(物語)
その頃、正面からもう1つの縦隊がフランス軍を攻撃する事になっていましたが、この縦隊にはクトゥーゾフが付いていました。
彼は、自分の意思に反して開始されたこの戦闘からは、混乱以外の何ものも生じない事を熟知していました。
だから、自分の力の及ぶ限り、軍を抑えていました、彼は動きませんでした。
クトゥーゾフは突撃の進言に物憂げに答えながら、黙々と愛馬の背に揺られていました。
「君達は何かと言うと、突撃を口にするが、ここでは高級な作戦が出来ぬ事がわからんのかな❓」と、彼は前進を進言したミロラドヴィチに言いました。
「朝ミュラーを生け捕りにする事も、時間通りに所定の地点に到着する事も出来なかった、今は何もする事が無いよ❗️」と、彼は別な将軍に答えました。
コサック達から、以前には1兵も見えなかったフランス軍の後方に、今はポーランド軍2個大隊が集結している、という事を報告されると、クトゥーゾフ は後ろのエルモーロフ にちらりと横目を投げました(彼は昨日からまだエルモーロフ と口は聞いていませんでした)。
「しきりに攻撃を唱え、様々な作戦案を進言しておきながら、いざ事を始めると、何の準備も出来ておらん、先制された敵の方がいち早く策を講じとるよ。」
この言葉を聞くと、エルモーロフ は眩しいような目をして、微かな微笑をもらしました。
彼(=クトゥーゾフ )の頭から雷が去り、クトゥーゾフ がこの仄めかしだけで勘弁した事を、彼は悟ったのでした。
「あれは俺をあてこすって、溜飲を下げているのさ。」と、エルモーロフ は側に立っていたラエフスキイを膝でつついて、そっと言いました。
それから間も無く、エルモーロフ はクトゥーゾフ の前に馬を進めて恭しく報告しました。
「大公爵閣下、時機は失しておりません。敵はまだ逃げた訳ではありません。攻撃を命じられてはいかがと❓さもないと、親衛隊は煙も見ずじまいになります。」
クトゥーゾフ は何も言いませんでした、しかしミュラーが退却を開始したという報告を受けると、彼は前進を命じました。
しかし、100歩前進する毎に、45分の休止を取らせました。
要するに、戦闘は、オルロフ・デニーソフ の軍のコサック達が行ったものだけでした。
後の諸部隊は、無駄に数100名の兵を失ったに過ぎなかったのでした。
この戦闘の結果、クトゥーゾフ は金鉱石1石の勲章を授与されました、ベニグセンも金鉱石と10万ルーブリの賞与を受けました、他の人々も階級に応じてたくさんの嬉しい褒賞を受けました。
そしてこの戦闘の後に、総司令部ではさらに新しい人員異動が行われました。
「わが国ではいつもこうなのさ、やる事が逆さまなんだ❗️」と、タルーチノの戦闘後にロシアの士官達や将軍達が語り合いました。
しかし、およそ戦争というものはーータルーチノ、ボロジノ、アウステルリッツ、いずれを問わずーー指揮官が予想したようには進展しないものなのです、これが本質的な条件なのです。
無数の自由な力が(なぜなら、事が生死に関わる戦場においてほど、人間が自由な所は無いからです)戦闘の方向に影響を与えるものであり、この方向は絶対に予知し得ないし、ある1つの力の方向と一致する事は絶対に無いのです。
もし、多くのまちまちな方向に向けられた力が同時にある物体に作用するとしたら、その物体の運動の方向がそれらの力の1つと一致する事はあり得ないのです。
そうした場合は、常に中間の最短の方向を取るもので、それは力学では力の並行四辺形の対角線として表されます。
歴史家、特にフランスの歴史家達の記述に、戦争や戦闘が予め作成された計画に基づいて行われるという説を見出す事が有りますが、そこから我々が引き出しうる唯一の結論は、それらの記述は間違いである、という事です。
タルーチノの戦闘は、明らかに作戦命令に従って規則的に諸部隊を戦闘へ投入するという、トーリが考えていた目的を達し得なかったし、ミュラーを捕虜にするというオルロフ伯爵があるいは果たし得たかも知れぬ目的も、ベニグセンその他の将軍達の一挙に全軍団を殲滅するという夢では無かった目的も、戦闘に参加して殊勲を立てる事を望んでいた士官の目的も、もっと獲物を手に入れようと欲を出したコサックの目的も、いずれも果たされませんでした。
しかし、目的が、現実に行われた事とフランス人をロシアから駆逐しフランス軍を撃滅する事に有ったとしたら、タルーチノの戦闘こそは、ほかならぬその愚かしさの為に、まさにその時期に必要とされたまさに『そのもの』であったのでした。
タルーチノの戦闘においては、最小の緊張と、最大の混乱と、最も軽微な損失で、戦争全期を通じて最大の結果が得られ、ナポレオン軍の逃走開始を与えたものだったのでした。
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(解説)
はい。ここではクトゥーゾフ が率いる縦隊ですら、予定通りの時刻に予定通りの地点に達せなかった事が記載されていますね。
クトゥーゾフ は、もう、今更攻撃しても無意味だろう。。と考えていますが、側近達は進撃を進言して来ます。
仕方なくクトゥーゾフ は、ミュラーが後退したとの情報を受けて、前進の命令を与えます。
しかし、その内容は100歩前進して45分休止するという、到底突撃とは言い難いものでした。
クトゥーゾフ の内心は、これ以上無駄な戦闘を避けるのが良策だ、と思っていたからでしょう。
結局、タルーチノの戦闘は、オルロフ伯爵が率いるコサック軍だけが行なったものだけでしたが、それでもこの戦闘はフランス軍に大きな打撃を与えたのでした。
結局、この戦いで全体としてロシアはフランス軍に勝利し、フランス軍に壊滅的な打撃を与えたのでした。
皇帝からは、特に活躍もしなかった部隊にも階級に応じて褒賞が与えられた事が述べられています。
トルストイは、この戦闘の位置付けを、作戦計画が素晴らしかった訳ではなく、偶然が重なり合って、フランス軍にもっとも打撃を与えたものだったと考察しています。
タルーチノの戦闘の実態は、ロシア軍そのものも決して機敏に行動していた訳でも無い、という事実説明がその事を物語っているように思います。