三方ヶ原の戦いゆかりの地に色々いってきました。
先ずは、三方原古戦場跡
三方原古戦場跡は、三方原墓園の脇に有ります。
石彫りの文、ちょっと読めませんでした。
三方原古戦場跡、で残っているのはこれだけみたいです。
石碑と説明看板が有るだけですが、この辺はかなり広い平野だった事は分かりました。
つづいて、
中々細かく出来ています。
三方ヶ原出撃,敗走のジオラマ 模造刀 略歴
反撃、直正との出会い、等ジオラマ 洋時計複製 徳川16将図
引手 頭
家康浜松入城 ジオラマ
双盤(そうばん):真鍮製
家康公兜前立勝軍地蔵尊
家康公が17歳の初陣の時より、戦場に臨む際には必ず仏体一躯を甲冑に奉安して陣中守護神としたと伝えられているそうです。
宗円堂の瓦,天井絵
ビデオ上映
犀ヶ崖資料館は、展示はジオラマがメインになりますが、無料で利用出来ました。
無料の駐車場も有ります。
資料館を出て
すぐ前に有る 犀ヶ崖古戦場へ
犀ヶ崖の南側と資料館が、小さな公園になっています。
家康公お手植えの楠
お地蔵様
三方原古戦場犀ヶ崖 の石碑
道路側に有る、史跡犀ヶ崖の石碑と説明書き
道路の橋から見下ろしたところ、
犀ヶ崖は三方原台地の水蝕によって亀裂陥没した断崖で、三方ヶ原の戦いで敗走し曳馬城跡に引き上げた徳川軍が、夜近くに居た武田軍を急襲、この崖に追い落としたと言う場所です。
ここが、三方原で負けた後で反撃した所かとは思えるのですが、上から谷を見るだけだし、木の枝が邪魔で良く見えません。
見えてもコンクリートで固められた斜面と舗装された道路が有るだけではあります。
犀ヶ崖古戦場の近くに有る灯篭と石碑
犀ヶ崖古戦場から30mくらい北の所にある、夏目次郎左衛門吉信旌忠碑
夏目次郎左衛門吉信旌忠は三方ヶ原の戦いで敗走した時家康の身代わりとなって討ち死にしたと言われています。
大きな石碑です。
夏目次郎左衛門吉信旌忠碑説明書き
最後に、曳馬(引間)城跡に行ってみます。
引間城は浜松城の前身で、城郭が西に拡張され本丸が作られた事で、城郭の一部となった場所です。
浜松城公園から幹線道路と駐車場を挟んだ向かいにあり、現在は東照宮が建っています。
三方原の戦いの時は、引間城の北口にあたる玄黙口へ撤退しているので、まだこの引間城(名前は浜松城に変わっている)が主郭だったようです。
自分も、何度か浜松城には来ていましたが、引間城には来ていませんでした。
家康公住居跡 と 引間城御城印所
曳馬城跡(東照宮)入口
入った所
手洗い場に有る元城東照宮説明書き
石碑
拝殿
お参りさせていただきます。
拝殿横の家康公像と秀吉公像
若き日の家康・秀吉と引間城 説明書き
城址としても見てみましょう
拝殿の右(東側)です。
拝殿の裏(北側)です。
終戦直後建てられた証の台座
拝殿の東側
何処までが当時の姿かわかりませんが、一応城址だった感じはします。
以上、三方原古戦場跡,犀ヶ崖古戦場跡と資料館,夏目次郎左衛門吉信旌忠碑,曳馬(引間)城跡と、
三方ヶ原の戦いゆかりの地を巡る旅でした。
それでは~