(物語)
このフランス軍の退却の戦いには、彼らは自分を破滅させる為に考えられる限りの事を行い、カルーガ街道へ方向を転じた事に始まって、司令官が軍を捨てて逃亡するという愚行に至るまで、この集団のどの1つの行動にも、全く何の意味も無かったのです。
戦争のこの時期については、集団の行動を1人の人間の意志に帰する歴史家達も、もはやこの退却をその見方から導く事は出来るまい。。と思われるはずです。
ところがそうではありません。
この時期の戦闘について山程の書物が歴史家達によって書かれており、随所にナポレオンの命令と、その深遠な考察に基づくプランーー軍を指導する作戦計画、さらに元帥達の天才的な指揮が賞讃されているのです。
小ヤロスラーヴェツからの退却に当たって、ナポレオンの前には豊かな地方への道も開かれていましたし、後でクトゥーゾフ が通って追撃して行った道も、平行して伸びていたのに、わざわざ荒らされ尽くした古い道を選んだ愚かな退却は、諸々の深遠な考察の結果として我々に説明されているのです。
さらに、クラースノエ付近の戦闘における彼の勇敢な行為が書かれ、敵の挑戦を受けて自ら指揮を取ろうと決意し、白樺の杖を手にしながら、こう言ったと言うのです。
「余は皇帝の役はもうたくさんだ、今こそ将軍になる時が来た」
そして、その勇ましい言葉にもかかわらず、その直後に彼は、後方にある分断された諸部隊を運命の気まぐれに委ねて逃走したのでした。
さらに元帥達、特にネイの精神力の偉大さが、歴史家達によって書かれています。
ネイの精神力の偉大さは、彼が夜陰に乗じて森を伝ってドニェブル河を渡り、軍旗と砲と兵の10分の9を失って、オルシャに逃げ延びた事にあると言うのです。
そして最後に、偉大な皇帝が勇敢な軍を見捨てて迷走した事が、歴史家達によって、何か偉大な天才的な事であるかのように語られています。
人間の言葉では最低な卑怯な行為とされ、どの子供にも恥ずべき事として教えられている、この最後の逃亡行為さえも、歴史家達の言葉に掛かると正当化されたのです。
歴史的考察のさしもの強靭なゴム紐も、もはやこれ以上伸ばす力が不可能になり、事実がすでに全人類が善とか正義とか呼んでいるものにまで明らかに抵触するようになると、歴史家には『偉大さ』という救いの概念に頼り始めるのです。
『偉大さ』は、善悪の尺度の可能性を排除してくれるかのようです、偉大な人間にはーー悪というものは無い。いかなる悪逆非道も、偉大な人間の罪に帰する事は出来ないのです。
『これは偉大である❗️』と、歴史家達は言います、すると、もはや善も悪も無く、『偉大なもの』と『偉大で無いもの』が有るだけなのです。
偉大なものはーー善であり、偉大で無いものはーー悪なのです。
『偉大なもの』とは、彼らの観念によれば、英雄と呼ばれるあの特殊な存在の特性なのです。
だからナポレオンは、温かい毛皮外套にくるまって、破滅に瀕している仲間達ばかりか、自分がここへ連れて来た(と彼は思い込んでいる)人々までも放ったらかして、家へ逃げていきながら、『これが偉大な事なのだ』と感じて、平然としていたのでした。
『崇高と滑稽の間はわずか1歩あるのみだ』と、彼は言いました。
そして全世界で50年もこう繰り返して来ました。『崇高だ❗️ナポレオンは偉大だ❗️崇高と滑稽の間にはわずか1歩しか無いのだ』
そして、(神の言う)善悪の尺度では計れぬ『偉大さ』と言うものを認める事は、自分の無価値さと、限り無い小ささを認める事に過ぎぬ事に、誰も気が付かないのです。
キリストによって善悪の尺度を与えられている我々にとっては、計れぬものは何もありません。
そして正直と、善と、真実の無い所に、偉大さは無いのです。
ーーーーー
(解説)
はい。
トルストイは、恐らくボロジノの戦闘の50年後くらいにこの『戦争と平和』を執筆しているようですが、当時の歴史家たちのナポレオンの評価がただただ『偉大な人物』と言う表現だった、ということにかなり怒っていますね。
トルストイが、この小説に於いて、なぜ『神の意志を感じる事の幸福感』『死を恐れない境地とは』そして『真実の愛とは』をテーマにしたのか、理解できる気がするチャプターだと思います。
ナポレオンは、一介のコルシカの貴族士官からフランス皇帝までの仕上がり、されにヨーロッパにその支配を広げた人でしたから、そういう点から見ると確かに『偉大な人物』だった、という評価も頷けます。
しかし、蹂躙された民族にとっては、『なぜ、こんな事が許されるのか❓』という疑問を持つのは当然の事です。
恐らく、この小説が書かれた大きな理由は、『ロシア人として、ナポレオンに物申す』と言ったところではないか❓と思います。
早いうちに歴史を訂正する(権力者によって捏造された歴史ではなく、きちんとした史実)のが、ロシア人作家としての自分の役目、と思ったように思います。
ナポレオン率いるフランス軍が侵略を続けた事は、決して神の意図する所ではないのです。
そして、この戦争で多くの若い命が無意味に失われたのです。
彼らには、無限の可能性もあったし、この時代とはいえ、やりたい事経験したいことも沢山あったはずです。
これは最大の人権侵害ではないのか❓
でも、愛する者を失った人々よ、安心して下さい、彼らはこの世の矛盾から逃れて神の国に行ったのですから(=死を恐れるな)。
さらに、死によって愛を引き裂かれた人々も数知れずだったでしょう。。
だからこそ、トルストイは、報われなかった愛を癒したかったのだと思います。
彼が『無償の愛』「真実の愛』をテーマにしたのはこのような背景からではないか、と思います。
映画では、どうしても『結ばれた結末』を期待しますが、原作者であるトルストイは、ナターシャもピエールもアンドレイも、真剣に『愛』というテーマに向き合わせ、現世での幸せが望めない限界までの経験をさせ、真実の愛に目覚めさせたのだ、と私は考えています。