戦争と平和 第4巻・第3部(1)1812年の戦闘でフランス軍の方が消滅した事実は歴史の法則に逸脱 | 気ままな日常を綴っています。

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(物語)

ボロジノ会戦、それに続くモスクワの占領、そして新たな戦闘も無くフランス軍の退却、これは歴史上最も教訓的な現象の1つです。

ある王、ある皇帝が、他の王あるいは皇帝と不和になり、軍隊を招集し、敵の軍隊と戦い、勝利を収め、3千、5千、1万の人間を殺し、その結果その国家と数100万の全民族を征服したかという事件の歴史的記述がどれ程奇妙であっても、何故に全民族の100分の1程の1つの軍の敗北が、全民族を屈服させたのか、ということがどれ程不可解であってもーー歴史上の全ての事実が、1民族の軍隊の多民族の軍隊に対する成功が大きいか小さいかが、その民族の力が大きくなるか、小さくなるかの原因かあるいは重要な要素である事を確認しています。

軍が勝利を得れば、直ちに破れた民族の損失において勝った民族の権利は増大し、軍が敗北を喫すれば、たちまち敗北の程度に従って、その民族は権利を失い、自国の軍が完全に破れた場合は、その民族は完全に征服されるのです。

 

歴史の示す所に拠れば、古代から現代に至るまでそうでした。

ナポレオン戦争もこの法則に従っています、オーストリア軍の敗北の程度に従ってオーストリアはその権利を失意、フランスの権利と力が増大しています、イエナとアウエルシュテット付近におけるフランス軍の勝利は、プロイセンの自主独立を葬り去っています。

 

ところが意外にも、1812年にフランス軍がモスクワ付近で勝利を収め、モスクワは占領されました、そしてその後新たな戦闘が行われた訳でも無いのに、消滅したのは60万の軍と、それに続いてナポレオンのフランスだったのです。

これは何を意味するのでしょうか❓

もし、この事件が小部隊による短時間の衝突というようなものであったら、我々はこの現象を例外と取る事が出来たかも知れません。

ところがこの事件は、我々の父達の目の前で行われ、父達もこれは祖国の存亡を決する大事件だったのです、しかもこの戦争は史上有名な全ての戦争の中の最大なものでした。

 

1812年のボロジノ会戦からフランス軍壊滅に至る時期は、戦場の勝利は征服の原因では無いばかりか、征服の不変の指標ですら無い、という事を立証したのです。

民族の運命を決定する力は、侵略者にあるのでは無く、軍と戦闘にすらあるのでは無く、何か特別のものに有る事を証明したのでした。

 

フランスの歴史家達は、モスクワを出る前のフランス軍の状態を描きながら、偉大な軍は厳正な規律の下に置かれており、ただ騎兵と砲兵と輜重だけは例外で、それも馬と有角家畜の飼料が無かった為だ、と断言しています。

周辺の百姓達が、その干し草を焼き、フランス兵達に渡さなかったので、この困窮をいかにしても救う事が出来なかった、と言うのです。

 

例えば、フェンシングの規則に従って、剣を持って決闘に臨んだ2人の男を想像して見ましょう。

剣による撃ち合いがかなり長時間続きました。

ふいに1人が、傷を受けた事を感じ、それが生命に関わる程のものである事を悟り、いきなり剣を投げ捨てて、とっさに手に触れた棍棒を握るなり、それを振り回し始めたとします。

目的達成の為により悪い、極めて簡単な手段を、これほど利口に用いたその男が、同時に騎士道の伝統に深く恥じて、事の真相を隠したくなり、自分はフェンシングの全ての規則に従って剣によって勝ったのだなどと主張したとします。

規則に決闘を要求した剣士はフランス軍であり、剣を捨てて棍棒を振り上げた相手はロシア軍です。

フェンシングの規定の中で全てを説明しようとする人々がーーこの事件を書いた歴史家達です。

 

