戦争と平和 第4巻・第2部(10−2)ナポレオンによるモスクワの統治はうまく行かなかった② | 気ままな日常を綴っています。

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(物語)

しかし、当時の至上命令の無力の最も驚くべき現象は、略奪をやめさせ、軍紀を回復させようとするナポレオンの努力でした。

軍の高官達は、次のような報告をしています。

 

『略奪行為は、中止命令にもかかわらず、市中に横行している。秩序は未だ回復されず、正規な商売を営む商人は1人も居ない。わずかに酒保(※軍事組織に食料や装備などを販売する商人)商人だけがまともに物を売っているだけで、それとて盗品である』

『本営の管区の一部は依然として第三軍の兵隊達の略奪に委ねられている。彼らは地下室に潜んでいる哀れな住民達の乏しい持ち物を奪う事で飽き足らず、残酷にも軍刀で住民達を殺傷している。本官は何度となくそのような場面を目撃したのである』

『異常なし。ただし兵達が略奪と強盗を依然として続行している。10月9日』

『強盗と略奪が続いている。我が管区に強盗の一味が出没している。強硬手段を講ずる必要があろう。10月11日』

『略奪を中止すべしとの厳令にかかわらず、窓から見えるのはクレムリンに引きあげてくる近衛の略奪兵の徒党ばかりで皇帝は極度に不機嫌である。旧近衛師団における軍紀紊乱と略奪行為は、昨日から昨夜そして今日と、かつて無いほどの激しさで再燃した。身辺護衛の任にあり、服従の範を示すべき選び抜かれた精鋭兵が、これほどまでに命令違反に感染し、軍の為に準備された倉庫や商店の破壊を欲しいままにする情けない有様を、痛ましい思いで見ておられる。兵達の中には、歩哨(※警戒・監視などの任に就く兵士)や巡察士官の制止を聞かぬばかりか、罵り返し、殴打するまでに、根性の腐れ切った者も少なしとしない有様である。』

 

『式部長官の強硬な訴えによれば、再三の厳重な禁止にも関わらず、兵達は未だに宮殿内で所構わず、皇帝のお部屋の窓の下でまで放尿しているそうである』と、総督が書いています。

この軍隊は、放たれた家畜の群れのように、彼らを餓死から救う事が出来るはずの草を踏み荒らしながら、無用なモスクワ滞在の間に日一日と崩壊し、破滅して行ったのでした。

それでも彼らは動きませんでした。

 

スモーレンスク街道で、輜重隊が急襲された事件と、タルーチノの戦闘とによって、ふいに青天の霹靂にも似た恐怖に肝を潰されて初めて、彼らは逃走を開始したのでした。

閲兵の最中にナポレオンに伝えられたこのタルーチノの戦闘の思いがけぬ知らせは、ティエールの語るところに拠れば、ナポレオンの胸中にむらむらとロシア軍小癪な、、という怒りを燃え立たせました。

そして彼は、全軍が望んでいた進撃命令を下したのでした。

 

モスクワを出るにあたって、この軍の全将兵は略奪した品々をことごとく運び出したのでした。

ナポレオンも自分が分捕った宝物を携行しました。

全軍を埋めた荷物の山を見て、ナポレオンは慄然としました。

しかし彼は、その戦争経験から、モスクワに迫った時、余分な一切の荷馬車の焼却を明示はしませんでした。

彼は兵士達が乗っている幌馬車や箱馬車の延々と続く列を眺めて、非常に結構な事だ、これは食料や病人や負傷者の為に役に立つ、とうそぶきました。

 

全軍の状態は、死を予想しながら、自分が何をしているのか知らぬ、傷ついた野獣の状態に似ていました。

モスクワ入城から破滅に至るまでのナポレオンとその軍隊の巧妙な作戦と目的を研究する事は、致命傷を受けた野獣の死の直前に跳躍やけいれんの意味を研究するに等しいのです。

よく、傷ついた野獣は、微かな物音を聞きつけて、猟師の銃声に向かって飛び出し、突進したり、逃げたりして、自分でその最期を早めます。

そして同じ事を、ナポレオンは自分の全軍への圧力によって行ったのでした。

 

タルーチノの戦闘の音が野獣を驚かせました、そして野獣は銃声に向かって飛び出し、猟師の側まで走ると、また身を翻し、そしてついにあらゆる野獣と同じように、もっとも不利で危険だが、覚えのある古い足跡を辿って逃げ出したのです。

この全ての動きの指導者のように思われていたナポレオンは、その活動の時期には、馬車の吊革に掴まって、自分が操縦していると思っている子供のような者だったのでした。。

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(解説)

ここでは、ナポレオンの再三の命令にもかかわらず、フランス軍の略奪が収まらなかった事、すなわち、商業を復活させるにしても正当なルートでの商品調達が出来ない大きな原因が、この略奪にあったらしい事が推察されます。

前にも考察しましたように、正式な講和を得ていないナポレオンの命令は、『侵略者のたわごと』に過ぎず、その違反に刑罰が付けられていたとしても、フランス軍のほぼ全員が略奪をしていた状態では取り締まる事は出来ません。

 

これをさらに遡ると、ロシア側は断固として講和に応じなかった、という事実にたどり着くことが出来ます。

ナポレオンがヨーロッパを侵攻し始めてもう10年も経過しようか。。という時期になってくると、さすがのロシアの知識人達も、ナポレオンの侵略の『成功の原因』が、被侵略国の統治権を掌握する者がマンマとナポレオンに白旗を上げ、講和に応じ、事実上、『自分の国をナポレオンに売った』のが原因だ、と気づいています。

だから、ロシア軍が崩壊しない限り、アレクサンドル皇帝は講和に応じず、クトゥーゾフ も軍を崩壊させない事=無駄な戦いを仕掛けないし、応じないという姿勢を徹底したのだと思います。

 

この事は、まず、ボロジノの会戦が始まりそうな時に、モスクワのピエール邸に居候していた公爵令嬢の『モスクワ民の間違った愛国心』に恐怖し、モスクワに漫然と留まりナポレオンの言う事に屈してはならない、と言う彼女の『真の愛国心』に通じます。

また、マリヤがボグチャーロヴォにフランス軍がもう来てる、フランス軍に助けを求めれば安泰だ、と言うマドモアゼル・ブリエンヌの言葉を振り切って『ロシア貴族たる者、ナポレオンに屈する訳にはいかない』と言うロシア貴族の誇り、さらにそのマリヤの心情に共感したニコライ・ロストフのロシア貴族魂にも通じます。

また、モスクワに住んでいた貴族階級・知識人達も、こぞってナポレオンの支配から逃れるようにモスクワを捨てています。

もちろん、彼らは、モスクワはフランス軍によって蹂躙されてもロシア主権は守られるのだ、と確信を持っての行動だったと思います。

 

すなわち、トルストイは、ロシアがフランス軍を最終的に壊滅することが出来たのは、皇帝を始めとするロシア国民の強い愛国心、真に統治権を守ると言う愛国心だった。。と言う風に述べているように思います。