ひめゆり平和祈念資料館です。
今回、二度目に訪れてみて、
「私がここに来たいのは、
オバちゃんの話をききたいからなんだ」
ということがわかりました。
オバちゃんというのは
ひめゆり学徒隊で生き残った方々のこと。
〈どこかの誰かの身に起こった悲惨な出来事〉
ではなくて、
〈実名のある生身の特定の誰かの人生〉
そのお話をききたいのです。
大田實少将という実在のヒトに会いに行く
ルリコさんや、みよこさんという、
そこに確かに生きていたヒトに会いに行く
私はそれをしたいのだと、
自分の気持ちがわかりました。
ひめゆり平和祈念資料館では、
生き残ったひめゆり学徒隊の方々の証言が
テレビ画面やスクリーンで流れてきます。
このように一人一人の顔写真を展示することによって、
彼女たちが生きていた、この世に存在した人たちなのだ
ということが、より伝わってくるのです。
以前は語り部となられた方のお話を
直接きくことができたのだそうです。
ところがみなさん、高齢になられたために
こうして録画でのみ、話がきけるのだということです。
戦後70年となって、ご存命の方は9名。
どうかこの歴史的事実が、風化していきませんように。
それでは、女子高生のオバちゃんの話。
「死を覚悟した時、◯◯さんが、
『お母さんに会ってから死にたい』
と言いました」
「親友の◯◯さんは、肩に爆撃を受け、
血がドクドクと流れました」
「大怪我をして寝ていた〇〇さんが、『ふるさと』の歌を歌い出しました」
◯◯さん、のところはすべて実名です。
生きていたヒトの証が、実名に込められています。
私はテレビ画面の前に立ったまま、
ひめゆり学徒隊にいたという方の話を
一言一言、うなずきながらきいていました。
目の前にいるオバちゃんから、
話を聞いているかのように
真剣に真剣にききました。
「蛆が大量にわいてしまうとね、
そのうごめく音が聞こえるんですよ。
私はいまだにその音が耳から離れないんです。
顔にケガをした兵隊さんには、
口から耳にかけてたくさんの蛆が湧いていました。
でも、とってあげるピンセットすらないんです。
こんなね(といって、一枚の葉っぱを拾って)
葉の茎のようなところを使って、
一匹ずつとってあげるのですけど、
きりがないんですよ。
その兵隊さんだけに
ついていてあげることもできないですしね」
というお話や、
「美人さんだった◯◯さんは、
爆弾の破片で顔に傷ができてしまって、
そのことを大変気にやんでおりました。
それなのに、次の爆撃で、
頭の後ろをえぐられてしまって亡くなりました」
というお話など、一つ一つのエピソードに
胸が締め付けられる思いがします。
16、17、18歳の女子高生たちです。
その女子高生たちが、
蛆を払い、
砲弾が降り注ぐ中を、飯桶を持って走りまわり、
手術で切断した手足を処理するという役目をにない、
兵隊たちに文句を言われ、
不眠不休で働いたのでした。