(物語)
諸民族の動きは、それぞれの岸に収まり始めました。
大きな動きの波が砕け、静まった海面には輪が出来て、その輪の上を外交官達が、自分こそ動きを収めるのだと考えながら、回り始めました。
ところが、静まった海面がふいに盛り上がりを見せました。
外交官達には、この事態は皇帝達の間に戦争が始まるものと覚悟し、事態は解決不能のように思われたのでした。
しかし、その波は、彼らが予期した方向とは違う方角ーー同じ震源地パリから盛り上がったのでした。
西からの動きの最後の巻き返しでした。
解決不能と思われた外交上の困難を解決し、この時期の軍事的な動きに止めを刺すはずの余波でした。
フランスを荒廃に追い込んだ男が、密かに謀議した訳でもなく、兵も連れずに単身パリに戻って来ました。
どの衛兵も、彼を捕らえる事が出来たはずなのに、不思議な偶然によって、誰も彼を捕らえようとしないばかりか、昨日は呪っていたし、1月後にはまた呪う事になるこの男を、皆が有頂天になって迎えたのでした。
この男は、まだ大詰めの勢揃いの場を最もらしくする為に必要だったのでした。
そして幕が下り、最後の出番が終わりました。
役者は衣装を脱ぎ、マユズミと紅を落とす事が命じられました、もう用は無かったのでした。
そして数年が過ぎました。
その間この男は孤島でただ1人、自分を相手に惨めな喜劇を演じ、嘘を付き、もはや必要も無いのに自分の行動の弁明を行い、彼が見えない力に操られていた頃人々が力と思い込んでいたものが何であったか、を世界中の人々に示したのでした。
演出家は、芝居が終わると、役者の化粧を落とさせて、その素顔を我々に見せたのでした。
「御覧なさい。。貴方がたが本物と思っていたものを❗️この男ですよ❗️これでわかったでしょう。。貴方がたを動かしていたのは、この男ではなく私だった事が❓」
さが、動きの力に幻惑された人々には、長い間それがわかりませんでした。
それよりももっと一貫した必然性を示していたのは、東から西への反対の動きの先頭に立った人物、アレクサンドル1世の生活でした。
他の人々を庇いながら、東から西へのこの動きの先頭に立とうとしたこの人物に必要なものは、何だったのでしょうか❓
必要であったのは正義感であり、ヨーロッパの諸問題への参加、小さな関心に曇らされぬ、遠くからの参加でした。
盟友である当時の諸皇帝に抜きん出いた高潔な心、柔和な魅力的な個性、ナポレオンに対する個人的な屈辱感。。この全てがアレクサンドル1世には備わっていたのでした。
これら全ての要素は、彼の過去の全生活の中で、教育、自由主義的な出発、周囲の助言者達、アウステルリッツ、ティルジット、エルフルトなど、無数のいわゆる『偶然』によって培われたのでした。
国民戦争(=ボロジノの会戦)の間は、自分が必要とされないから、この人物は行動しませんでした。
しかし、全体的なヨーロッパ戦争の必要が現れるや否や、その人物はその瞬間に自分の位置に現れ、ヨーロッパの諸民族を統合しながら目的に向かって導いて行ったのでした。
目的が達成されました。。1815年の最後の戦争(ワーテルローの戦い)の後は、アレクサンドルは人間の可能な権力の最高位に位置しました。
ヨーロッパの救世主、アレクサンドル1世、青年の頃から自国民の幸福だけを志向し、自分の祖国に自由主義的な制度を導入した最初の皇帝であるこの人物は、今、最大の権力を握り、(もし自分が権力を握ったら全人類を幸福にするのだ、と流刑地でナポレオンがいい加減な計画を作って見果てぬ夢を見ているこの頃に)自分の使命を果たし終えると、自分の上に神の手を感じて、ふいにこの虚構の権力の虚しさを認め、それに背を向け、それを彼が軽蔑する品性下劣な人々の手に渡して、ただこう言ったのでした。。
「全ては我らに在らず、神の御名によるのだ❗️私も貴方達と同じ人間です。私をそっとして、人間らしく生き、自分の魂と神の事を考えさせて下さい」
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(解説)
はい。ナポレオン失脚後のヨーロッパにおけるアレクサンドル1世の功績をトルストイ風に評価した部分だと思います。
歴史書に詳しく載っていると思います。
私は、正直、あまり精通しておりません。
ただ、アレクサンドル1世の人となりは、ロシア人のトルストイ先生が理想像として描いたような人物であったらしいな、とは思います。
トルストイは、この物語の中でも、常に『人間』アレクサンドル皇帝の側面を意識して描いていたと思います。