「良いイノシシの肉が入ったので」
とお肉をいただいた。
オイラは基本的に家での自分の食事ではお肉料理を食べない。
(クロのためのお肉は切ったり、煮たり、焼いたりしますが。)
(そして、外食ではお肉を食べるようになりましたが。)
猟師さんが撃って、すぐにさばいて冷凍したものらしい。
新鮮なうえに、更に良い部分をと、分けてくださった。
では、と、ありがたくいただき、いのしし鍋(ぼたん鍋と言うらしい)を作った。
まな板の上に丁寧に乗せて、丁寧に丁寧に切っていった。
ちなみに、オイラはどうもあの肉切りバサミというものがキライだ。
あれは神聖さに欠ける。
命を「肉のかたまり」としか見てないもののやる行為だ。
命を頂くという神聖なる儀式にはやはり、まな板にのせて包丁で切るべき、だと思う。
はじめて見た。イノシシの肉。
野生の肉とは、なんと、神聖なのだろう。
肉の1部にカレ(猪)そのものを見ることができる。
神を感じる、とでもいうのだろうか。
血もきれいで臭くなく。
肉もとてもしまっている。
しっかり動いて、たくましく生きていたであろう痕跡が筋肉に伺える。
脂肪もしっかりついていて、
これから子供を作るうえで必要なものを蓄えていた矢先の出来事だったのだろう。
心臓が痛む。
食す。
臭みが一切なく、甘みがとてもある。
森の中の季節季節の新鮮なものだけを食べて生きてきたのが実感できる。
命をいただくとは、こんなにも感謝が沸き起こるものなのだなー。
ありがとう、と心に思いながら、カレのエネルギーを体に取り入れる。
昔の人は、その動物の力強さ、雄々しさ、戦闘力などを
食すことや皮をかぶることで体内に取り込もうとしていた。
それは今食べてみてわかったことだが、正しい行為だと思う。
サバイバルな中での生活、孤独、ユーモラス、エネルギッシュさ、強さと静けさ、そういうものを
思い込みかもしれないが、食したその瞬間に感じた。
家畜という生き物と野生という生き物。
こんなにも、感じとれるもの、人に与える影響、エネルギーの質が違うものなのか。
ありがとう
いただきます
が本当に自然と口から出てしまうほどに。
今朝もまだ、躍動した感じが残る。オイラの一部分は確実にあのイノシシにより生かされているのを実感する。