
ただし、うろ覚えなことばかりなので正確性に欠ける部分もあるかと思うので、その折には、お許しを…
1965年「ゴー・ナウ」が全英ナンバーワン・ヒットして一躍有名となり、一時はビートルズのジョン・レノンもその存在に恐れをなしたと言われていた。そのせいかどうかは分からないが音楽的支柱だったギター&ヴォーカルのデニー・レーンとベーシストのクリント・ワーウィックが程なく脱退。デニー・レーンは後にポール・マッカートニーのウイングスに参加することとなる。このことから、デニー・レーン脱退はビートルズの陰謀だったのではという説があった。この脱退にムーディーズは新メンバー:ジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジの参加で音楽性を変化させ、結果、ビートルズのメンバーはほっと胸をなでおろしたとか。

それにつけても「ゴー・ナウ」は哀愁を帯びた名曲である。ただ一点、エンディングがおかしい。通常なら徐々にフェイド・アウトさせてゆくものが、大急ぎで断ち切ってエコーもぶっちぎり。という感じなのだ。この直後にレイ・トーマスが何かトチッたか?などと想像したものである。
前回ムーディーズはプログレぢゃない説を唱えたが、しかし、シンフォニック・ロックの先駆者ということは間違いないと思う。それは「Days Of Future Passed」がドヴォルザークの「新世界」交響曲のようなロック・アルバムを作るというのがコンセプトであり、当時ビートルズも為していなかった試みは成功している。ゆえにムーディーズはシンフォニック・ロックのパイオニアである。シンフォニック・ロックがプログレ中の1カテゴリーであるという意見もあろうけれど、ここではあえて分けることにする。理由は前回掲載のムーディーズ自身による「われわれはプログレではない」発言に由来する。

私の友人に「サテンの夜」はもとより、「Forever Afternoon (Tuesday?)」をカラオケで歌ったという人物がいる。私はカラオケをしに行かないので定かではない。が、もしこれがホントで、ドアーズの「音楽が終わったら」もカラオケにあったら、一度歌いに行ってみたいものである。
続く'68年の「In Search Of The Lost Chord」(邦題:失われたコードを求めて)
'69年「On The Threshold Of A Dream」 (邦題:夢幻)は上質なサイケデリク・ロックを展開している。そのサイケ度はピンク・フロイドのファーストと「神秘」、一連のドアーズやジミ・ヘン作品に勝るとも劣らない。80年代と90年代に『ネオ・サイケ』ブームがあったが、上記作品を聴いていたためか、いまいちノレなかった。幻のサイケバンド扱いされていた初代「ニルヴァーナ」(カート・コバーンではない)にはえらくがっかりさせられたものである。
’69年リリース「To Our Children's Children's Children」(邦題:子供たちの子供たちの子供たちへ)は先に述べた「A Question Of Balance」と同じくらい大好きなアルバムだ。グレアム・エッジ渾身のドラム・イントロが光る(というか、この曲だけ?みたいな)“CANDLE OF LIFE” 収録。作曲はジョン・ロッジ。「ロッジもやるぢゃあないか」と思わせた一曲。
'71年の「Every Good Boy Deserves Favour」(邦題:童夢)は売れに売れた。売れすぎてみんな持っていたから、(学祭で“THE STORY IN YOUR EYES”演ってるバンドすらあったし)あえて書かない。でも最後の曲“MY SONG”は泣かせる。さすがはピンダー。
'72年「Seventh Sojourn」は私にとってはムーディーズ実質的ラスト・アルバム。全体的に音質の向上が感じられる。おそらくだが、各メンバーの技術の向上により、オーバーダブの回数が減った為ではないだろうか。
'78年「Octave」(邦題:新世界の曙)は、分裂状態を続けていたムーディーズ久々のアルバムでピンダー師匠もクレジットされていたので、即購入。即落胆。かなり辛抱しなければ聴くべき曲なし。後日調べるとピンダー師匠はリリース前に脱退していたことがわかった。
この後、イエスで名をはせていたパトリック・モラーツの加入の噂を聞く。「おいおい。」と思いながらも購入はせず、レンタルで様子見したのが'81年「LONG DISTANCE VOYAGER」(邦題:ボイジャー~天海冥)。そこそこ頑張っているもののパトリック・モラーツ色はなく、がっかり。「Relayer」「i」での彼の力量はこんなモノではなかった筈。ここでは悪い意味でムーディーズの一員になってしまっていたのだろう。
この頃パトリック・モラーツの「俺はイギリスのビッグ・バンドの二つに加入した。あと残っているのはピンク・フロイドとツェッペリンだけだ。」発言があり、顰蹙を買った。パトリック・モラーツは若い頃「Main Horse」「Refugee」ですでにデビューしていたが、ほとんど見向きもされず、極貧生活を余儀なくされたという。その恨みがこの発言になったと囁かれた。
ツェッペリンのジミー・ペイジは「本当のプログレッシヴ・ロック・バンドはピンク・フロイドとムーディー・ブルースだけだ。」と発言したことがある。発言時期によって意味は大きく変わるのだが、その時期は覚えていない。
キング・クリムゾンを見いだしたのはムーディーズだという話がある。国内ツアーを行うにあたって前座バンドを捜していた彼らは「キング・クリムゾンはどうか?」という意見に基づき、キング・クリムゾンのギグを見に行ったグレアム・エッジは「こんな(すごい)バンドを前座にしたらえらいことになる(食われる)。」と思い、故にキング・クリムゾンとは接触しなかったという。
ムーディーズのマイク・ピンダーが初期に使用していたメロトロンがジェネシスに譲り渡されたというお話。あのフォックストロットの重厚なイントロが、ムーディーズなしには演奏されなかったかと思うと、少し楽しい。
ムーディーズのその後のアルバムはまともに聴いていない。ただ、MTVで“YOUR WILDEST DREAMS”のプロモを見て「ジャスティン、お前、いい年をしてまだそんな歌唄っているのか。」と愕然とした。若く見えてもジャスティンは'86年当時はもう40歳。若い男女の恋愛を再現したようなビデオに驚いた訳である。