(物語)
クトゥーゾフ は、夜は良く眠れませんでした、彼は服のまま寝台の上に横になり、大抵は眠られずに考え事をしていました。
皇帝と私信を交わしており、司令部内では最も力を持っているベニグセンが、クトゥーゾフ を避けるようになってから、クトゥーゾフ は無益な攻撃行動への参加を強いられない、という点ではむしろ前よりも安心していました。
クトゥーゾフ の記憶に苦々しい跡を残したタルーチノの戦闘とその前日の教訓も、彼らに反省させぬはずが無い、彼はそう思っていました。
『我々が攻撃に出れば、損をするだけだという事が、彼らにもわかるはずだ。忍耐と時間、これがわしの軍神なのだ❗️』と、クトゥーゾフ は考えました。
りんごは熟すまでもぐ必要が無い事を、彼は知っていました、りんごは熟すれば、ひとりでに落ちるのです。
クトゥーゾフ は、野獣(=フランス軍)が傷ついた事を、そしてそれはロシアの総力が与えた傷である事を知っていましたが、それが致命傷であるか否か、まだ確認されぬ問題でした。
ロリストンとペルテレミと、軍使派遣と、パルチザン部隊からの報告によって、野獣の傷が致命傷であることは、概ね判ってはいましたが、もっとその確信が必要と思ったのでした。
『彼ら(=ベニグセンとか)は、どんな傷を負わせたのか見に行きたくてうずうずしとる。やれ作戦だ、やれ攻撃だと❗️何の為に❓皆、手柄を立てたいのだ。彼らはまるで子供だ。何がどうなっているかも、まるでわかっちゃいない。だから皆、戦いのうまさを人前に見せたがるのだ。今はそんな事は問題じゃ無いのに。。』と、クトゥーゾフ は考えました。
ボロジノで与えた傷が致命傷であったか否か、と言う未解決の問題が、すでに1ヶ月クトゥーゾフ の頭の上に垂れ下がっていました。
一面から見れば、フランス軍がモスクワを占領しました。
その反面、クトゥーゾフ は、自分が全てのロシア人達と共に全力を出し尽くしたあの一撃が、致命傷を与えぬ訳が無い事を、その全存在で感じていました。。しかしーー何と言っても、その確証が必要だったのでした。
しかし、彼は、既にそれを1ヶ月待っていたのでした。
そして、彼は焦りから、『そのような事をしてはならぬ』と日頃若い将軍達をたしなめていた、その同じ事を、自分もしているのに気づくのでした。
彼はナポレオン軍の、全軍の、あるいは一部のあらゆる動きを仮定的に考えてみましたーーペテルブルグへの動きも、彼に向かってくる動きも、彼を包囲しようとする動きも考えてみましたし、彼が最も恐れていた事、つまり、ナポレオンも彼の戦法をそっくり盗んでモスクワに留まり、こちらの出方を待つのでは無いか❓と言う事も考えてみました。
しかし、彼が予想出来なかったことが、1つだけ有りました。
それは、実際に行われた事、つまり、モスクワを出てから最初の11日間のナポレオン軍の、最後のあがきにも似た、狂気の疾走でした。
この疾走が、すなわち、フランス軍の壊滅を可能にしてくれたのでした。
プルシエ師団についてのドーロホフの報告、ナポレオン軍の悲惨さについてのパルチザン達からの情報、モスクワを出る準備をしていると言う噂ーーこうした全てが、フランス軍の傷が深く、逃走を企てていると言う予想を裏付けていました。
しかし、これはあくまでも予想に過ぎず、若い将軍達には重大なものに思われても、クトゥーゾフ を納得させるものでは有りませんでした。
彼は60年に渡る来県から、噂というものに、どの程度の比重を置くべきかを心得ていましたし、人間が何かを強く望んでいると、ぞの望みを裏付けるかのようにあらゆる情報を整理しがちだ、と言う事を承知していたのでした。
だからクトゥーゾフ は、それを強く望めば望む程、軽々しくそれを信じる事を、自分に許さなかったのでした。
