戦争と平和 第3巻・第3部(1)歴史の運動の法則の探求は、連続的な無限小の研究を極める事である( | 気ままな日常を綴っています。

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(物語)

人類の運動は、無限に近い人々の恣意から流れ出ながら、連続的に行われています。

この運動の法則を究める事が、歴史の目的です。

ところが、人々の全ての恣意の総和の連続運動の法則を捉える為に、人間の知力は任意の個々の単位を認めています。

 

①歴史の第1の方法は、連続運動の中から任意の一連の事件を取り上げて、いかなる事件の始点も無いし、またあり得ず、常に1つの事件は、他の事件から連続的に流れ出ているものなのに、その一連の事件から切り離して考察する事にあります。

②第2の方法は、人々の恣意の総和が、一人の歴史的人物の行動に表現される事は絶対に無いのに、1人の人間、皇帝、軍司令官の行動を、人々の恣意の総和として考察する事にあります。

 

歴史学派、その方向として、考察の単位を次第に小さくして行き、その方法によって真理に近づこうとしています。

ところが、歴史学が取り上げる単位がどんなに小さくても、他から切り離された単位を認める事と、ある事件の始点を認める事と、全ての人々の恣意が1人の歴史的人物の行動に表現される事を認める事は、それ自体が誤りである事を我々は感じています。

 

いかなる歴史の結論も、その批判の側からのさして努力もなく、後に何も残す事無く崩れ去ってしまうのは、批判が考察の対象として、大きかろうが小さかろうが好みの断片的な単位を選ぶからです、

しかも、批判には常にその権利があります、なぜなら、取り上げられた歴史上の単位は、常に恣意的なものだからでした。

観察の対象に無限小の単位ーー歴史の微分、即ち人々の同種の渇望を認め、微分(これらの無限小の数値の総和を得る)方法を発見して初めて、我々は歴史の法則を究める希望を持つ事が出来るのです。

 

19世紀初頭の15年間は、ヨーロッパにおける数100万の人々の異常な移動を示しています。

人々は自分の慣れた仕事を捨てて、ヨーロッパの一方から他方へ突進し、略奪し、殺し合い、勝ち誇り、絶望し、そして数年に渡って生活の全ての流れが変わり、初めは上昇し、やがて加工する、激しい運動を示したのでした。

この運動の原因は何か、あるいはいかなる法則に従ってこの運動は生まれたのか❓ーー人間の知力はこう問い掛けます。

 

歴史家達は、この問題に答えながら、パリの建物の一つに集まった数10人の人々の行動や言葉を我々の前に述べ、その行動や言葉を革命と名付けます。

次いで、ナポレオンと、彼に共鳴あるいは敵対する人々のある者が他の者に与えた影響を語り、この為に運動が行ったのであり、これがその法則である、と結論づけています。

 

しかし、人間の知力は、この説明を信じる事を拒否するばかりか、この説明の方法は間違っている、なぜならこの説明では最も弱い現象が最も強い現象の原因とされるからである、と直言します。

人々の恣意の総和が、革命をもナポレオンをも作り上げたのであり、また、それらを滅ぼしただけなのです。

 

『しかし、侵略が行われた時は、必ず侵略者が居たし、国内に変革が行われた時は、必ず偉大な人々が居たでは無いか』と、歴史は言います。

確かに、侵略者が現れた時は、必ず戦争が有りました、しかしこれは、侵略者が戦争の原因である事も、1人の人間の個人的行為の中に戦争の法則を見出す事が可能である事も証明するものでは無い、と人間の知力は答えます。

即ち、時計の針が10時の所へ来ると、いつも寺の鐘が鳴り出す場合、針の位置が鐘の運動の原因であると結論する権利は無いのです。

つまり、時計の針を離れて、鐘の運動の法則を研究しなければならないのです。

 

歴史の法則の研究の為には、我々は完全に観察の対象を変え、皇帝や大臣や将軍達はそっとしておいて、群衆を動かしている同種の無限小の諸要素を研究しなければなりません。

この方法によってのみ、人間が歴史の法則を理解する可能性があるのです。

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(解説)

難解な部分です、良く分かっておりません。

おそらく、トルストイ先生の『なぜ、歴史上、このような事件が起こったのか❓』を解明する場合、歴史上の重大な一つの事柄を、他の事件から一切切り離して考察したり、その時の特定の者の意志のみを研究しようとしたとするならば、実際に起きた事件の成り行きや原因を正しく解明する事は出来ないだろう。。と言う事を述べていると思います。

 

その事件に於いて、群衆を動かすに至った経緯の一連の微細な事実の探索、それに関わったすべての微細な人間の心理に至るまで探索しなければ分からない、と言う事を述べているように思います。