(物語)
「私も(ボロジノに)居たんですよ。」と、ピエールは言いました。
「ええっ、本当ですか❗️そりゃますます好都合だ。」と、フランス士官は続けました、「しかし貴方がたは勇猛な敵だ、これは認めない訳にはいかん。あの大堡塁は実に立派に持ち堪えましたな。その為に我々はどれ程の犠牲を払わされた事か。私はあそこに3度突っ込んだんですよ。3度我々はあの砲台を取り、3度追い落とされたのですよ。貴方がたの将軍達は実に立派でした、本当です。6度隊列を立て直し、まるで閲兵式のように堂々と進んで来るのを、私は見ていたんですよ。なんと言う素晴らしい民族でしょう❗️戦争の中から生まれたようなわがナポリ王が、彼らの進撃を見て、思わずブラヴォ❗️と叫ばれたほどですよ。」と、彼はちょっと間を置いて言い添えました。
「その方がよろしいですよ、ムッシュー・ピエール。戦場で強い者は。。女には。。」彼はにやにや笑いながら目配せしました。「美人には優しいとか。。フランス人がそれですな、ムッシュー・ピエール、そうじゃありませんか❓」
大尉のあまりにも無邪気で、底抜けた陽気で、天真爛漫で、すっかり自分に満足し切っていたので、ピエールは楽しそうに彼に見惚れながら、危うく自分も目配せしそうになりました。
どうやら『美人』と言う言葉が、大尉にモスクワの状態を思い出させたらしいのでした。
「そうそう、これをお尋ねしようよ思っていたのですが、婦人達がすっかりモスクワを立ち退いてしまったと言うのは、本当ですか❓不思議ですねえ。。一体何を恐れたのでしょう❓」
「もし、ロシア軍がパリへ入ったら、フランスの婦人達はパリを立ち退かないでしょうかな❓」と、ピエールは言いました。
「はっはっ❗️。。いやあ❗️これは1本取られましたな。」と、フランス士官はピエールの肩を叩きながrた愉快そうに高笑いをしました。
「パリですか❓。。だがパリは。。パリは。。」
「パリは世界の首都ですものね。。」と、ピエールは相手の言葉に締めくくりをつけました。
大尉はピエールを見つめました、そして笑みを含んだ優しい目でじっと相手を見つめる癖が有りました。
「全く、もし貴方がロシア人だと私に言わなかったら、貴方はパリっ子だと、私は賭けた事でしょうな。。」
「私はパリに居ました。何年か暮らしたのですよ。」と、ピエールは言いました。
「そうでしょうとも、直ぐにわかりますよ。パリを知らぬ者は野蛮人ですよ。2マイル先からでもパリっ子はわかりますからな。世界中にただパリあるのみですよ。貴方はパリに住みながら、ロシア人として留まった。それも良いでしょう。だからと言って貴方に対する私の尊敬の気持ちは変わりません。」
暗い考えを抱いたまま、1人切りで何日かを過ごした上に、ぶどう酒を飲んだ為に、ピエールはこの快活な気の良い士官との話に思わぬ喜びを覚えていました。
「ところで、お国の婦人達の事に話を戻そうじゃ有りませんか。大変な美人が多いそうですね。フランス軍がモスクワに入るから隠れるなんて阿呆な考えに取り憑かれたんでしょうな❗️素敵な機会をみすみす逃してしまうなんて。。でも貴方のような教養のある方々なら、私達の事を良くご存知のはずですよ。我々は、ウイーン、ベルリン、マドリード、ナポリ、ローマ、ワルシャワと、世界中の首都を占領しました。
我々は恐れられていますが、愛されてもいます。我々を身近に知る事は、損にはなりませんよ。それは皇帝が。。」と、大尉が言いかけると、ピエールはそれを遮りました。
「皇帝が。。」と、ピエールはおうむ返しに言いました、するとその顔に暗い狼狽の表情が現れました。「皇帝がどうしたのです❓」
「皇帝ですか❓。。それは寛容、正義、秩序、天才、これが皇帝ですよ❗️私、ランバールは、8年前は皇帝の敵でした。私の父は伯爵で、亡命者でした。ところが、彼に私は負けたのです。彼は私の心を虜にしたのです。彼がフランスを覆った偉大と栄光の輝かしい光景の前に、私は抗える事が出来なかったのです。私が、彼が何を望んでいるかを悟った時、彼が我々の為に栄光の座を用意してくれているのを見た時、私は自分に言って聞かせたのです。これこそ皇帝だ、と。そして、私は彼に身を捧げたのです。」
