伎楽俑

 一見、陽気に踊る姿のように見えた。が、よく見ると、踊る二人の他に笛、太鼓、打楽器、弦楽器を演奏する者達もいるが、誰も笑っていない。目を伏せ、唇を堅く結んで"黙々と"演奏し、舞っている。お墓の副葬品として埋められたものだからだろうか、主人の死を嘆き悲しみながら、それに耐えて、踊り、演奏しているように、私には見える。


灰陶彩絵 伎楽俑 7点(写真では2点のみ)

 唐時代 高18-24cm 1976年河南省洛陽市□(亡におおざと)山徐村出土
河南省洛陽市文物工作隊蔵
 舞人俑は双環の髻(たぶさ)を結い,丸首,長い袖の衣に,長い裳を着ける。身体を左に軽く曲げ,右手を高く上げ,左手を下に振る。ポーズはのびやかで美しい。
 楽人俑は坐する姿。方座がある。こちらも双髻を結い,上に丸首・短い袖の衣,下に長い裳をはき,演奏する形に作る.
▲洛陽市龍門唐安菩夫婦墓:1981年,
 洛陽市文物隊は,唐の定遠将軍安菩とその妻何氏が景龍3年(709年)に合葬された墓を建設工事に伴なって発掘した。
 墓から出土した三彩の器物は,胎質が硬く,釉はむらなく,光沢があり,色鮮やかで,造形は生き生きと動きがあり,装飾は華麗で,芸術的価値が高い。豊富な種類は洛陽の「唐三彩」の代表作と言い得る。それらは洛陽の「唐三彩」芸術が唐の中宗景龍年間(707年~710年)以前に早くも成熟していたことを示している。

(1986年 黄河文明展図録より)



注)唐(とう、から>618年 - 907年は、中国の王朝"高祖 (唐)"李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、<朝鮮半島や渤海、日本などに政制・文化等の面で多大な影響を与えた。