ビデ倫(本ビデオ倫理協会)が強制捜査を受けたのはご存じだろう。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0708/23/news061.html

 要は性器部分をモザイク等でボカシて流通させるべきところをAV審査が不十分でボカシが薄すぎた、あるいはボカシを入れていないように見えるモザイクものの状態で流通させてしまったという容疑で、当局はなんとビックカメラなど量販店にまで踏み込んだ。

 噂は実は昨年からあった。事情通の人から聞いていたのだが、ビデ倫が昨年(‘06年)6月に ヘアを解禁、秋には新基準モザイクと銘打った薄消しものが大量に出回った。ビデ倫に所属しているメーカーは大手であり数も圧倒的に多いため、これに危機感を募らせていたインディーズ側が当局側にアピールしていたというのだ。
 だからこのニュースを聞いた時「やっぱりか」と余り驚きもしなかった。

 説明が遅くなったが、AV審査組織には大きく分けて二つの組織が存在する。ビデ倫とインディーズ・メーカー側である。(ちなみにインディーズ・メーカー側にも複数の審査組織がある。)
 そもそも同じAVに二つの基準がある=ダブル・スタンダード=というのがおかしなことであるが、雑誌や映画でもすでにヘア解禁されてから10年以上を経過しているにも拘わらず、ビデ倫では昨年まで解禁していなかったということ自体がおかしかったといえよう。

 昨年の新基準モザイク解禁は、未だにデカいモザイクのため顧客がビデ倫モノに見切りをつけ、インディーズ物を購入する例が増え、結果ビデ倫物の販売数が激減してきたため、これではいかんとインディーズ物並の基準に切り替えた、というのが真相だろう。
モザイク…

 しかし、ここでちょっと考えてみよう。
そもそもモザイクって必要なものなのか?ということだ。
 憲法では表現の自由と検閲の禁止をうたっている。しかし、残念ながらこの2項は守られていない。今回の事件のように明らかに国家が介入している。AVは“わいせつ”物であり、わいせつなものは国家が介入してでも規制しなければならないものらしいのである。

 では“わいせつ”とは何か。定義はこうである。
「いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」こと。
 非常にあいまいな表現である。何でこれが悪いのか。と考える人がいてもおかしくはない。

 今AV業界で規制されているのは事実上性器のみである。ということは、性器=“わいせつ”ということになる。露出された性器は “わいせつ物”であるから悪い。規制しなければならない。

 ここでもうひとつ疑問が浮上する。「“わいせつ”がなぜ悪いのか?」ということである。

  大島渚監督がまだまだ元気だった1976年『愛のコリーダ』の脚本・スチル写真を集めた単行本が告発された折に、「猥褻なぜ悪い」という論点で裁判を争った。1979年「猥褻に該当せず」と無罪判決を受けたものの「猥褻なぜ悪い」への判断は一切なされなかった。要は司法が逃げたのである。“わいせつ”を取り締まる基準が全く存在しないのだ。

 この『愛のコリーダ』の中で大島渚監督は“わいせつ”について非常に的確に語っているので引用してみたい。

【およそ、表現されたものはすべて「猥褻」ではないのだと。「猥褻」はむしろ、表現されざるもの、見えざるもの、かくされたもののなかにあるのではないか。
 そして、それらと対応する人間の心のなかにあるのだ。
 大胆に言えば、心の中にタブーを持つ人間ほど「猥褻」を感じるのである。子どもは何を見ても「猥褻」を感じたりはしない。
 何かを見たくてしかたがないくせに、心の中にタブーがあった自らそれを禁じている人間があえてそれを見ようとする時、「猥褻」が試される。
 その時、彼が見たかったものがすべて見せられたと感じる時、「猥褻」は消え、その心の中のタブーも消え、ひとつの解放がうまれる。
 見たかったものが十分には見られなかった時、心の中のタブーは消えず、したがって「猥褻」の感情は残り、更なる「猥褻」の感情がうまれる。
 ポルノ映画は、このように「猥褻」が試される場所である。
 とすれば、ポルノ映画の効用はあきらかである。ポルノ映画は即時全面的に解放すべきである。
 そのことだけが「猥褻」を実質的に空無化する道である。】

