(物語)
アナトーリは部屋を出て行きました、そしてしばらくするとシューバと毛皮帽で戻って来ました、その毛皮帽が美しい顔に実によく似合っていました。
彼はドーロホフの前に立ち、ぶどう酒のコップを手に取りました。
「じゃフェージャ(=ドーロホフ)さようなら、色々と有り難う。」と彼は言いました。
彼は胸を張り、コップを上げながら、ゆっくりと大きな声で言いました。
「みんなコップを取ってくれ給え。バラーガ、お前も取れ、そう、諸君、我が青春の友よ、共に生活を楽しみ、よく飲み、よく騒いだな。あ❓いつの日かまた会わん❗️俺は外国へ行く。楽しかったな、諸君、さらばだ。健康を祝して❗️ウラ❗️。。」と言うと、彼は一気に飲み干して、コップを床に叩きつけました。
「お達者で」と、これも自分のコップを飲み干すと、ハンカチで口を拭きながら、バラーガが言いました。
マカーリンは目に涙を溜めて、アナトーリを抱き締めました。
「ああ。。公爵、貴方と別れるのがもう悲しくて悲しくて。。」と彼は言いました。
「では、出陣だ、諸君、行こう❗️」と、アナトーリは立ち上がりながら言いました。
召使いのジョセフが荷袋と軍刀をアナトーリに渡しました、一同は玄関の間に出ました。
「シューバ(毛皮外套)はどこだ❓」と、ドーロホフが言いました。
「おい、シューバを借りて来い❗️黒貂の毛皮のだぞ。女をさらう時の心得を聞いた事が有るんだがな。」と、片目をつぶってドーロホフは言いました。
「何しろ相手とて、部屋からそのままの格好で、生きた空もなく飛び出して来る。ちょっとでもグズグズしているとーーもう泣き出して、パパだママだと言い出し、直に凍えて逃げ戻ってしまう話だ。だからいいか、有無を言わせずシューバを被せて、橇に運び込んでしまう事だ。」
召使いが、婦人用の狐の毛皮を持って来ました。
「ばか者め、黒貂のと言ったじゃ無いか。おい、マトリョーナ、黒貂のだ❗️」と、彼はいつもの部屋を突き抜けて響き渡る様な大声で叫びました。
その時、美しいジプシーが、赤いショールで肩を包んで、黒貂のシューバを抱えて飛び出して来ました。
「何さ、惜しくなんか無いよ、持って行くがいいよ。」と、彼女は自分の旦那にビクビクしながら、黒貂を手放すのが痛ましい様な口調で言いました。
ドーロホフは、それに返事をしないで、シューバをひったくると、それをマトリョーナに被せてシューバの被せ方を指示しました。
「じゃ、元気でな、マトリョーナ、俺の幸福を祈ってくれ。」と、彼女に接吻しながらアナトーリは言いました。
「では公爵、神が大きな幸福を賜ります様に。。」と、マトリョーナは、ジプシーのアクセントで言いました。
玄関前に2台のトロイカが止まり、バラーガは前のトロイカに乗り、アナトーリ とドーロホフもそちらへ乗り込みました。
マカーリンとフヴォスチコフと従者は、後ろのトロイカに乗りました。
「用意はいいか、あ❓」と、バラーガは声を掛けました。
「それ行けえ❗️」と、彼は手綱を腕に巻き付けながら叫びました、そしてトロイカはニキーツキイ並木道を矢の様に下り始めました。
ポドノヴィンスキイ通りを往復した後、バラーガは馬を抑え始めました、そして後戻りして、スターラヤ・カニューシェンナヤ通りの十字路の側に馬を止めました。
若者が飛び降りて、轡(くつわ)の横革を押さえました、アナトーリ とドーロホフは小路を入って行きました。
門の側に来ると、ドーロホフが口笛を吹きました。
それに答えて口笛が聞こえて、小間使いが走り出て来ました。
「庭へお入り下さい、ここでは目に付きます、直ぐに参りますから。」と、彼女は言いました。
ドーロホフは門の所に残り、アナトーリ は小間使いについて庭へ入り、裏口に駆け込みました。
カヴリーロという、マーリヤ・ドミートリエヴナのお供の男がアナトーリを迎えました。
「奥様の所へどうぞ。」と、ドアの前に立ち塞がりながら、大男が太い声で言いました。
「どこの奥様へ❓おい、貴様は何者だ❓」と、アナトーリ は喘ぎながら声を殺して言いました。
「どうぞ、お連れするように言われておりますので。」
「クラーギン❗️引き返せ❗️」と、ドーロホフが叫びました。
「裏切りだ❗️戻れ❗️」
ドーロホフは耳門の所で、アナトーリ の退路を塞ぐ為に閉めようとした庭男と揉み合っていました。
ドーロホフは、最後の力を振り絞って庭男を突き飛ばして、走り出て来たアナトーリ の手を引っ掴むと、一緒にトロイカの方へ走り出しました。。
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(解説)
アナトーリ とドーロホフは万端に準備を整えて、マーリヤ・ドミートリエヴナの邸宅までナターシャを誘き出しに行きます。
しかし、誰からか計画が漏れたらしく、ナターシャ誘拐は未遂に終わってしまいます。
さて。。これからが大変です。
(余談)
ちょっとここでアナトーリの心情を考えてみたのですけれど。。
彼はこれまでの人生で、自分の楽しみを、誰にも阻害されずに思うままに生きて来れたし、それを他人に受け入れさせる不思議な能力というか運を持っていたのですね。
だからこそ、彼は今まで、自分のしている事は自分にとってこれだけ快感なのだから、その影響を受けている他人だって快感に違いない。。と思い込んでいたのだと思います。
彼の今までの、成功❓体験が、自分の行動に影響される他人の気持ちや運命を慮ることが出来ない、という人格を形成していたのではないか❓と思っています。
今回、初めて、彼の『ナターシャが欲しい』という、肉体的な意味ででしょうが、切実な願望は、マリーヤ・ドミートリエヴナのガードによって阻まれます。
おそらく、この事件は、彼にとって初めて『自分の思いが満たされなかった』という経験だと思います。
この事件が彼にとってどのような影響を及ぼして行くのか。。また、及ぼさないのか、については大いに興味がある所です。(結局は、トルストイ先生は、その辺は物語のメインテーマにはするつもりは無かったらしいです。)