(物語)
少佐は相好(※訳文ママ)を崩しながら、軍帽のつばにさっと手をあてました。
ナターシャは静かに質問を繰り返しました、そしてその顔も、態度全体もひどく真剣だったので、少佐は笑いを引っ込め、これがどの程度まで許せるものか、と自問するようにしばらく思案してから承諾の返事を与えました。
「よろしいですとも、いけない訳がありません、構いませんよ。」と、彼は言いました。
ナターシャは軽く一礼すると、士官の顔を覗き込みながら、慰める言葉を掛けていたマーヴラ・クジミニーシナのところへ大急ぎでとって返しました。
「構わないって、隊長さんが言ったわよ、よろしいって❗️」と、ナターシャじゃ囁くように言いました。
士官の幌馬車は家の門内へ入りました。続いて負傷者達を乗せた何十台家の馬車が、それぞれ住民達に招かれて、ボワルスカヤ通りの家々の庭に入り、車寄せに着き始めました。
ナターシャはマーヴラ・クジミニーシナと一緒に、出来るだけ多くの負傷者達を我が家の門内へ迎え入れようと勤めていました。
「やはりお父様に申し上げなければいけませんよ。」と、マーヴラ・クジミニーシナは言いました。
「いいわよ、そんな事、どうせ同じ事じゃありませんか❗️1日ですもの、あたし達客間に移ればいいわ。何なら、あたし達の方を全部明け渡しても構わないわよ。」
「やれやれ、お嬢様ったら、何を言い出すやら❗️そうねえ、せめて傍屋や、下男部屋や、ばあや達の部屋にでも入れてあげられたらねえ。。それだって旦那様にお伺いしなければ。」
「いいわ、あたし頼んでみるから。。」
ナターシャは家の中へ駆け込んで行きました、そして酢とホフマン水薬の匂いの流れているソファ室の半開きの扉口へ、爪立ちでそっと入りました。
「眠っているの、ママ❓」
「ああ。。嫌な夢だ事❗️」と、やっととろとろ仕掛けた伯爵夫人は、目を覚ましながら言いました。
「ママ、ごめんね、ママを起こしちゃったのね、あちらに負傷兵の方々が運び込まれたのよ。士官さん達なの。お許し下さるわね、ママ❓だって、皆さん何処へも行く所が無いし、ママはきっとお許し下さるって、あたし分かってる物ですから。。」と、ナターシャは母にひざまずき、息もつかずに急いで言いました。
「士官さんですって❓どなたが運び込まれたの❓さっぱりわからない。」と、伯爵夫人は弱々しく微笑しました。
「あたし分かってたのよ、ママはきっとお許し下さるって。。じゃ、あたしそう言うわね。」と、ナターシャは母に接吻して立ち上がると、扉口の方へ歩き出しました。
広間で、彼女は良く無い情報を持って戻って来た父に出会いました。
「長居し過ぎたよ❗️クラブも閉鎖されたし、警察も立ち退きだよ。」
「パパ、負傷者の方を家にお連れしたけれど、構わないわね❗️」と、ナターシャは伯爵に言いました。
「むろん、構わんとも。」と、伯爵は上の空で言いました。
「そんな事はいいから、今はつまらん事にあたふたせんで、荷造りを手伝いなさい。そして明日は出発するからな。。」
伯爵は、執事と召使達にも同じ指示を与えました。
昼食の席で、ペーチャが戻って来て、新しい知らせを語りました。
彼の話によると、今日は市民達がクレムリンで武器の点検を行っており、ラストプチンの布告には、決戦の2日前に呼び掛けを行うと書いてありましたが、しかし実際には全市民が武器を取って三つ山に集結し。敵を攻撃すると言う命令が既に下されている、と言う事でした。
伯爵夫人は、息子がその話をしている間、その楽しそうな上気した顔を、ハラハラしながら見守っていました。
彼女には、ペーチャに、その決戦に行かないでくれ、などと言う意味の事をチラとでも言おうものなら(彼がこの目前に迫った決戦に胸を躍らせている事が、彼女にはわかっていました)、彼がたちまち男だの、名誉だの、祖国だのとーー言いくるめる事が出来ないような、なにやら理屈を超えた、勇ましい、一徹な事を言い出すだろうし、そうなったら全てがぶち壊しになってしまう事が、とくと分かっていました。
