戦争と平和 第4巻・第3部(19−2)1812年の戦争の末期に於けるロシア軍の動きに対する考察  | 気ままな日常を綴っています。

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(物語)

ナポレオンとその軍の退路を遮断し、捕虜にするという。深遠な考察に基づく作戦計画は、要するに、野菜畑を家畜に踏み荒らされた持主に、家畜を追い立てながら、木戸へ先回りして(家畜の)脳天に棍棒を食らわせる計画を立ててやったようなものなのです。

野菜畑の持ち主の弁明に言いうる事はただ1つ、彼らがカンカンに怒っていた、という事でしょう。。しかし、その計画を立ててやった者達については。この弁明さえする事は出来ません。

なぜなら、野菜畑を踏み荒らされて被害を受けたのは、彼らでは無いからです。

 

しかし、ナポレオンと軍の退路を遮断する事は、(無意味であったばかりでなく)不可能な事でした。

それが不可能で有ったのは、①第1に、1つの戦闘で縦隊を5露里も移動させれば、必ず計画に齟齬を来たすものである事は、経験から明らかである為に、例えば3つの部隊が定められた地点に適時に合流出来る公算は、極めて小で、ほとんど不可能に等しかったからです。

この事はクトゥーゾフも了解しており、この作戦計画を受けた時すでに、遠隔操作は望ましい結果をもたらさぬ者である、と進言しています。

 

②第2に、これが不可能であったのは、ナポレオン軍の故国への疾走についていた惰力を殺す為には、ロシア軍が持っていた兵力とは比べものにならなぬ程の大きな兵力が必要だったからです。

③第3に、『遮断する』という軍用語が何の意味も持っていないからでした。

軍を遮断するーー退路を切るーー事は、絶対に不可能なのです。

なぜなら、周囲には常に迂回出来る土地が広いし、何も見えない闇夜というものが有るからです。

『捕える』という事も、捕えられる者がその気にならない限り、絶対に出来るものではありません。

それは、ツバメが掌に止まれば捕えられますが、そうでなければ捕えられぬのと同じ事なのです。

要するに、捕虜に出来るのは、ドイツ人のように、軍学と戦術の法則に従って降伏する者だけなのです。

しかし、フランス軍諸部隊がこの降伏を適切と認めなかったのは、全く正しいと言わねばなりません。

逃走しても、投降しても、何れにしても彼らを待ち受けていたのは、餓死と凍死だったからです。

 

④第4に、これが主要な理由ですが、これが不可能であったのは、有史以来1812年の戦争ほど数々の恐ろしい条件の下で行われた戦争は、一度も無かった程で、ロシア軍がそれ以上の事をしようとすれば、自滅する他無かったからでした。

ロシア軍は、タルーチノからクラースノエまでの移動で、病気や落伍で5万の兵を失いました、つまり大きな県都の人口に匹敵する人数を失った訳です。

軍の半分が戦わずして失われたのです。

何ヶ月も零下15度の雪の中に露営し、昼はわずか7、8時間で、後は軍紀の弛緩が免れぬ夜であり、絶えず飢えと寒さによる死と戦いながら、歴史家達が言うような、どこそこの地点へ側面行軍を行うべきであったし、(膝も上まである雪の中で)どこそこへ移動し敵を叩き退路を断つべきであった等々と、私達に語っているのです。

 

ロシア軍は半ば死に掛けながら、なしうる全ての事を、そして民族の正当な目的を達成する為に、なさねばならぬはずの全ての事を成し遂げたのです。

他のロシア人達が、暖かい部屋に座って、出来るはずの無かった事の実行を云々している事に対して、ロシア軍は何の責任も無いのです。

これら全ての奇妙な、今は不可解な、事実と歴史の記述の矛盾は。要するに、この事件を書いた歴史家達が、様々な将軍達の美しい感情や言葉の歴史を書きましたが、事件の歴史を書かなかったことから生まれたのです。

 

彼らにはミロラドヴィチの言葉や、どの将軍がどんな褒賞を賜ったかという事や、将軍達の作戦計画が極めて興味深い事に思われたでしょうが、野戦病院や墓穴の中に残された5万の兵達についての問題は、彼らの関心さえ引かなかったのです、それは彼らの研究の対象にふさわしく無かったからです。

 

しかし、戦闘に実際、直接参加した数10万の人々の動きに注意を向けさえすれば、一切の問題が簡単に解けるのです。

ナポレオンとその軍の退路を断つという目的は、一握りの人々の空想の中にしか存在せず、実際には存在が不可能で無意味だったのです。

民族ぼ目的はただ1つ、自国を侵略から解放するという事でした。

この目的は、ひとりでに達成されました、それはフランス軍が逃げた為で、だからこの逃走を止めさせないようにしさえすれば良かったのです。

ロシア軍は、走る動物を追い立てる鞭のように行動しなければなりませんでした、そして最も良いのは鞭を振り上げたままで動物を威嚇する事で、走る動物の脳天に振り下ろす事では無い事を、よく心得ていたのでした。。

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(解説)

はい。ここでは、前回のナポレオンとその軍の退路を遮断し、捕虜にするという目的は、そもそもロシア軍には無かったというトルストイの考察に加えて、さらにそういう目的が仮に有ったとしてもその目的は到底実行不可能だったというトルストイのさらなる考察ですね。

 

その目的が有った場合、実行不可能と考えられる理由は以下の通り。

①いくつかの部隊を、例えばA地点に合流させよう。。とすることは当時の地図や地形上、必ず齟齬が生じるものであった。

②ナポレオン軍の故国への疾走についていた惰力を殺す為には、ロシア軍が持っていた兵力とは比べものにならなぬ程の大きな兵力が必要だった。

③周囲には常に迂回出来る土地が広いし、何も見えない闇夜というものが有るので、退路を遮断するという概念はそもそも考えることが出来ない。

しかも、捕虜にする事が出来るのは、降伏する者だけであり、この時のフランス軍は降伏などしていなかった。

④何ヶ月も零下15度の雪の中に露営し、昼はわずか7、8時間という状況で、ロシア軍自体も死に瀕死ながらの追跡だった訳で、それ以上の事を要求する方が無理だった。

 

その上で、トルストイは、歴史家達がこのような事を語っているのは、史実を語っているのではなく、様々な将軍達の美しい感情や言葉の歴史を書きたがったからだと厳しく批判しています。

トルストイは戦闘に実際、直接参加した数10万の人々の動き、そして野戦病院や墓穴の中に残された5万の兵達について目を向ける事によってのみ、この戦闘の真実を語ることが出来る、と辛辣に述べています。