(物語)
アンドレイ公爵のうめき声を聞きつけると、ナターシャは靴下を置き、彼の方へ身を曲げました、そして思いがけなく、彼のきらきら光る目を見ると、軽やかな足取りで側に行き、彼の上に身をかがめました。
「お休みじゃありませんでしたの❓」
「いや、さっきから貴女を見てたんです。貴女が入って来た時に、わかったのですよ、貴女の他は誰も居ませんもの、僕にあの柔らかな静けさを。。あの光を与えてくれるのは。僕は嬉しさの余り泣きたくなって。。」
ナターシャは一層彼の側に寄りました、その顔は感動に濡れた喜びに輝いていました。
「ナターシャ、僕は貴女を余りにも愛し過ぎています。この世の何よりも。」彼女は、一瞬顔を背けました。
「どうして余りにもですの❓」と、彼女は言いました。
「どうして余りにも。。じゃ、貴女はどう思います❓心の中で、心の全てで、どう感じています❓僕は生きられるでしょうか❓貴女はどう思います❓」
「あたしは信じていますわ、絶対に❗️」と、感極まったように彼の両手を握りしめて、ナターシャはほとんど叫ぶように言いました。
彼はしばらく黙っていました。
「そしたら、どんなに良いだろう❗️」そして、ナターシャの手を取って、彼は接吻しました。
ナターシャは幸福に胸を躍らせました、しかし直ぐに、これはいけない事、彼には安静が必要な事を、彼女は思い出しました。
「でも、お休みにならなかったのね❗️」と、彼女は喜びを抑えながら言いました、「お休みになってね、お願いですわ。。」
彼は、彼女の手を握っていた手に、ぐっと力を入れてから離しました。
彼女はろうそくの側に戻り、また元の姿勢をとりました、2度、彼女は彼の方を伺いました、その度に彼の目がきらきらと迎えました。
彼女は靴下をここまで編む事と決めて、そこに行くまで彼の方を見ない、と自分に言いました。
果たして、それから間も無く彼は目をつぶり、眠りに落ちました。
彼が眠ったのは短い間で、冷たい汗をかいてハッと怯えたように目をさましました。
眠りに落ちる時に、彼はこの頃ずっと考え続けている問題ーー生と死の問題を、考えていました、そして、むしろ『死』の方を余計に考えていました。
彼は自分が『死』の方に近い事を感じていました。
『愛❓愛とは何か❓』と、彼は考えました。
『愛が死を妨げている。愛とは『生』だ。全ては、俺が理解している全ては、俺が愛しているからのみ、理解出来るのだ。全てが在るのは、すべてが存在するのは、要は俺が愛しているからだ。全てが愛だけで結ばれている。愛は『神』だ。そして『死』とはーー俺と言う愛の粒子が、全体の永遠の泉に帰る事だ』
この考えが、彼の心を休ませてくれたようでした。
しかし、それは単に考えに過ぎませんでした、そこには何かが足りませんでした。
何か一面だけをなすった1人よがりの知的遊戯のようなものが有ってーー自明さが有りませんでした。
そして、やはり不安と曖昧さが残るのでした。。彼はそのまま眠りに落ちたのでした。。
彼は夢を見ました。。彼は夢の中では負傷をしていないで健康でした。
たくさんの様々な、つまらない、無関心な顔が、アンドレイ公爵の前に現れました、彼はその連中と話をし、何かつまらない事で遣り合っていました。
アンドレイ公爵は、こんな事は皆下らない事で、彼には他にもっと重要な問題がある事が、ぼんやりわかっていましたが、それでも話を続けて、何やら無意味な諧謔(かいぎゃく:おどけた滑稽な言葉)を弄して彼らを感心させていました。
彼らは少しずつ、目立たないように姿を消し始めて、ついに扉に鍵を下ろすだけになりました。
彼は立ち上がり、扉に掛金をかける為に、そちらへ行こうとしました。。彼が早く掛金をかける事が出来るか、出来ぬかに、全てが掛かっていました。
彼は行こうとして気が焦りますが、足が動きませんでした。
そして掛金をかけるのが間に合わぬ事が、わかっていましたが、それでもなお苦痛なまでに力を振り絞っていました。
苦しい恐怖が彼を捉えていました、そしてこの恐怖こそが『死の恐怖』だったのでした。
扉の陰に『それ』が立っているのでした。
彼が力無く、無様に扉に這い寄ると同時に、この何か恐ろしいものが、すでに向こう側から扉を押し開けて、部屋に入ろうとしているのでした。
人間ならぬ何ものかがーー死かーー扉口から入ろうとしているのでした。
入れてはならぬ、掛金をかける事はもう出来ぬ。。せめて扉を押さえる酒でもせねばならない。
だが、彼の力は弱いし、踏ん張りが利かないのでした。。
ーーーーー
(解説)
アンドレイ公爵は、ナターシャに見守られながら眠りに就こうとします。
もう、ナターシャは以前のナターシャではありません。
アンドレイ公爵は、ナターシャが以前のようなキラキラとした生きる象徴のようには感じていないと思います。
ナターシャは神への愛に目覚め、その愛でアンドレイを看護しているのですね、しつこい様ですが、ナターシャは、アンドレイ公爵との将来を期待してアンドレイ公爵の元に来た訳では無いのです。
アンドレイは、ナターシャの変貌に、再会した時から感じていたと思います。
それを前提にアンドレイのモノローグは読むべきだと思います。(今更ですが)
ナターシャに見守られながら、アンドレイ公爵は眠りにつきます。
ナターシャへの愛ゆえに『生』きなければならない、とアンドレイは心のどこかで願っているのですね。。
それで、彼は『愛とは生きる事だ』と思います。そして、『死』とはーー『俺と言う愛の粒子が、全体の永遠の泉に帰る事』と、理解します。
しかし、それでは彼は釈然としないのですね、なぜなら『生命の愛と死後の愛は同じものではない』と言う意識が彼の内部に有るからです。
彼は夢を見ます。
そこでは、アンドレイ公爵は元気で、現世で活躍し、周囲の者と談笑しています。
やがて客達は帰り、アンドレイは扉を締めなければならない、と焦りますが足が思う様に動きません。
そうです、彼は、もう、この世に留まれないと言う自分の運命と戦っているのですね、夢の中では現世で皆に評価されているのだから。。
なんとか彼は扉に辿り着きますが、扉を閉めるのに間に合いません。
彼は、扉をこじ開けてこちらに来ようとする『死』と言う運命に逆らおうと必死です。。