だから、その前になんとか出発するように事を運び、自分を守ってくれる護衛者としてペーチャを連れて行く事を、密かに願っていたのでした。
それで伯爵夫人は、食後に伯爵を呼んで、できれば一刻も早く今夜のうちに立ち退かせて欲しいと涙ながらに訴えるのでした。
彼女は、これまで恐怖心など微塵も見せなかったくせに、女の本能的な愛のずるさを持って、今夜のうちに発たせてもらえなければ、恐ろしさの余り死んでしまうなどと言いました。
彼女は、嘘ではなく、今は全てを恐れていたのでした。。
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(解説)
ナターシャは、彼女本来の優しさで負傷兵達を伯爵邸に入れようとしているのですね。
この時、彼女はハンカチで顔を隠すようにして、女中達に混じって表に出ています。
彼女は無意識に自分の身分を隠そうとしたのかも知れないですね。。
以前のように、大ぴらな親切を振りかざしていたかつての彼女とは違う慎ましさが見られます。
(しかし、交渉相手の隊長(=少佐)は、ナターシャがこの家のお嬢様と分かっているようです。)
隊長は少し考えましたが、行く所が無い負傷兵達を休ませる必要性もあることから、彼女の申し出に承諾を与えます。
ナターシャは。ロストフ老夫妻の人柄が分かっていましたから、老公爵夫妻はイエスと言うだろう。。と確信を持っていました。
母親の伯爵夫人の方は直感からか、「その士官って誰❓」と言う風にナターシャに問いますが、きっとね、ナターシャは、自分が裏切ってしまったアンドレイ公爵に対する罪滅ぼしとしてこんな事を言ってるのかしら❓とでも思ったのでしょうかね。。
私は、ナターシャは、純粋な親切心ばかりではなく、深層心理では、アンドレイ公爵が負傷していたらそうするだろう。。と思っていたように思いますね。
外出先から戻ったロストフ老伯爵も、負傷兵の受け入れを快諾します。
ペーチャも戻って来て家族で夕食を取ります。
その時、ペーチャは、ラストプチン伯爵の布告で、市民達がフランス軍に抵抗する為に武器を持って三つ山に集まっている、そして既に敵を攻撃せよ、との命令が下っているのだ、と言います。
それを聞いて伯爵夫人は、『ペーチャもそれに参加するに違いない、世界最強の軍隊に、素人の市民が武器を持って抵抗するなんて、命を危険に晒すだけの事だ。』思うのですね。。
この馬鹿げた抵抗にペーチャは参加出来ないように、夫人は伯爵に早く、今すぐにでもここを発ちましょう、とけしかけます。
(追記)
ラストプチンの『愛国心』を表に掲げた市民への抵抗の煽りは、トルストイが最も糾弾している事ですね。
こんな少年まで煽って、それが果たして国家の為になったのか❓
市民の間にある種の連帯感を植え付けて、仲間に入らない市民を非難し、無理に暴動の輪の中に入らせ、個人を埋没させ、命まで奪った、ラストプチンの悪魔の布告は、この会戦の歴史上ロシアが最も恥ずべきものだと考えているように思います。
あああ。私はもっと後の年代になるのですが、大学に入学した年に、とうに下火になった学生運動の戦士❓が時々授業を乗っ取りに来ていたのですけれどね。
彼らは、ただエネルギーのやり場に持て余して、今、こんな事をしてももうどうにもならないのに、未だに『正義感』とか『平和憲法』とかを掲げて抗議してた様子でしたね。
場面は違えど、こんな感じかな。。❓と思い出しましたね。
そもそも、あれは『平和憲法』なのかい❓と今は思ってるんですけれどね。かなり危険な要素があったんじゃかな❓
あれだけアレを平和憲法と信じれる純粋さって危険だな。。って今は思うのですけれどね。(※個人の見解です。あくまでも。しかし、国大に入るような優秀な人間が、左系の思想の耳障りの良さを素直に信じていたという印象でしたね。)
ペーチャの幼い純粋さも、こんな感じで、それをラストプチンに悪用されている感じがしますね。