前々回のオイラの「元気になる方法」って記事ですが

ポジティブが良い、ネガティブが悪い、とかそんなことを言ってるんじゃないんです。


そんなの究極、こういってはなんですが、「どうだっていいノデス」。


結局、自分が向かいたい目標に進めるなら、ネガティブだって一向に良いわけです。

朝起きて鏡に向かって歯をニーっと出して、「イエス!」って言ってればいいかって言えば全然そんなことはナイんです。


オイラは相当にネガティブです。


ひっそりしてるのが好きで、高校のときはよく早退して、千代田区の千鳥ガ淵の見える図書館で一人本を読んでるのが好きでした。


大学では、先輩たちにお茶しに行こうと誘われても「家でテレビ見てるほうが楽しいから行かない!」とか言ってさっさと家に帰ってました。


そのころからの口癖が「できな~い」、「やりたくな~い」、「もう、やめる~」です。(今でもです。笑)


でもこれを口にすることで、結局、続くんです。「やだーやだー」と言いながらやってるほうが継続できるってことを自分で知ってるんです。

(小学校の夏休み最後の日のようなもんです。泣きながら「もー、できないよーー」とか言いながらドリルをやって明け方になんとか間に合う、みたいな。)


「自分はデキるんだ!」、「がんばるんだ!」とか言ってると息切れしちゃうの自分で知ってるから

ぐずぐず言いながら、ぐずぐずやってるほうが、自分にあってるんです。そのほうが動けるし、進む。


社会主義国家じゃないんだから、こうせねばならない!こうあらねばならない!ってことは1つもナイんです。


自分が変わりたいなら、変わるよう努力すればいいし。

進化したいなら、進化するよう1つ1つ進んでいけばいいし。

メンターを見つけたいなら見つければいいし。


だれもあなたに変わりなさい!と強要してるわけじゃないでしょ?

自分がやりたければやればいいし、やりたくない、辛い、今のままがラク、っていうんなら今のままでいいんです。



だって誰の人生でもないあなたの人生なんだもの。


自分の時間、自分のからだ、自分の心、自分の生涯。

誰のものでもナイんです。

親のいいなりになるのも自分の選択。

社会のせいにして生きるもの自分の選択。


ようは、好きにしていいんです!それが許される現代、国家に生まれたんだから。


微々たるお金のために媚びへつらって生きるのがあなたらしいのか?

グチを言ってるだけで何もしないのがあなたらしいのか?


それは、あなたにしかわからないこと。


でも、

もっと良い人生を生きたい、私という人間をもっともっと高めたい!

そうおもうなら

なんでもやったらええねんで。


一人で動けない、苦しいっ、ヘルプミーって感じになったら

オイラでよければ、背中をちょんって押してさしあげましょう。