しかし、彼1人だけが予見していたフランス軍の壊滅、それが彼の心の全てを捉えていたただ1つの渇望だったのでした。
10月11日の夜更け、彼は横たわり、上記の事を考えていたのでした。
隣室に人の動く気配がして、トーリとコノヴィニーツィンとボルホヴィチノフの足音が聞こえて来ました。
「おい、誰だ❓入りたまえ、さあ❗️何か変わった事か❓」と、元帥は彼らに声を掛けました。
従卒が蝋燭を灯す間に、トーリは報告の内容を伝えました。
「誰が持って来たのか❓」
「(フランス軍の全主力軍がフォミンスコエ村に集まっているのは)疑う余地は無いと思います、閣下。」(トーリ)
「その者(=ボルホヴィチノフ)をここへ呼んでくれ❗️」
クトゥーゾフ は、急使の顔に、その心の中に有るものを読み取ろうとするように、よく見極める為に鋭い目を細めました。
「さ、話したまえ、君。」
ボルホヴィチノフはまず命じられた事をすっかり詳細に報告しました。
ボルホヴィチノフは、全てを語り終えると、沈黙して命令を待ちました。
トーリが何か言い出しかけると、クトゥーゾフ はそれを遮りました。
彼は何か言おうとしましたが、ふいに目が細くなり、顔がしわくちゃになりました。
彼はトーリに片手を振ると、顔を背け、たくさんの聖像が飾られている為に黒っぽく見える奥の正面に向き直りました。
「主よ、我らの神よ❗️よくぞ我らの祈りを聞き届けて下さりました。」と、彼は合掌し、震える声で言いました。
「ロシアは救われました。感謝致しますぞ。主よ❗️」そして、彼は泣き出しました。
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(解説)
ここでは、フォミンスコエ村に村には、攻撃命令が出た時点ではプルシエ軍が居ただけでしたが、戦局の変化で、今はフランス軍の全主力軍がそこに居る事が判明したので、そこへ進撃命令を出されていたドーフトゥロフが、このまま攻撃を掛けるのは、自分達が小部隊に過ぎない事から適切でないと判断し、総司令官のクトゥーゾフ に判断を仰ぐ急使ボルホヴィチノフを派遣した場面での、当のクトゥーゾフ の反応ですね。
クトゥーゾフは、恐らくボロジノで、全てのロシア人達と共に全力を出し尽くしたあの一撃がフランス軍に致命傷を与えなかったはずはな無い、と確信に近いものを持っていました。
だから、ナポレオン軍の出方をじっと観察していたのですね。
その間、クトゥーゾフは、敵のあらゆる戦法をシュミレーションしてみたりしていました。
一番マズいのは、ナポレオンもじっとこちらの出方を伺って待っている場合でした。
そして、クトゥーゾフは、恐らくロシア軍は、フランス軍に致命傷を負わせているはずだ、それはプルシエ師団についてのドーロホフの報告、ナポレオン軍の悲惨さについてのパルチザン達からの情報、モスクワを出る準備をしていると言う噂ーーからもほぼ確信しても良いくらいでした。
しかし、その確信が確実で無い限り、今、ロシア軍が下手に動くのは無駄な事だ、相手はひょっとして自滅しかかっているのかもしれない。。下手に動くのは軍の犠牲を増やすだけだ。。と考えていたのですね。
それを、ベニグセンやトーリや若い将軍達は、功を焦って、クトゥーゾフに攻撃の進言をしているのですね。
クトゥーゾフはそれらの進言を退けてじっと時季を待ちます。
そこへやって来た急使のボルホヴィチノフの報告を聞き、どうやらフランス軍は、講和も結べない、モスクワの統治も困難を極めている、寒さはやって来て食料も底をついた。。それでモスクワを逃げ出して、肥沃な穀倉地帯に行軍するのではなく、自分達の知っている元来た道(カルーガ街道)を引き返している、と判断するのですね。
もう、フランス軍は(寒さと飢えで)壊滅しかかっている。。クトゥーゾフは感謝の祈りを捧げます。