クチコミネタ:受動喫煙、大丈夫ですか?
私は20年前に煙草を止めました。理由は受動喫煙に気を遣ったという訳ではなく、自分に喘息の気があったからです。酒好きなので、どちらかをやめようという思いもありました。その程度のものでした。
しかし、煙草を止めて感じたことは、料理の味がより明確になった(おいしく感じるようになった!)ことと、空気や衣服、物などに含まれる香りに敏感になったことです。特に自分の服に染みこんだ煙草の臭いは少しついただけでも嫌で仕様がなくなってしまいました。
先日10名の仲間と仕事を兼ねた旅行を2週間程してきました。10名中喫煙者が7名居て、自動車の中でも、部屋の中でも受動喫煙状態となり、難儀したのですが、一番困ったのは食事時。自分の食事が終わると、隣で食事中の人が居るのにも構わずいきなりスパスパ。これが7名ほとんど全員なんです。
これにはさすがに参りました。離れて喫ってくれるよう頼みましたが、締め切られた部屋(食堂や喫茶室)の環境はほとんど変わりません。おかげで私にとって大変まずい食事となりました。
翌日からはややうち解けて来たこともあり、せめて食事中は遠慮してほしい旨を伝えることができ、喫煙者も気を遣ってくれるようにはなりましたが、それでも私と一緒に居る時に全面禁煙ということにもならず、こちらからもそこまでは言えなかったので、結局非喫煙者が我慢しなければならない状況でした。
おかげさまで旅の後半からは軽く喘息の発作が出始め、それは今も続いています。
喫煙者の周囲への配慮について、最近私は悲観的です。さすがに社会的に禁煙ゾーンは増えてきており、禁煙キャンペーンなどもあって禁煙者は増えてきているように感じます。これは大変よいことだと思います。しかし、私はこうも考えてしまうのです。
「もしかしたら、心ある喫煙者はすでに禁煙を始めているのではないか。無神経な人たちが残ってしまっているのではないか。」と。
もちろん大変気を遣いながら喫煙している人たちが多いことも知っています。しかし、自分の家から一歩外へでると、配慮のない喫煙者に出くわすことの方が非常に多いのです。
日頃から私は身近な人から禁煙を勧めるようにしています。本数を減らしたり、中には完全に禁煙してしまう人もいますが、私の姉のように「死んでも煙草は絶対やめん!」という剛の者もいます。当然人には煙草を喫う権利もある訳ですから、喫う者と喫わない者の共存はこれからも続く訳です。ただ、喫煙者は、「自分の煙草が他人の健康に害を及ぼしている。」という自覚を常に持っていて欲しい思うのです。
しかし、煙草を止めて感じたことは、料理の味がより明確になった(おいしく感じるようになった!)ことと、空気や衣服、物などに含まれる香りに敏感になったことです。特に自分の服に染みこんだ煙草の臭いは少しついただけでも嫌で仕様がなくなってしまいました。
先日10名の仲間と仕事を兼ねた旅行を2週間程してきました。10名中喫煙者が7名居て、自動車の中でも、部屋の中でも受動喫煙状態となり、難儀したのですが、一番困ったのは食事時。自分の食事が終わると、隣で食事中の人が居るのにも構わずいきなりスパスパ。これが7名ほとんど全員なんです。
これにはさすがに参りました。離れて喫ってくれるよう頼みましたが、締め切られた部屋(食堂や喫茶室)の環境はほとんど変わりません。おかげで私にとって大変まずい食事となりました。
翌日からはややうち解けて来たこともあり、せめて食事中は遠慮してほしい旨を伝えることができ、喫煙者も気を遣ってくれるようにはなりましたが、それでも私と一緒に居る時に全面禁煙ということにもならず、こちらからもそこまでは言えなかったので、結局非喫煙者が我慢しなければならない状況でした。
おかげさまで旅の後半からは軽く喘息の発作が出始め、それは今も続いています。
喫煙者の周囲への配慮について、最近私は悲観的です。さすがに社会的に禁煙ゾーンは増えてきており、禁煙キャンペーンなどもあって禁煙者は増えてきているように感じます。これは大変よいことだと思います。しかし、私はこうも考えてしまうのです。
「もしかしたら、心ある喫煙者はすでに禁煙を始めているのではないか。無神経な人たちが残ってしまっているのではないか。」と。
もちろん大変気を遣いながら喫煙している人たちが多いことも知っています。しかし、自分の家から一歩外へでると、配慮のない喫煙者に出くわすことの方が非常に多いのです。
日頃から私は身近な人から禁煙を勧めるようにしています。本数を減らしたり、中には完全に禁煙してしまう人もいますが、私の姉のように「死んでも煙草は絶対やめん!」という剛の者もいます。当然人には煙草を喫う権利もある訳ですから、喫う者と喫わない者の共存はこれからも続く訳です。ただ、喫煙者は、「自分の煙草が他人の健康に害を及ぼしている。」という自覚を常に持っていて欲しい思うのです。