武田氏館跡(躑躅が崎館跡)武田神社 | ガレージ ペスカ

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甲府城跡に行った後、、武田氏館跡(躑躅が崎館跡)にある武田神社にも来ました。

 
 
 
武田氏館は、信虎,信玄,勝頼 の武田氏三代にわたり、居城となった館です。
 
 
 
 
掘りで囲まれていて、橋を渡って入ります。
 
 
 
武田氏館跡説明書き
 
 
 
史跡武田氏館跡の石碑と石垣
 
 
 
主郭土塁の説明
 
 
 
中に進みます。
 
 
 
手水舎
 
 
 
武田家の家紋「四つ割菱」があしらわれています。
 
 
 
灯篭にも、四つ割菱が、
 
 
 
拝殿
 
 
 
武田神社は1919(大正8)年に創建されたようです。
 
 
 
 
お祈りさせていただきました。
 
 
 
拝殿の横には、四つ割菱が描かれた大きな盃がありました。
 
 
 
奥に有るのは本殿でしょうか?
 
 
 
 
拝殿から少し離れた所に有る、甲陽武能殿
 
 
 
舞台のようになっています。
 
 
 
能楽を始め神楽また演武といった芸能が未来永刧演じられる事を願い命名されたそうです。
 
 
 
 
武田水琴窟
 
 
 
 
竹筒に耳を近づけると、「キンッ」とかん高い音がします。
 
 
 
 
 
姫の井戸
 
信玄公ご息女誕生の際、産湯に使用されたそうです。
 
 
 
社務所
 
 
 
 菱和殿
 
お祓いをする為の施設だそうです。
 
 
 
神社の西側に行くと、石垣と土塁がありました。
 
 
 
堀が有り、区切られていたようです。
 
 
 
 
躑躅が崎館跡(武田氏館跡)説明書き
 
 
 
堀の跡
 
 
 
西曲輪跡
 
 
西曲輪跡北側
 
 
 
西曲輪跡北側の土塁
 
 
 
 
石垣、西曲輪北側枡形虎口北門跡の一部だと思われます。
 
 
 
 
虎口の中
 
 
 
虎口の北の外側
 
 
 
西曲輪北側枡形虎口北門跡
 
 
 
堀の跡
 
 
 
北曲輪があった場所、馬出等有ったようですが、遺構は無くなり発掘調査がされているようです。
 
 
 
北曲輪を東側に進みます。
 
 
 
 
堀の向こうに石垣の跡が見られます。
 
おそらくここが天守台跡かと思われます。
 
 
 
西曲輪まで戻り、天守台跡を見ます。
 
 
 
大分崩れているようです。
 
 
 
 
西曲輪の南側の門
 
 
 
虎口の跡が残っています。
 
 
 

西曲輪跡の南側堀の掛かる、みその橋

 
 
 
主郭と西曲輪を隔てていた堀
 
 
 
 
西南西から見たみその橋
 
 
 
西曲輪跡の道路を挟んで南側にある、西曲輪南馬出・馬埋葬跡
 
 
これで、武田氏館跡(躑躅が崎館跡)武田神社については以上です。
 
天守台等は、江戸時代に作られたようですが、館跡とはいえほぼ城ですね。
 
 
この後近くに有る、甲府市武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)にも行ったので、また記事にします。
 
 
 
それでは~