛なフュージョン・サウンドとなっているのに違いない”と踏んでいたのだが、正直その“突飛”さは想像を飛び越えていた。実は二人とも前作「はらいそ」を聞き漏らしており、それがこの悲劇?を生んだともいえよう。「はらいそ」を聴いていれば、もう少し想像の範囲を広げることが出来ていた事だろう。
ジャズ好きのA君は当然このエレクトリック・チャンキー・ミュージックを嫌い、渡辺香津美の「KYLYN」止まりとなったようだ。自分は自分で「なんだ、クラフトワークのオリエンタル風味ぢゃないか。」と即断してしまったため、後の一大YMOブームを想像出来ようがなかった。




まあそれはともかく、この後はYMO人気とともに誰でも知る存在となったことは今更自分が言うことでもないだろう。
さて、YMOに戻ろう。自分がYMOでピン!と来たのは「BGM」を聴いた時だ。
それまで細野氏が言うところの【エレクトリック・チャンキー・ミュージック】に馴染めずにいた。その面白さは認めてはいたものの、自分の中の[テクノ・サウンド]という価値基準からはほど遠いものに聞こえていたからである。それが「BGM」。特に「Loom」を聴いた時に「そうだったのか!」というヒラメキが頭を貫いた。そして、

ところが世間の評価では、「BGM」以降の売り上げがガタ落ち(とは言っても数十万枚単位で売れていた)で、「Yellow Magic Orchestra」「Solid State Survivor」「Public Pressure」に及ぶべくもなかった。
思うにYMOのすごかったところは、一大ムーヴメントとなった時のファンには、テクノはおろか、ロック、歌謡曲すら聴いたことがなかった人たちが、雷に当たってしまった如くにYMOの、テクノポップの熱烈なファンになってしまったことである。当時小学生のYMOコピー・バンドが登場するにも及んだのであるから…。
ただ、裾野が広がったということは、レベルの低い人たちも沢山入ったということでもあり、自分の知人にすごい猛者が居た。凱旋公演を「見に行った」ということだけで、「オレはYMO初期からのファンだ。」と豪語していたのだ。あの人気大爆発時のライヴに行ったことが彼の自慢なのだ。「オレの学校では自分の他に一人行っただけだ。」と言うのを聴くに及んで、その学校の他の出身者には大変失礼とは思いつつ「ずいぶんレベルの低い学校だよな。」と一人小さく呟いてもいた。だって先にも書いたとおり、凱旋公演時はものすごい人気で、テクノ・ミュージックを知らない人でもYMOの存在は知っており、ニュースや新聞、雑誌でも大々的に伝えられていたのだから。まあ、とまれ、彼の周囲だけ異次元スポットに埋没していたのかも知れない。

でも、彼だけではなく当時にわかテクノ・ファンの登場は後を絶たず、今日に至っている。彼らの「テクノ・ウンチク」を耐えながら聞くのは辛い。「そんなこと知ってるよ。」という話ばかりだからである。しかし、最後まで聞いて差し上げる。最期の一閃で相手をノックアウトするのが堪らなく好きだからである。こちらには後付ではない知識と経験があるのだからして。無知なオヤジだと侮っていると、返り討ちに遭うぞよ。

イエロー・マジック・オーケストラ(US版)/YMO

ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー/YMO

パブリック・プレッシャー/YMO

増殖/YMO

BGM/YMO

テクノデリック/YMO

アウトバーン/クラフトワーク

Radio-Activity/Kraftwerk

Trans-Europe Express/Kraftwerk

Die Mensch Maschine/Kraftwerk

Computer World/Kraftwerk

Electric Cafe/Kraftwerk
