戦争と平和 第3巻・第2部(28)トルストイによる、ボロジノの会戦のナポレオンの位置付け。 | 気ままな日常を綴っています。

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(物語)

ボロジノの会戦がフランス軍の勝利に終わらなかったのは、ナポレオンが鼻風邪を引いたからだ、もしそうでなければロシア軍は撲滅していただろうし、世界の様相は別のものとなっていただろう、と多くの歴史家達が語っています。

もし、ボロジノの会戦を仕掛けるか、仕掛けないかがナポレオンの意志一つにかかっており、この命令あの命令を与えるかが彼の胸三寸で決まるものであったならば、明らかに彼の意志の発現に影響を持った鼻風邪が、ロシアの救いの原因になり得たし、従って、24日にナポレオンに防水長靴を履かせる事を忘れた近侍がロシアの救い主であった、という事になるでしょう。

 

しかし、フランスがナポレオンという1人の人間の意志で共和国から帝国に改組され、ロシアとの戦争がナポレオンの意志に寄って始められたという事を認めない人々にとっては、この判断は正しくない、人間の本質そのものに背くものと思われたのでした。

歴史上の事件の原因をなすものは何かという問題に対して、この見解からは別の答えが現れて来るのです、それは、世界の諸事情の歩みは神の御意に寄ってあらかじめ定められており、その事件に参加するすべての人々の恣意の総和によって決せられるもので、この事件に対するナポレオンの影響は外部的な虚構的なものに過ぎない、という事です。

 

ボロジノの8万人の殺戮がナポレオンの意志によって起こったものでは無く(彼が会戦の開始と進行について命令を与えた、という事実にかかわらず)、それを命じたように彼に錯覚されたに過ぎないのだという想定、これらの想定が一見していかに奇異に思われようとも、人間としてナポレオン以上で無いにしても、決して以下では無い一人一人の人間の価値というものを考えた場合、この解答が導かれるのです。

フランス軍の兵士達がボロジノの戦場にロシア兵を殺しに来たのは、ナポレオンの命令が有ったからでは無く、それぞれ自分の希望によるものでした、フランス兵・イタリア兵・ドイツ兵・ポーランド兵など行軍に飢え、服は破れ、疲れ果てた全軍は、前方にモスクワへの道を塞いでいるロシア軍を見て『ワインの栓は抜かれた、飲まねばならぬ』と感じました。

もし、ナポレオンが、今、ロシア軍と戦う事を禁じたとしたら、彼らはナポレオンを殺してロシア軍との戦いに突入したでしょう。。なぜなら、それが彼らに必要だったからです。

 

不具や死に対する慰めとして、彼らはモスクワ付近の決戦い参加したのだと讃える子孫達の言葉を持ち出したナポレオンの命令を聞いた時、彼らは『皇帝万歳❗️』と叫びましたが、どんな愚かしい無意味な事(※例えばローマ王の肖像を拝するか。。)を言われても、やはり『皇帝万歳❗️』と叫ぶに違い無いのです。

そして『皇帝万歳❗️』と叫び、モスクワに食糧と勝者の休息を見つける為に、戦闘に突入する以外に、彼には何もすることが残されていなかったのです。

こう見て来ると、彼らが自分と同じ人間を殺したのは、ナポレオンの命令の結果では有りません。

 

また、会戦の進行を指導したのもナポレオンでは有りません。

彼とは無関係に、戦闘全般に参加した何10万人という人々の意志によって行われたのです、

従って、ナポレオンの鼻風邪などという問題は、最末端の輜重兵の鼻風邪程度の問題でしかなかったのです。

よって、ナポレオンの鼻風邪の為に、その作戦命令と戦闘の指導に従来の冴えが見られなかったというような歴史家達の記述は間違いなのです。

 

ここに抜き書きされた作戦命令は、数々の勝利をもたらしたすべての作戦命令と比べて、少しも劣っていないばかりか、却って優れてさえいるのです。

ところが、この作戦命令と戦闘指導が従来のものに劣るように思われるのは、単にボロジノの会戦が、ナポレオンが勝利を得なかった最初のものだったからです。

会戦が勝利に終わらなかった場合、どのような見事な深慮に基づく作戦命令や指導でも極めて拙劣なものに思われ、あらゆる軍事専門家達が意味有り気な態度でそれを批判します。

しかし、会戦が勝利に終わると、どのような拙劣な作戦命令や指導も極めて秀抜なものに思われ、権威ある人々がその愚劣な命令の価値を立証するのです。

 

アウステルリッツの会戦に際してワイローテルによって作成された作戦命令は、完璧の見本でありましたが、それでもやはり非難されました。その完璧の故に、あまりにも詳細に渡り過ぎた為に非難されたのでした。

ナポレオンはボロジノの会戦に於いて、諸々の会戦におけると同じように見事に、より立派に、権力の代表者として自分の任務を果たしました。

彼は戦闘の進行を阻害するような事は何もしませんでしたし、混乱もしませんでしたし、怖気付いて戦場から逃げ出すようなこともしませんでした。

それどころか、彼はその優れた手腕と豊かな戦争経験を発揮して、冷静に、堂々と、外見上の司令官の役割を果たしていたのでした。

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(解説)

ま、ここでも、いつものトルストイ先生のボロジノ考察が展開されています。

ナポレオンがボロジノで勝てなかったのは、決して作戦命令が粗悪だった訳でも、彼の指揮命令がおかしかった訳でも、ましてや彼の鼻風邪のせいでも無い。

それは、この事件に関わりのある大勢の利害や恣意の総合的な結果であり、神の御意に従ったものだ、と言われておられるようです。

 

ロシア軍とフランス軍の勝敗を分けたものは。。やはりアンドレイ公爵をしてトルストイ先生が言わしめている『勝つのだ』という一人一人の兵士の意気込みとそれを裏付ける愛国心の強さの差とでも仄めかしているのでしょうかね。。

そのように見えない事も無いような気がします。