(物語)
ナターシャの病気の知らせを受けると、伯爵夫人は、まだ良くなり切らずに身体も衰弱していましたが、ペーチャが家中の者を連れてモスクワに出て来ました。
そしてロストフ家の前家族は全家族は、マーリヤ・ドミートリエヴナの所から自分の(モスクワの)邸宅へ移り、そのままモスクワに落ち着く事になりました。
ナターシャの病状は極めて重態でしたので、幸いな事に、彼女の病気や行為や破談の原因が何であったのか❓という考えはすっかり二の次になっていました。
彼女の容態はひどく悪くて、食べも眠りも出来ず、目に見えて衰弱するばかりで、医師達もそれとなく危険な状態である事を仄めかしていましたので、今度の事で彼女に如何程の罪が有ったか❓などについても、とても考えるどころではありませんでした。
彼女を助けてやる事だけを考えなければなりませんでした。
しかし、医師達が往診し、診察し、自分達の知識の限りを尽くして薬の処方を書いても、生きた人間を悩ます1つの病気ーー即ちナターシャを苦しめている病気の本質は、彼らにはわかるはずも無かったのでした。
そして彼らが役に立つのは、彼らが病気の本質を見抜ける事にあったのでは無く、病人が同情してもらいたい、助けてもらいたいという欲求を満たしてくれる存在だからに過ぎないのでした。
そういう意味で医師達がナターシャにとって有益なのは、彼らが痛い所をさすったり、接吻したりしてくれて、御者をアルバート街の薬局へやって、綺麗な小箱に入った1ルーブリ70コペイカの粉薬と丸薬を買って来させ、その薬をちゃんと時間通りにぬるま湯で服用すると直ぐに治るから、と保証してくれるからでした。
また、医師達に指示され、それを守る事が、看病する者達の生活の意義と慰めにもなっていました。
そういった医師達の療養上の注意が無かったら、ソーニャや伯爵や伯爵夫人は一体何をしたら良いでしょう❓ただ手をこまねいてどうして見ていられるというのでしょうか。
自分達のすべき事がわからなかったら、愛する娘の病気にどのように耐える事が出来たでしょうか。
もし、伯爵夫人が、医師の言い付けを守らないと言っては、時々病気のナターシャと口争いをする事が出来なかったら、他に何をする事が有ったで消化❓
「お医者様の言う事を聞いて、決められた時間にちゃんと薬を飲まなくちゃだめじゃありませんか❗️わがまま言っている時じゃありませんよ。肺炎が起きるかもしれないと言うのに。。」と、伯爵夫人は言いました、そして自分だけでなく誰にも良くわからぬこの肺炎という言葉を口にしただけで、もう大きな慰めを覚えるのでした。
また、ソーニャにしても、医師の全ての指示を正確に実行出来る用意をしておく為に、夜は寝ずの番をしているという自意識が無かったら、何によって気を紛らす事が出来たでしょうか❓
当のナターシャさえにしても、薬なんかで治りはしない、そんなものは皆馬鹿げた事だなどと口では言っていたもののーーそれでも自分の為に、こんなに多くの犠牲が払われているのを見る事と、決められた時間に薬を服用しなければならないという事は、嬉しい事でした。
ナターシャの病気の症状は、食欲が無く、ほとんど眠れず、咳が出て、いつも気が塞いでいる事でした。
医師達の説では、病人を医療の助けの無いままに放置しておいてはいけないとの事でした。
したがって、病人を都会の汚れた息苦しい空気の中に閉じ込めておかなければなりませんでした、その為に1812年の夏はロストフ家は田舎へ行きませんでした。
大の薬マニアのマダム・ショッスの膨大なコレクションの中から譲り受けたものも含めてたくさんの薬を飲まされ、その上慣れた田舎の避暑生活から離れていたにも拘らず、若さの力を現して、ナターシャの悲しみは次第に過ぎ去ったものとなりつつありました。
そしてその悲しみは、耐えられなぬ程の苦痛となって心の上にのしかかる事を止め、過去のものとなり始めていました。
そしてナターシャの体も快方へ向かい出したのでした。
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(解説)
ナターシャが病気だと言う知らせを受けて、体調が悪い為田舎で過ごしていた伯爵夫人はまだ回復せずに、今はもう青年になりつつあった弟のペーチャが一家を引き連れて、モスクワのロストフ邸に引っ越して来たのですね。
ロストフ邸は暖房の設備(燃料❓)がない為に、一時的にマーリヤ・ドミートリエヴナの所に身を寄せていた訳ですが、ペーチャは燃料の手配もして、すっかりモスクワの邸宅で暮らせるようにしたのですね。
よって、マーリヤの所に居た伯爵・ナターシャ・ソーニャは、ロストフ邸でみんなと一緒に暮らす事になります。
ナターシャの病気は深刻でした。
当時は、精神的な過度の疲労が身体的な症状を引き起こすとはあまり知られていなかったのかも知れないですね。
トルストイ先生も、こんな症状を医師が自分の知識を駆使して理解できるわけがないと、ちょっと医師に対する猜疑心みたいなのが書かれています。(本文ではもっとしつこく記載していましたね。)
しかし、とりあえず患者の話を聞き、薬を処方し、それを時間通りに飲ませる。。と言う医師の指示は、実は周囲の家族の気遣いにも、そしてナターシャ自身に対してさえ、効果があったのだ。。と言う記載もしています。
また、医師達の説では、病人を医療の助けの無いままに放置しておいてはいけないとの事で、その為に1812年の夏はロストフ家は田舎へ行かなかったとの記載があります。
ここは、この年の夏のボロジノの戦いに、モスクワに居たロストフ家は巻き込まれる事を示唆していると思います。
ナターシャは、次第に命への危機的状況を、その若さと本質的な彼女の強さから克服して行った。。と締めくくられています。
しかし。。