「では、皇帝はモスクワに❓」と、口ごもって、心にやましい所があるような顔をして、ピエールは言いました。
フランス士官は、ピエールの不安そうな顔を見て、失笑しました。
「いや、皇帝の入城は明日ですよ。」と、彼は自分の話を続けました。。
2人の話は。門の辺りで起こった何人かの叫び声と、従卒モレールが入って来た為に断ち切られました。
モレールは、ヴィルテンベルヒの軽騎兵達が来て、大尉の馬が置いてある庭に自分達の馬を入れようとしている、と報告しました。
この厄介ないざこざが起こったのは、要するに、軽騎兵達が何を言われているのか解らない為でした。
ピエールは、ドイツ語も知っていたので、ドイツ人下士官の言った事を大尉に通訳してやり、大尉の返答をドイツ語でヴィルテンベルヒの軽騎兵に伝えてやりました。
言われている事がわかると、ドイツ人下士官は承服して、部下を連れ去りました。
大尉は玄関へ出て行き、何やら大声で命令を与えました。
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(解説)
実はピエールがボロジノに居たと言う話を聞いて、ランバール士官はますます活気付いてロシア軍の勇壮ぶりを褒め称えます。
そして、強い男達は女性には優しいものだ。。とどうやらトルストイは美しい若いフランス士官を通じて、ピエールとこの男との間で『女性談義』をやらせたい様です。
フランスといえば、恋愛においても当時では世界最高だったでしょうから。
ランバールは、せっかく自分達がモスクワに入場したのに、ロシアの貴婦人達がその前に逃げてしまっている事を残念がります。
せっかくフランス人の男性がたくさんモスクワに入るのに、なんでロシア美人達は『恋愛のチャンス』を逃してしまう様なことをするのだ、とピエールに語ります。
フランスは、世界中の首都を征服して恐れられてはいるが、愛すべき存在だ、と彼は言います。
そして、伯爵家の生まれであるランバールは、元々はナポレオンの敵だったのが、今は彼に身を捧げているのだ、と自分の過去を語ります。
ピエールは、ランバールの話の中で、ナポレオンが明日モスクワに入る事を知ります。
そこへ門の辺りで人が騒ぐ声や音が聞こえます。
ランバールの従卒モレールが来て、ヴィルテンベルヒの軽騎兵達が来て、大尉の馬が置いてある庭に自分達の馬を入れようとしている、と報告しました。
どうやら騒ぎは、フランス語が理解できない軽騎兵達が何を言われているのか解らない為でした。
ピエールは、フランス語にもドイツ語にも長けていたので、ドイツ人下士官の言った事を大尉に通訳してやり、大尉の返答をドイツ語でヴィルテンベルヒの軽騎兵に伝えてやりその場は丸く収まります。
(追記)
最初のピエールの登場は、どうもパッとしないただのピエール(※彼は著名な高官の父の庶子に過ぎなかっった)みたいに見えましたが、読み進めていくうちに、ピエールの魅力がだんだん引き出されていっている様な感じがします。
この人は太っているという設定ですが、肝は座っているし、戦場では、混乱してもおかしく無い状況でフランス士官を締め上げて相手方を恐怖させています。
それに、ナポレオンの暗殺の計画はピエールの頭の中の計画に過ぎないかも知れませんが、この人、射撃能力も高そうですね。そういえばあの戦争の寵児ともいうべきドーロホフにも遅れを取っていませんでしたしね。
ここに来て、今度は、ピエールの学術能力の高さが示されています。
農奴改革に失敗した風な記載もありましたが、この人は方向性さえ間違えなければ、相当な高い水準の学問を身につけていたことがここで示されています。
そして極め付けが『心の美しさ』ですね。
これは、ピエールが大金持ちになりながらも、決してそれに溺れて何も考えない人間に成り下がって行くのではなく、むしろ逆に『自分は何者なのか❓自分はこれで良いのか❓』と常に問い続ける誠実な人間です。
そして、ナターシャに対する愛は崇高そのものです。