今日、2月16日は、健さんの誕生日。

生きてられたら、いくつなんて、考えない。

でも、自分が五十代とかになったことに気付き、「 駅 station 」の健さんの年齢になったときは、なんだか、自分がみっとも恥ずかし、小さく思えた。


自分なんて、世界で1番 見られない ヒト。

たまにときどき、自分の手の甲のシワや、シミを眺め、( そういうことだよな・・)

トシソウオウ か・・


そしたら、またまた、健さんのエピソードが甦る。

映画撮影で、手を撮るシーンがあり、

その時、監督が 手専門の俳優で行こうとして、 すかさず、健さんが、

「 監督! すみませんが 汚い手ですが、自分の手を使ってください!」


まさしく、健さんである。

映画の健さんも、役者の健さんも重なれど、ずれることはないのだ。


そんな、五十猶予年、健さんを慕い続け、

健さんの 映画( 当時は、東映ヤクザ映画)

を、目を丸くして見てたのだ。

小学校の三年生くらいの頃、友達に熱く健さんのこと、伝えるのだけど、

誰一人、健さんを知るものはない。

四年生くらいだったか、アサヒビールのテレビコマーシャルに突然現れた時の、興奮は、いまだに忘れられない!


同じ、四年生くらいに、初めて聞いた言葉、

「 バレンタインデー 」

( 女の子が好きな男の子に、チョコレートを送って告白してもいい日なんで!!!)


多分、その情報を 初めて学校で耳にした時、  その時の僕の 顔・・

まるで、今の自分とおんなじ顔だろうな。

まるで、どうでもいいかのように、

無関心な表情して、

ふかぁ~く 胸にしまってたんだろうな。


僕は、僕なんだな。


時は流れて、二十歳過ぎに、また新しい言葉を耳にする。


「 義理チョコ 」


テレビで聞いたかもしれない。


なんとも、納まりがワルい!


義理とは、いったい何だ?

チョコを渡すのに、なんで 「 義理?」なんだ?  

すでに二十歳過ぎの僕は、老成の道を歩んでたんだろうな。


健さんのやくざ映画を観られた方、

健さんファンであっても、少ないんだろうな。


健さんは、そこから始まり、ちゃんとそのルーツを俳優として、健さんとして、

活きて、つながってるんだ。

もちろん、僕のなかの 健さんはそうなのだ。


健さんの 東映時代の代表的な 映画の

名シーンを描きます。


「 昭和残侠伝 」


健さん: 

「親分さんに 恨み辛みはございませんが、

渡世の義理で お命いただきに参りました。」


鶴田浩二:

「ご丁寧お言葉、お心持ちは、大抵汲み取りましてござんす。

勝負は、時の運、

切るも因果、切られるも因果、

どっちが倒れても、この場限りにしておくんなさい。」


健さん:

「ご念のいったお言葉、おそれいります。」


静かに、長ドス抜いて、二人は決闘をはじめる・・



「 渡世の義理で ・・」


この言葉の 重さを感じて欲しい。