(物語)
伯爵夫人マリヤはそれを聴き終わり、自分の意見を述べると、今度は自分の考えを声に出して追い始めました、それは子供達に関するものでした、
「今からもう女の気持ちが出てますわねえ」と、彼女は小さなナターシャを指差しながらフランス語で言いました。
「貴方がたは、私達女を論理的じゃないってお叱りになりますけれど、この子をご覧なさいーーこれが私達の論理ですわよ。パパはおねむなのよって、私が言うと、この子は、嘘よ、パパは笑ってるわ、と言う。しかもそれが正しいのですから。。」と、幸福そうに微笑みながらマリヤは言いました。
「そうか、そうか❗️」そしてニコライはがっしりした手で女の子を抱き上げ、高々と差し上げて肩に乗せると、部屋の中を歩き回り始めました、父も娘も訳無く幸福そうな顔をしていました。
「でもねえ。。あなた。。不公平かもしれませんわよ。貴方はこの子を愛し過ぎてますわ。」と、マリヤはフランス語で囁くように言いました。
「そうだな、でもどうしたらいいんだね❓努めてそう見せないようにしてるんだが。。」
その時、玄関の辺りで馬車が到着した時のような音と人々の足音が聞こえました。
「誰か来たようだな。」
「きっとピエールよ、行ってみて参りますわ。」と、マリヤは言って部屋を出て行きました。
彼女の目が無くなると、ニコライは娘を肩に乗せたままギャロップで室内を走り回り、幸福そうな丸い小さな顔を見守りながら、考えるのでした。。自分が年寄りになって、この子を社交界に連れて行く頃、どんな娘になっているだろう。。と。亡くなった父と娘(=ナターシャ)が踊ったように、自分もこの子とマズルカを踊るような事になるのだろうか。。と。
「彼よ、ニコラス」マリヤが部屋に戻って来て言いました。
「ナターシャが生き返ったわ。ナターシャのはしゃぎぶりと、ピエールがお灸を据えられた所は貴方にお見せしたかったわ。さあ、参りましょう。早く❗️いい加減になさい。」と、父にしがみ付いている小さなナターシャを見て笑いながら彼女は言いました。
ニコライは娘の手を引きながら部屋を出ました。
伯爵夫人マリヤは、ソファ室に残りました。
『本当に信じられなかったわ。。』と、彼女は自分に囁きました。
『こんなに幸福になれるなんて。。』と、彼女の顔に微笑が輝きました。
しかしそう思うと同時に、彼女はホッとため息をつきました。
そして静かな愁いがその深い眼差しを曇らせたのでした。
彼女が噛み締めているこの幸福の他に、この世では望めぬ別の幸福があり、彼女は今、それをふっと思い出したのでした。。
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(解説)
ここでは、ニコライ・マリヤ夫妻とピエール・ナターシャ夫妻のいかにも幸福そうなシーンが描かれています。
マリヤは、まさか自分がこの世でこんなに幸せな家庭が持てただなんて、かつての娘時代には考えられなかった事だわ。。と感慨深いものを感じるのですね。
その時、彼女の心によぎったものは何だったのでしょうかね。。
あの美しい信仰心を持った巡礼達の姿だったのでしょうかね。。かつては自分もあんなに神様に近い所に居たのに。。と言う思いがよぎったのでしょうか。。
彼女は、気の毒なソーニャを受け入れる事が出来ない自分をどこかで感じているのですね。
だって、ソーニャこそは今の彼女の幸福の源ニコライの心を揺るがすかもしれない。。(あり得なくともマリヤは、そうとしかこの人を見れない)のだから。。
要するに、マリヤには『現世での幸福』に執着がある状態なのですね。
それをね、無意識には感じているのだと思いますよ。
だからそれを失うまいとする『醜い』自分の姿を、今の幸福な生活の中に見ているのですね。
マリヤがソーニャを疎んじているのは、実は、彼女が自分の『醜い心』と向き合わせるからかも知れません。
そしてね、ソーニャは、(マリヤもニコライも彼女の従順さにはそれほど感謝していないけれども)まさに『今を生き抜く』事に戦っているのですよね、それは表面からは見えません。
彼女は、精神的には自分自身の確固たるものを既に持ち合わせていると思います。
自分の立場、自分の運命を受け入れ、それでも今の生活に感謝すらして日々家族に尽くしているんだと思います、それが邪魔にされたとしても、彼女にはそうするしか他に手立てがない訳ですし。
これが苦しく無いはずは有りません。
しかし、彼女は文句も、不満も微塵も見せていないのだと思います、その完璧さがね、マリヤの劣等感❓をくすぐるのだと思います。
でね、何でトルストイがこの最後の1文を記載したか❓ですけれど。。
当時の貴族社会には、ソーニャみたいな女性がたくさん居たんだと思います。
マリヤやナターシャのように素敵な男性と結婚して幸せな家庭を築けた女性はほんの僅かだったと思うのですよね。
だからね、この一握りの女性達の傲慢さ(持っている者はさらに豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられる、を公言して自分達は『持てる者』と勘違いしている)、この世での幸福は人間の思考を妨げると言うような事を言いたかったのでは無いかな。。と思うのですけれどね。
この世で『あんな風な惨めな人生を歩みたく無い』と、思ってしまう対象たる惨めな人間こそが、実は神に一番近かったりするのだ。。ってね。