(物語)
その日から、公爵令嬢マリヤとナターシャの間に、女同士にしか見られない、あの熱烈な、しかし柔和な友情が固まりました。
彼女達は絶えず接吻を繰り返し、優しい言葉でいたわり合い、そしてほとんどの時間を一緒に過ごしました。
どちらかが出て行くと、残った方が不安になって後を追いました。
1人で自分の内部の声と話し合っているときよりも、2人で声に出して話し合う方が余計に考えが一致しました。
それは互いに相手が生きて行けないような特殊な感情でした。
彼女達は、時には何時間も黙っている事もあったし、時にはもう寝床に入ってから話を始めて、朝まで語り合う事もありました。
2人は、主に遠い過去の話を話題にしました。
公爵令嬢マリヤは、自分の少女時代の事、母の事、父の事、自分の憧れなどを語りました。
ナターシャは、こうした帰依と服従の生活や、キリスト教的自己犠牲の美しさが理解出来なかった為にこれまではこのような事に無関心でしたが、今は、自分が愛によって公爵令嬢マリヤと結び付けられている事を感じていましたので、マリヤの過去も好きになりましたし、これまでわからなかった生活の一面もわかるようになりました。
ナターシャは、それまでは、違う喜びを求める事に慣れて来た女性だったので、服従と犠牲を自分の生活のメインといようとは思いませんでしたが、前にはわからなかったこの美徳がわかるようになったし、親友の生活の中にそれを見る事を好みました。
公爵令嬢マリヤにとっても、ナターシャの少女の頃のや青春の頃の話を聞いて、前にはわからなかった生活の一面、人生の楽しさへの信頼というものがわかって来たのでした。
2人は、それぞれの心の中にある神々しい感情を、言葉によって冒涜しない為に、どちらからも決してアンドレイ公爵の事を語ろうとはしませんでした。
そして、彼について沈黙を守っている事が、2人に少しずつ彼を忘れさせる作用をしていたのでした。
ナターシャはやつれて顔色が悪くなり、ひどく疲れ易くなりました。
どうかすると彼女は、ふいに、死の恐怖ばかりか、病気になり、衰弱して、美しさが失われはしないかという不安に襲われる事もありました。
朝のお化粧の時に鏡を覗いて、そのしまりの無くなった、なんだか憐れっぽいような顔に涙ぐみそうになる事も有りました。
彼女はこうなるのが当然なのだ、という気もしましたが、それと同時に恐ろしくもなり、悲しくもなりました。
しかし、彼女は気づいてはいませんでしたが、外からの光を通そうとはとても思われぬ程に彼女の心を厚く覆っていた粘土層の下から、針のような細い柔らかい若芽が萌えかけていたのでした。
この若葉はしっかりと根を張り、彼女を押しつぶしていた悲哀がもうじき見えも気疲れもしないようになるまでに、その生命の新芽で覆い尽くしてしまうはずでした、即ち、傷が内部から癒かけていたのでした。
公爵令嬢マリヤは、1月末にモスクワへ発つ事となり、老伯爵は、ナターシャも同行して医師の診断を受けるように、と執拗に主張しました。。
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(解説)
はい。
ここは、トルストイ先生の『念の為に言っておきますが』の部分だと理解しております。
兼ねてから、トルストイは、『真の愛』『見返りを求めない愛』について問い、『死を恐れない事』『神への帰依の幸せ』など、およそ現世の恋愛や喜びを『ちょっと横に置いておいて』という風に物語を形作っていたように理解しています。
しかし、トルストイ先生は、決して現世での愛の成就や喜びを否定している訳では無いのですね。
もし、そういった物を一切否定するとしたら、それこそ神の意志に反する事だと思います。
公爵令嬢マリヤもナターシャも最愛の家族、恋人を失ってもう死んだように悲しんでいるのですが、いつまでも死者への愛を追いかけていいのですか❓それは神の御心に合致する事ですか❓それこそ執着というものではないですか❓という当たり前の事を再確認している部分だと思います。
おそらく、神様は、生きる者が幸せを追求して生きようとする事を決して否定するものではなく、それこそ追求するべきなのだ、という考えだと思います。
それこそ『生命の喜び』だと思います。
ペーチャの死の無念さは、この観点から見るのがわかりやすいと思います。
そしてトルストイが、ピエールがカラターエフに同情して自分までもが神に許された世界へ行こうとしたのではない、と描いた事も、やっぱりピエールのように若い人間の、現世でのより良い人生の追求を肯定しているからだと思います。
『死を恐れない事』も『生命の喜びを追求する事』も表裏一体のように思います。
現世での喜びを追求し、愛を成就させ生命を紡ぎながらもなお人間は葛藤するものなのだ、というのが前提としたら、『死を恐れない境地に至る』というのは結果と言えるかもしれません、正しいかどうかわかりませんけれど。
この部分で、ナターシャもマリヤもお互い子供の頃は全然意識しなかった世界をお互いの経験を通じて認識させ、それでもなお、まだ20代の若い女性達に、人生をまず謳歌しなさいよ、というトルストイの意図を感じるのですけれどね。。どうでしょうか❓
ナターシャはモスクワの自宅に帰る公爵令嬢マリヤに伴って行く。。という所でこのチャプターは終了しています。
これからが新たな門出なのですよ。。という示唆をしているかのように。