連綿と、連綿と続く |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

昨日、姪っ子が娘を出産しました。

あぁ、言葉にしてしまうと
たったの一行で終わってしまうのね〜。

家族が増えた
ただ、それだけのことなんですけど。

陣痛がおきる少し前に
姪っ子は高熱を出したようで
妊婦さんに薬は使えないということで
葛根湯を出されたそうで
そしてこのコロナ禍の中、
付き添いも許されず
ひとりで丸一日、
高熱の中がんばって
(最終的には夫の付き添いが許可されたみたいですが)
翌日の夕方近くに
ようやく、無事に女の子が生まれました。

女性のみなさんの中には
「いやいや、私はもっと大変だったよ」
という人もいらっしゃるだろうし、
「出産ってそういうもんだよ」
という方もいるのかもしれない。

でも、私は子どもを産んだことがないもんだから、
出産ということに
ものすごく、
ものすごぉく
一代事業というか、
一世一代の大仕事というか、
そういう偉大なこととしての尊敬の気持ちを
持ってしまうのです。
すごいことだと思うのです。

その出産だけでも大変だと思うのに
今回は高熱の中での出産で
(今は平熱になったようですが
ずっと高熱の中で出産したそうです)
そんな状態が丸一日続いたのかと思うと
なにもしてあげられないけど
ハラハラドキドキのし通しでした。



「出産って命がけなんだなぁ
っていうことが、よくわかったよ」
先ほど姪っ子からメールが来ました。

さらっと書いてるけど
実感がこもっています😄

今回、姪っ子が臨月を迎えた頃
あたりまえなんだけど不思議な感慨
というものを感じていました。

私の両親は、孫たちのことが大好きで
その孫たちが大きくなっていくのを
ずっと見守っていたいから長生きをしたい
と、そう思っていたんです。

その両親は孫たちが小さい頃に
亡くなっているので
姪っ子が社会人になり
結婚をしたのを知りません。
こうやって子どもが生まれたことも知りません。

私は親を知っている。
私は姪っ子を知っている。
私は姪っ子の娘にもそのうち会える。
でも私の親たちがこの生まれてきた娘を
見ることもが抱くこともできないのだよなぁ。
という、これはあたりまえのことなんだけど、
だけどそのことがなんだかとても不思議なんです。

こんなに近しくて大事な人たちなのに、
その片方は亡くなっていて
片方は生まれてきた。

あたりまえなんだけど不思議なこと。

こういうことが、
ずっと
連綿と
連綿と続いていく。

これが歴史というものなのでしょう。

私の家族の家系図の中に
新しく、娘が加わりました。

お誕生日、おめでとう🎊㊗️