用事が有って下田に行った時、一寸時間が有ったので
下田公園(下田城跡,城山公園)に行ってみました。

下田城(鵜島城)は、北条氏配下の城でしたが、豊臣秀吉が北条攻めをした時陥落し、水軍の拠点として使われたそうです。
また幕末に、日米和親条約が結ばれた時、ペリーが来航した事でも有名です。
案内図です、
駐車場から、上がって行きます。
カーター記念碑です。
プレートのアップ
また別の案内が有り、
開国広場に出ます。
開国広場の海側に有る、村松春水の像
村松春水は、「実話唐人お吉」と言う、ハリスの看病をした事で勘違いされ迫害された不幸な女性を題材にした小説を書いた人です。
開国広場山側に有る、開国記念碑です。
頂上の方に進んでいきます。
銅像が何個か有りました。
萌える
更に、石碑と、銅像が2個
ここを石畳に沿って右に行かずに、真っ直ぐ行くと馬場ヶ崎展望台です。
詩が書いて有ります。
LaMer
大地
陽炎
馬場ヶ崎展望台 からの眺めです。
天守閣跡の方に登っていきます。
東宮殿下御行啓跡
鵜島城跡の石碑、この上が天守跡です。
案内板
下田城址の説明書き
やっと来ました、天守台址です。
恐らく天守閣と言うより櫓の立派なやつ位が建っていたのではないでしょうか。
反対側から撮った所です、平らな面はそれほど広く無いですね。
天守台からの景気です、東側を見ています。
こっちが南側です。
ここに天守が有れば、近海が一望出来たかも知れませんね。
拾い絵ですが、鵜島城の再現図のようです。
それでは、北側に下っていきます。
幸福稲荷の祠です
下まで下ると 下岡蓮杖碑 が有ります。
下岡 蓮杖(しもおか れんじょう)は、幕末の写真家で、ハリスの通訳やアメリカの写真家ジョン・ウィルソンから写真術を学んだそうです。
ジョン・ウィルソンから写真機材得るが、ジョンはネガから印字紙へプリントする方法をあえて教えなかったようで、
下岡 蓮杖は独学で写真術を研究しその技術をオリジナルで確立し、横浜で初めての写真屋になったそうです。
さて、下まで降りてきました。
ここからペーリーロードです。
旧澤村邸
1829年製 30ポンドカロネード
ペリーロードは、幕末の情緒が残っています。
非常に短い範囲ですが、是非時間を掛けてゆっくり歩いてみたい、そんな所です
近くに、下田開国博物館や、宝福寺も有る様なので、また機会が有ったら行って見たいですね。
ペリーロードの終点(始点)です。
橋の向こう側も少しペリーロードなのかも知れません。
下田公園の駐車場の方に戻って行きます。
ペリー上陸記念碑です。
記念碑の説明書き
日米友好の灯りです。
まだ、見所がある様なので、また着てみたいです。
それでは~
日本人が一度文明世界の過去および現在の技能を所有したならば、
強力な競争者として将来の機械工業の成功を目指す競争者に加わるだろう
ぺりーの名言