(物語)
1812年から7年が過ぎました、荒れ騒いだヨーロッパの歴史の波はそれぞれの岸に収まりました。
それは静かに見えました、しかし人類を動かす神秘的な力はその活動を続けていました。
歴史の海の表面は凪いでいるかに見えましたが、時の流れと同じように、留まる事なく、人類は動き、国家の成立と崩壊、民族の移動の諸々の要因が構成されて行きました。
歴史上の人物達は、かつてのように大波となって一方の岸から他方の岸へ押し寄せて行くことはせずに、今は1つ所で渦を巻いているかに見えました。
かつては軍の先頭に立って、戦争や、遠征や、会戦の諸命令によって大衆の動きを反映した歴史上の人物達は、今は政治上や外交上の考慮や、法律や、条約などによって、揺れる動きを反映していました。
歴史上の人物達のこの活動を、歴史家達は反動と称しています。
ロシアにも、歴史家達の記述によれば、この時代にやはり反動が起こり、その反動の元凶はアレクサンドル1世だったとされています。
同じ彼らの記述が、自由主義的な治世の開始とロシア救済の立役者であったとしている、そのアレクサンドル1世です。
現代の(※トルストイがこの本を執筆した1850年頃)ロシア著作では、中学生から歴史学者に至るまで、この時代のアレクサンドルの行為の非を挙げ連ねて石を投げ付けるような者は1人も居ません。
『彼はこれこれの行動を取るべきだった。この場合の彼の行動は良かったが、この場合は良くない。彼は治世の当初と1812年には実に立派な業績を示したが、その後はポーランドに憲法を与え、神聖同盟を結び、アラクチェーエフ を信任し、ゴリーツインと神秘主義を奨励し、さらに下ってシシコフとフォーチイを奨励するなどの数々の誤りを犯した。彼が軍の実践面を握ったのは誤りであり、セミョーノフスキイ連隊を廃したのは誤りである、などなど。。』
歴史家達が、その建前としている人類の福祉の思想に基づいて、彼に投げかける非難を、すっかり並べ立てようと思えば、印刷紙を10枚ほど費やさねばならないでしょう。。
これらの非難は何を意味しているのでしょうか❓
アレクサンドル1世のように、人間の権力の可能な最高の地位に立たされた歴史上の人物、権力につきものの陰謀や、偽計や、追従や、自我妄想などの世界で最も強力な影響の下に置かれた人物、自分の人生のあらゆる瞬間に於いて、ヨーロッパで起こる全ての事に対する責任を自分の身に感じていた人物、しかも架空の人物ではなく、1人1人の人間と同じ様に、その個人的な習癖や、欲望や、善と美と真理への渇望を持つ、生きた人物ーーこの人物が50年前に、徳性に欠けていたというのではありませんが、若い頃から学問に励み、つまり本を読み、講義を聞き、それらの本や講義を1冊のノートに要約した、教授が持っているような『人類の福祉』に対する見解を持っていなかった、という点にあります。
しかし、よしんばアレクサンドル1世が50年前に『諸民族の福祉』とは何か❓という事に対し誤りが有ったと仮定するにしても、『人類の福祉』の概念は時間の経過と共に変化する流動的な概念であるという認識に欠けている様に思われるのです。
つまり、善と考えられていたものが、10年位には悪と見られる事があ理、その逆の場合も有るのです、そればかりか、何が悪で何が善か、という事に対する全く相反する見解を、同時に歴史の中に見出す場合があるのです。
即ち、ある者はポーランドに与えた憲法と神聖同盟をアレクサンドルの功とし、他の者はそれをアレクサンドルの罪としているのです。
アレクサンドルとナポレオンの活動について、それが有益であったか、有害であったかを、言う訳には行きません。
なぜなら、それが何にとって有益であり、何にとって有害であったかを、我々は正確に言い当てる事が出来ないからです。
ロシア軍の栄光が、あるいはペテルブルグその他の大学の繁栄が、あるいはポーランドの自由が、ヨーロッパの文明の進歩が、私に善と思われようと、これらの歴史上の人物の活動が、こうした諸々の目的の他に、さらに別なもっと全人類的な、私にはわからぬ目的を持っていた事を認めない訳には行かないからです。
アレクサンドルが全く別の行動を取る事が出来た、例えば、彼を非難している告発者達が言う所の国民性、自由、平等そして進歩の綱領に基づいて指導する事が出来た、と仮定してみましょう。。
その場合、政府の当時の傾向に反抗した全ての人々の活動ーーそういう活動はあり得なかった事になるし、生活自体も無かった事になるでしょう。。
人間の生活の可能性が(あらかじめ決められた)理性によって支配できるのだと仮定するならば、より良い生活への改善の可能性自体も消滅する事になるのです。
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(解説)
はい。難しい部分で何を言っているのか一読では理解できない部分です。
力が及ばないながらも私なりの解釈を記載しておきます。
ここでは、歴史家達がアレクサンドル1世の功罪を述べているのは、歴史という特質上意味が無いという事を言いたいのでは無いか❓と思いました、一言で言うならば。
これはボロジノの会戦の結末について誰か歴史上の人物の意志とか行動に帰結する事は出来ないと言うトルストイの考え方に相通じるものがあると思います。
①まず、すでに起きてしまった歴史的な事実に対して考察する場合、後になって『あの人物はこうすべきだった』と述べる事は、まず、その状況下で是と判断される流れというものがあり、主要な人物の意志や責任という問題だけで見る事は出来ない。
②さらに、善悪の判断基準というものは、その時その時の状況(時代)によって常に変化するものであり、後になって『こうすべきだった』はそもそも言う事が出来ない。
③仮に、アレクサンドル1世が勤勉で、『諸民族の福祉』について良く勉学していて、誰もの上に立つ指導者で有ったにせよ、側近とは利害関係もあり、陰謀すら渦巻く状況で、大方だいたいの方策で大勢の人を動かすしか出来なかった。
実際に行動する人間は、アレクサンドルと全く同一人物では無い以上、彼が思い描く理想と現実にはどうしても齟齬が生じるだろう。。
④また、告発者達が言う様にアレクサンドル及びその側近の行動が正しく取られたと仮定するならば、予め『善』と言うものが存在してしまう事になるが、世の中のより良い変化を求める、と言う活動は、歴史の中の失敗や事件から、人々が学んでいく過程で形成されるものでは無いのか❓
この点で、反抗する人の存在が想定できないような政治と言うものを、言っている時点で歴史というものから外れているだろう。。
ま。こんな所です。参考までに💦