(物語)
それから間も無く、子供達はおやすみを言いに来ました。
デサールとその生徒だけが残りました、家庭教師はひそひそ声で下へ行くように生徒を呼びました。
「いいえ、ムッシュー・デサール、僕はここに居させていただくように、叔母さまにお願いします。」と、ニコーレンカ・ボルコンスキーは、これもひそひそ声で答えました。
「叔母さま、僕をここに居させて下さい。」と、叔母の側へ行って、ニコーレンカは言いました。
その顔には、懇願と興奮と感激が現れていました。
伯爵夫人マリヤはじっと彼を見て、ピエールをかえりみました。
「貴方がここに居ると、この子は離れる事が出来ないのですよ。。」と、彼女はピエールに言いました。
「僕が直ぐに連れて行きますよ、ムッシュー・デサール、お休み。」と、ピエールはスイス人に手を差し出しながら言うと、ニコニコ笑いながらニコーレンカを見ました。
「君とは全然会わなかったね、マリィ。本当によく似て来た」と、伯爵夫人マリヤをかえりみながら、彼は付け加えました。
「お父様に、ですか❗️」と、少年は真っ赤になってピエールを見ながら言いました。
ピエールは少年に頷いてみせて、子供達に中断された話を続け始めました。
伯爵夫人マリヤは、刺繍を手に取って縫取りをしていました。
ナターシャは目を離さずに夫を見守っていました。
ニコライとデニーソフ は立ち上がり、パイプを言いつけてくゆらしたり、浮かぬ顔をしてサモワールの陰に座っているソーニャからお茶を貰ったりしながら、仕切りにピエールに質問を放っていました。
巻き髪の神経質な少年は、目を輝かせて、誰にも気付かれずに隅の方に座り、蒼白い顔をピエールの方へ向けたままで、時々身体を震わせながら、何か新しい感動に打たれるらしく、1人で低音で何やら呟いていました。
話は政府と上層部から流れ出てくる生々しい噂を巡って行われていました。
出世の道を阻まれた為に、政府に不満を持つデニーソフは、目下ペテルブルグで行われている事を皆、愚劣と決めつけているのでしたが、そうした諸々の事を聞知するのが嬉しくてたまらないらしく、どぎつい辛辣な表現で、ピエールの言葉に自分の意見を加えているのでした。
ニコライは、デニーソフのように何もかも悪く見ようとする怨念はありませんでしたが、それでもやはり政府を批判する事を、極めて重要な事と思っていました。
そして彼は、こう言う問題に関心を示すのは必要な事だと考えていたので、ピエールに色々と質問を放っていたのでした。
この2人の相手の質問の為に、話題は政府の上層部の噂と言うありふれた線から出ませんでした。
しかしナターシャは、夫の態度や考えを知り尽くしていたので、ピエールがもうさっきから話を別の方向へ移し、新しい友フョードル公爵と協議したその肝心な感想を話し出そうとして、それが出来ずに居る事を見て取りました。
そこで、彼女は助け舟を出して、フョードル公爵との用件はどんな事でしたか❓と尋ねました。
「それは何の事だね❓」と、ニコライが効きました。
「みんなその事よ、その事だけさ。。」と、ピエールは周りを見回しながら言いました。
「誰もが、事態はあまりに醜悪で、このまま放置しておく事は出来ぬ、力の限りで阻止するのが全ての心ある者の義務だ、と考えているのだよ。」
「心ある者が出来る事って一体何だね❓」と、わずかに眉をひそめてニコライは言いました。
「それはつまり。。」
「書斎へ行こうじゃないか」と、ニコライは言いました。
ナターシャは、もう先程から赤ちゃんの乳に呼ばれる頃だと思っていたので、乳母の呼ぶ声を聞くと、直ぐに子供部屋へ出て行きました。
男達は書斎へ席を移しました。
ニコーレンカ・ボルコンスキーも、叔父に見つからぬように、そちらへ行き、窓際のデスクの側の暗がりに腰を下ろしました。
「それで一体何をしようと言うのだね❓」と、デニーソフは言いました。
「それはだな。。つまりこう言う事なんだ。ペテルブルクの状態はあんな訳で。。皇帝は一切口出ししない。皇帝は例の神秘主義ってやつに溺れ切っている有様だ(神秘主義を信じる者は、今のピエールは誰であろうと容赦しませんでした)皇帝はひたすら安らぎのみを求めており、その安らぎを皇帝に与える事が出来るのは、マグニツキー、アラクチェーエフ のごとき。。邪魔者は消せ主義の、権力を笠に着ている心も操も無い連中だけと言うのだ。。どうかね❓もし君が自分で領地の経営を見ずに、もっぱら安らぎのみを望んでいたとしたらだ、君の管理人が残忍な奴であるほど、君の望みは早く達成されるはずだな。そうだろ❓」と、ピエールはニコライに問いを向けました。
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(解説)
理解し難い部分ですが、故・アンドレイ公爵の息子の15歳のニコーレンカがピエールを崇拝していて、ピエールの後にばかりくっついて回っているというシーンですね。
もう、子供達はお休みなさいの時間なのに、ニコーレンカは、ピエールについて大人達の話をそっと後ろで聞いています。
話は政府と上層部から流れ出てくる生々しい噂を巡って行われていました。
ニコライもデニーソフ も政府を批判することは大事な事だと考えていたので、ピエールにピエールに色々と質問を放っていたのでした。
しかし、この2人の相手の質問は、政府の上層部の噂と言うありふれた線から出ませんでした。
ピエールがもうさっきから話を別の方向へ移し、新しい友フョードル公爵と協議したその肝心な感想を話し出そうとしていたのを見て取ったナターシャは、ピエールにフョードル公爵との用件はどんな事でしたか❓と尋ねます。
内容が深刻だな。。と悟ったニコライは、男達を書斎へ案内します。
その時ナターシャもマリヤも子供達の世話に退出しましたが、ニコーレンカはこっそり書斎にまで付いて行きます。
ピエールは、今、アレクサンドル皇帝は、自分の信任するマグニツキー、アラクチェーエフ のごとき。。邪魔者は消せ主義の、権力を笠に着ている心も操も無い連中に政治を預けている、これでは危ない。。と切り出します。。
(追記)
19世紀の帝政ロシアでは、近代的な意味での選挙権は存在しませんでした。皇帝による専制政治が行われており、国民が政治に参加する仕組みはほとんどなかったようです。
政治は皇帝が信頼する側近によって行われていたみたいです。
その皇帝に選ばれている側近が『曲者』なのだ、とピエールは言いたいのだろうと思います。
具体的なピエールの考えは次のチャプターになります。