(物語)
「整列❗️」と、誰かの声が叫びました。
捕虜や護送兵達の間に嬉しそうな狼狽と、何か幸福な厳粛なものを待ち受ける期待が生まれました。
方々から号令の叫び声が聞こえて、左手の方から、ダクで捕虜達の群れを迂回しながら、美しい軍服をまとい、美しい馬に跨った騎兵の一隊が見えて来ました。
どの顔にも、最高司令官の近くに居る時に現れる緊張の表情がありました。
捕虜達はごちゃごちゃと固まり合い、路上から突き落とされました。
護送兵達が整列しました。
「皇帝だ❗️皇帝だ❗️元帥だ❗️大公だ❗️」そして脂ぎった護衛の騎兵隊が走り去ると、葦毛の6頭の馬に引かせた箱馬車が車輪の音を轟かせて通り過ぎました。
三角形の帽子を被った人間の、丸々太った、白く美しい、平然と落ち着いた顔を、ピエールはチラと見ました。
それは元帥の1人でした。
元帥の視線は、大きな目立つピエールの姿に向けられました。
そして元帥は、眉をひそめて顔を背けましたが、その顔の表情に同情と、それを隠そうとする気持ちを、ピエールは見たような気がしました。
輸送隊を指揮している将軍が、怯えた赤い顔をして、やせ馬を急き立てながら、箱馬車を追っていました。
数名の士官が集まり、兵士達がその周りを取り巻きました。
どの顔も緊張で高まっていました。
「閣下は何を言われた❓何を言われた❓。。」と言う声を、ピエールは聞きました。
元帥通過の際に捕虜達は、ひと固まりに集められたので、ピエールは今朝はまだ見ていなかったカラターエフを見かけました。
カラターエフは破れた外套を着て、腰を下ろし、白樺の木に寄りかかっていました。
その顔には、昨日年寄りの商人の無実の話をした時のあの喜ばしい表情の他に、さらに静かな厳粛の表情がありました。
カラターエフは、その善良そうな丸い目でピエールを見ました。
その目には涙が潤んでいました。
彼はピエールを呼んで、何か言いたげな様子でした。
しかしピエールは、自分の心が崩れるのが余りにも恐ろしかったので、カラターエフの視線に気づかなかったようなふりをして急いで離れました。
捕虜達が歩き出した時、ピエールは後ろを振り向きました。
カラターエフは、道端の白樺の樹の下にうずくまっていました。
2人のフランス兵が彼に向かって何か言っていました。
ピエールはそれきりもう振り返りませんでした。
彼はびっこをひきながら、坂道を登って行きました。
後ろのカラターエフがうずくまっていた辺りから、1発の銃声が聞こえました、ピエールははっきりとその銃声を聞きました。
しかしそれを聞いたその瞬間に、ピエールは元帥通過の前から始めていた、スモーレンスクまで後何行程残されているかの計算を、まだ終わっていない事を思い出して、また数え始めました。
2人のフランス兵が、1人は銃口から煙の出ている銃を捧げて、ピエールの側を走り抜けて行きました。
2人とも顔が真っ青で、その表情にはーー1人はおどおどした目でチラとピエールを見ましたーーピエールが処刑場で若い兵士の顔に見たものに似た何者か、が有りました。
カラターエフがうずくまっていた辺りから、悲しげな犬の吠え声が聞こえました。
『ばかなやつめ、何を悲しがっているのだ❓』と、ふとピエールは思いました。
ピエールと並んで歩いていた仲間の兵士達も、彼と同じように、銃声と、続けて犬の吠え声が聞こえた方を、振り返りませんでした。
しかし、どの顔にも厳しい表情がこわばっていました。
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(解説)
ピエール達捕虜は、もうみんな限界状態で歩き続けていたのですね。
そこへ元帥御一行が通過します。
捕虜達は、道を空けるために固まって路上から突き落とされるのですね。
この『中断』は、結構キツイものだったと思われます。
そこで、ついにカラターエフの緊張の糸が切れてしまいます。
彼は、もうぐったりと白樺の樹の下でうずくまってしまいます、もう歩けなくなってしまったのですね。
カラターエフはその善良そうな目でピエールに何かを訴えようとします。
しかし、ピエールはもう限界です。
彼は『生きよう、生き延びなければ。。』と言う無意識の自己の生命への執着がまだある人です。
彼は、生きたいと言う自分の心を大事にしたのですね、もうカラターエフの言葉に気付かなかったふりをしてしまいます。
カラターエフは、もちろんピエールの状況を理解出来ています。
そして、彼はようやく自分が神に許される時が来たのだ。。と悟ります。
ああ。。自分は神に与えられた人生を本当に感謝して生き切ったのだ、と言う清々しいそして厳粛な表情がそこに有りました。
なんて幸せな死でしょうか。。
ピエールはカラターエフのいた場所から1発の銃声が響いたのを明確に聞きます。
そして、『カラターエフの死』を理解しました。
それは決して悲しいことでは無い、カラターエフはあらゆる苦難を受けて『死を恐れない』境地に達したからこそ、神に選ばれたのだ、と理解します。
しかし、彼自身はまだ『生き続ける』事を使命と感じています。
彼は厳しい表情で歩き続けるのでした。。
(追記)
つまらない事ですが、下線部分は、敵側の(個人としての)フランス兵の苦悩を表している部分ですね。
いつも言うように、トルストイは敵国の兵士個人も、やっぱり同じ人間としての『情』を持っていたのだ、と言う主張を時々しています。