静岡県掛川市に有る、高天神城跡に行ってきました。
武田の山城です、案内図が簡略化され過ぎて一寸分かりにくいです。
道が一本通行止めになっているので、若干遠回りする必要があります。
それほど大きな規模では無いのですが、結構勾配が有り、全部回るには最低1時間は掛かります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220423/21/pescatora-01/e7/43/j/o1080081015107219266.jpg?caw=800)
高天天神城は、もともと徳川の山城でしたが、武田の駿河進行の際奪われ、その後徳川側は
横須賀城を築き奪還戦をした城です。
駐車場の近くに有るトイレ、時代風になっています。
高天神城想像図、鳥瞰図では無く想像図なのでわかってない事も多いのかもしれません。
高天神城案内図
それでは入っていきます。
高天神城跡の杭
高天神追手門跡杉
追手門跡
説明書きの文章が、本田忠勝がここで死んだみたいに読めるけど、本田忠勝は関ケ原以降まで生き残るのだが・・・・
QRコードが有りました。
サイトにアクセスすると、追手門の情報が見れました。
着倒櫓跡
道が一本通行止めになっていました。
←三の丸 本丸→
本丸、高天神城の杭や石板が有ります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220423/21/pescatora-01/4a/69/j/o1080081015107220575.jpg?caw=800)
御前曲輪跡と顔出しパネル、そして天守台の復元
三の丸跡はこの向こう側に有ります。
端から本丸を見た所
奥に進むと、松幹化石
本丸北西側
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220423/21/pescatora-01/47/af/j/o1080081015107220637.jpg?caw=800)
本丸跡の杭
QRコード
本丸に有る、土塁と建物跡の説明がみれます。
東西に分かれてH型に似た構造の高天神城、
Hの真ん中付近の有る略図と攻防砦図です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220423/21/pescatora-01/3f/f2/j/o1080081015107222170.jpg?caw=800)
同じ所に有る案内図
西側、高天神社の方に向かいます。
高天神歌石碑 石板
狛犬が有りました、ここから境内かと思われます。
かな井戸 井戸曲輪跡 です。
井戸を覗いてみました。
由来、半分消えてて読めませんでした。
鳥居をくぐって、階段を登ります。
階段途中、西の丸跡 の杭
高天神社本殿
ここから更に南西(方角的には真南)に向かいます。
峰に堀切りが有りました。
堀切、武田ッポイ作りです。
西側の南端にある、馬場平に出ます。
ここが馬場平です。
この先、まだ甚五郎の抜け道がつづくようですが、城跡としてはここまでなので引き返す事にします。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220423/21/pescatora-01/f8/ee/j/o1080081015107223090.jpg?caw=800)
馬場平からの景色、
高天神城、元々徳川の城ですが、武田占領時に手を入れたのか、武田の山城を思わせる作りにもまっていました。
つづいて、
馬伏塚城跡(マムシヅカジョウセキ)にも行ってきました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220423/21/pescatora-01/24/29/j/o1080081015107223101.jpg?caw=800)
駿河今川氏の重臣、小笠原氏によって室町時代中頃に築城されたと考えられる平山城で、
武田の駿河侵攻時、焼失したそうです。
その後も、徳川側が武田に取られた高天神城を攻める時には改修されたそうですが、その後重要度が下がり解体されたそうです。
説明看板
看板の奥、細い道に入ると神社が有り、
馬伏塚城址の石碑が有りました。
諏訪神社と言う神社らしいです。
ここが曲輪か本丸の一部なのでしょうか?
土塁と言えば土塁
曲輪と言えばそう、見えなくもないです。
あとでネットで調べてみると、広範囲にわたり点々と遺構が残ってはいるようですが、観光マップを見ながらでないと探せなさそうです。
掛川,袋井には、まだ城跡が有るので、また来たいと思います。
それでは~