スモーレンスクが焼けた時から、これまでの戦争のいかなる伝統に従わぬ戦争が始まったのでした。

都市や村落の焼き払い、戦闘前の退却、ボロジノの激突、そしてまた退却、モスクワの炎上、略奪兵達の逮捕、輸送物質の横取り、パルチザン戦法ーーこうした事は皆、規則からの逸脱でした。

 

ナポレオンはそれを感じていました。

そして、フェンシングの正しい姿勢を取ってモスクワに留まり、自分の頭の上に剣の代わりに棍棒が振り上げられたのを見ました。

その時以来、彼は、戦争が全ての規則に反して行われていると、絶えずクトゥーゾフ とアレクサンドル皇帝に苦情を訴え続けたのでした。

しかし、それにもかかわらず、民衆の戦いという棍棒の有らん限りの恐ろしい恐ろしい壮大な力が振り上げられ、規則も問わずに、愚かしいほど単純に、しかし適宜に、相手の見境も無く、ロシア国土から完全に追い払うまでフランス軍の上に容赦無く振り下ろされたのでした。

 

我が民族に幸いあれ❗️試練の時に、規定によればこのような場合、他の人々はどうするか❓などと問いもせずに、あっさりと気軽に手に触れた棍棒を握り、その心の中の屈辱と復讐の念が、軽蔑と哀れみに変わるまで、容赦なく殴り続けるそのような民族に幸いあれ❗️

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(解説)

1812年の一連のボロジノの会戦は、歴史的に見ても珍しい現象が起きていた、というトルストイの観察と考察ですね。

通常、軍が勝利を得れば、直ちに破れた民族の損失において勝った民族の権利は増大し、軍が敗北を喫すれば、たちまち敗北の程度に従って、その民族は権利を失い、自国の軍が完全に破れた場合は、その民族は完全に征服されると言うのが、一般的な戦争の結果です。

この時までの従来の戦争は、皆、この一般原則に従って、民族が勢力を増したり消滅したりしていたのですね。

 

ところが、1812年のボロジノ会戦では、フランス軍がモスクワ付近で勝利を収め、モスクワはフランス軍に占領されたにもかかわらず、さらに、その後新たな戦闘が行われた訳でも無いのに、消滅したのは60万のフランス軍と、それに続いてナポレオンのフランスだったのです。

これは如何に説明すべきか❓と言う考察が以下に記された事柄です。

 

すなわち、一言で言えば、1812年のボロジノ会戦からフランス軍壊滅に至った事は、戦場の勝利は征服の原因では無いばかりか、征服の不変の指標ですら無い、という事を立証したと言う事です。

そうであれば、戦争に勝利した方が民族の権利を得ると言う一般原則から外れた『何か特別な力』がそこに作用したと解さねばなりません。

ここでは、トルストイはフェンシングの作法に則ってこの現象を説明しています。

つまりーー剣を持って決闘に臨み、剣による撃ち合いがかなり長時間続いた後、ふいに1人が、傷を受けた事を感じ、それが生命に関わる程のものである事を悟り、いきなり剣を投げ捨てて、とっさに手に触れた棍棒を握るなり、それを振り回し始め、その結果棍棒を振り上げた方が相手方を叩きのめした、と言う状況にボロジノの会戦の結果は似ているようなものだ、と言う事です。

 

つまり、フェンシングの作法に従って、戦おうとしたフランスに対し、本能的に自分達民族を守ろうとしたロシア側が、『ちょっと作法に逸脱して』何が何でも征服されるものか❗️と思って、手当たり次第に棍棒(それが作法に反しようが)を振り上げた結果だったに過ぎない、と言う考察のように読みました。

そのようなロシア民族に「あっぱれ❗️」とロシア人のトルストイが喝采しているのですね。

なかなか難しい箇所で要約も正確ではないと思いますが、このように私は読みました。

次の項目では、『棍棒を振り上げたロシア人』の意味を、トルストイは具体的に説明してくれています。