金沢発、輪島行きローカル線は、

まだ薄暗い5時頃に出発したと思う。

二両編成のディーゼル列車。

始発からの乗客は少なく、わずかばかりの観光客と、行商のおばちゃん達が数組程度だ。


いよいよ、列車は本州から離れ、半島の奥へと北へ進んでいくのだ。


僻地とか、辺境とか、ローカルとか、

中心地から外れ具合のいろんな言葉があるけど、

以前から、ブログに書いてるように、

実は、どこに居ようと、ローカルであり、

僻地であり、辺境そのものなのだ。

寝床は、億しょんの最上階であれ、

パーフェクトデイズの主人公の、安アパートであれ、

窓辺にもたれて、眺める景色は、

やはり、自身のものなのでなく、辺境にあり、辺境の眺めに過ぎないのだ。

しつらえにしたところで、ベッドと布団の好みぐらいで、電気のヒモをカチリとやれば、   それぞれの瞼の裏のことなのだ。


映画、パーフェクトデイズでは、

彼の起床から始まる、日常の様子( 情景と音、そして、鳴らす音楽 )世界と、

休憩、昼食時の ベンチに座って眺め仰ぐ、公園の木々の木漏れ日の揺らぎの映像、

そして、あと一つ、ベンチの上であれ、

アパートの寝床であれ、主人公の瞼の内側の映像が流れるのだ。

モノクロで、とりとめなく、ノイジーな映像は、記憶と、想いが交錯した、

主人公の 現在・いま そのものの映像なのだ。


みんな そうだろ!

みんな 一緒だろ!

映画の作り手は、そう語りかけているのだ。


またしても、この言葉を書くけれど、

みんな 死ぬまで自分をやめられないのだ。


みんな、それぞれの自身の映画を生きて、

その おりおりの、

おりおりの 映像と 人間・ひとの声や、言葉を・意味・に変えて、自身の  現在・いまだと、思い気づく間もなく、

追われ、流され、押し出され、

目を閉じ、また 薄目開けながら、

日々を 演じてるだけなのだ。


映画、ラストの数分は、

主人公のそんな、内側の台詞のない、

リアルな [ 縁起 ] が


( あなたも一緒でしょ!)


って、教えてくれる 数少ない映画なのだ。


能登半島 列車のスタートは、

忘れるくらいの

[ ガタン                      ゴ          トン     ]

で ホームを離れて出発しました。

決して、 [ 間 ] が空いても、脱線ではありません。


あしからず。