 いろいろ書くと長くなり過ぎるので、ここで結論を言おう。
 日本が国家として介入すべきことは、
AVを未成年に流通させないこと。
未成年を出演させないこと。
犯罪が実行されていたり、犯罪を助長させるような内容の物を作らせないこと。
 この3点を強力に規制し実行することこそ必要なのだ。

 解禁して良くなることがある。
 AV輸出による歳入の増加が見込めるのだ。いや、かなり有力な商材といえる。
 今現在のモザイクAVはたとえ細かいものであったとしても欧米では馬鹿にされて絶対売れない。それどころか、日本で作ったものが裏で逆輸入され、お金は海外へ流れていってしまっている。
 そもそも日本のAVは質が高い。モデルの質も高く、撮影機材も世界トップ水準。撮影・照明の技術も申し分なくなった(AV草創期の1980年代初期~90年代前半までは撮影・照明技術の未熟が見て取れる作品が多かったが、現在はその不安も払拭された)。
 その内容に於いても、欧米が内容をまねすることすら多くなってきているのである。
 また、これまでモザイクをかけるために課せられていた膨大な人件費・時間がなくなるので、その分を制作費と制作時間に流用でき、尚一層質の向上が見込まれる上にコスト削減もできる。
 世界一エッチな民族として公認されている(?)日本人。その日本人が作ったAVを輸出したら、必ず爆発的に売れる。間違いない。世界的にニーズが多いのはグーグル検索してみたら実感できるだろう。

 ただ、明らかに国民の権利が侵害されているというのに、強力な競争力をもつ輸出品を潜在的にあるというのに、政治的メリットがないからか、ポルノ解禁を叫んでくれる政治家が居ないのは寂しい。(まあ、ポルノ大臣。なんて言われそうな立場に身を置きたくないのは分からなくもないが…ヽ(;´Д`)ノ)最近は大島渚氏、丸谷才一氏、澁澤龍彦氏など、戦う元気な文化人が現れないのも非常に残念だ。

……………………付録 というか おまけ……………………

 ポルノ解禁で性犯罪が増えるのでは、という論点で批判する人たちがまだまだ多い様だが、欧米では1960年代後半から70年代前半までにポルノ解禁が行われており、この頃から性犯罪が減少しているというデータがあることは広く知られている。
 欧米との民族性の違いをあげる評論家もいるが、自分自身をも信用できない人の意見は聞けない。自分たちが欧米より劣った性モラルを持っていると言っているに等しいではないか。これは自虐史観である。
 それに、“いたずらに性欲を興奮又は刺激させ”られるのには、必ずしもその対象は性器ばかりではない。特定の衣服を着用していなければ発情しない人だっており、性的嗜好は多岐に渡っているのだ。これらをどう取り締まるというのか。裸に興奮する人の方がよっぽど正常ではないか。

 中には「モロ見え」作品が苦手な人もいる。そういう人々のためにソフトな作品やモザイク作品も制作したら解決する。(モザイク専門メーカーとかロマンポルノ復活とか…)
  
 問題なのは暴力的内容のもので、これについては、注意深く規制する必要があるようだ。レイプ魔的要素を秘めた人間は刺激で我慢できなくなり犯罪に及ぶケースがあるらしい(もちろん自制できない輩の数はごく一部なのだが)。

 最後に都市伝説をひとつ。消息筋の話である。警察が“わいせつ物”を大量に押収した翌日は捜査関係者が増えるという。
 所内で“捜査”に協力するのみならず、熱心な捜査官は自宅まで持参して“捜査”し、担当者が忘れる位長く“捜査”する場合もあるという。
 また押収物を廃棄する時は自分が廃棄すると、協力してくれる人が必ず現れるという。
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