(物語)ーー前回のピエールの日記の続き。
話が私の家庭問題に触れると、彼は言った。。
『真のフリーメーソン会員の最大の義務は、貴方に言ったように自己の完成にある。ところが我々は、生活上の困難を全て遠ざけてしまえば、早くこの目的が達せられそうにしばしば思い勝ちだ。ところが、そうでは無いのだ。浮世の波風にあってこそ、初めて我々はこの3つの主要目的を達することが出来るのだよ。①自己認識、なぜなら人間は比較によってのみ自己を知る事が出来るからだし、②完成、これは戦いによってのみ達せられるものだし、そして③最大の善徳ーー死への愛が達成されるのだ。世の無常のみが我々に生活の虚しさを見せてくれることが出来るし、死にた対する生まれながらに愛を、言い換えれば新生への復活を、助成する事が出来るのだよ。』
ヨシフ・アレクセーエヴィチが、その苦しい肉体的な苦痛にも関わらず、決して生を恨まずに、死を愛し、しかも自分に内なる人間が清らかさと高さの極みにあるのに、なお死に至る十分な準備が出来ていないと感じているような人だから、これらの言葉は特に輝かしい光を放っていた。
次いで恩人は、世界の偉大な四角形の意味をすっかり説明してくれて、3と7の数字が全てのものの基礎である事を教えてくれた。
彼はさらに、ペテルブルグの同志達との交流を絶たずに、支部で二級の職務にだけ就き、同志達を慢心の誘惑から救い、自己認識と自己実現の真の道へ向けさせるように努力する事を、私に忠告してくれた。
その上、私個人の為として、まず第一に己に目を注ぐ事を忠告し、その為に私に1冊のノートをくれた。
そのノートに私は今書いているが、これからも私の全ての行いを書き込むつもりである。
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(ペテルブルグ 11月23日)
私はまた妻と暮らしている。
妻の母が訪ねて来て、エレンが戻って来ている事や、私に話を聞いて貰いたいと哀願している事や、その他いろいろな事を涙ながらに語った。
私は一度妻に会う事を自分に許したなら、恐らくもう妻の願いを拒否することは出来なくなる事を知っていた。
私はこの迷いの中で、誰の力にすがり、誰に忠告を求めたら良いのか、知らなかった。
もしも恩人がここに居たら、私に教えてくれたろう。
私は自室に篭って、ヨシフ・アレクセーエヴィチの手紙を読み直し、彼と話し合った事を思い出した。
そしてその全てから引き出した結論は、許しを請う者を断るべきでは無い、ましてこれほど私に結びついている者には、救いの手を差し伸べて自分の十字架をになわなければならぬ、という事だった。
でも、善徳の為に妻を許したのなら、妻との結合に精神的目的だけを持たせよう。
私はこう決意して、そのようにヨシフ・アレクセーエヴィチに書き送った。
私は妻に、一切の過去を忘れて貰いたい、私の悪かったかも知れぬ所は許して貰いたい、だが私には彼女を許さねばならぬ何も無い、と言った。
再び妻と会う事が、私にはどれ程苦しい事だったか、妻が分からなければそれで良い。
私は大きな邸宅の二階の静かな部屋に落ち着いて、更生の幸福感を味わっている。。
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(解説)
ピエールは、フリーメーソンの本部で教わった事がペテルブルグの同志達に受け入れられなくて、結局、最初に駅で会った老人(ヨシフ・アレクセーエヴィチ)に会いに行ったという二人の会話の続きですね。
ピエールの日記を通して内容が綴られています。
この老人は、教義とか真理の勉強を真面目していて、奉仕活動にはあまり興味のない人です。
要するに、前回にも申しました通り、ヨシフは信仰活動の内面的な部分に重視を置いている人ですね、それに対してピエールは奉仕活動など社会的な面に熱心だった訳です。
で、ピエールはヨシフに、もっと自分の内面を知り、自己を完成させるべきだと言われるのですね、まあ、大まかに言えば。
だから、ヨシフは「中身のないままに社会に働きかける事」を是とはするべきではない、とピエールに言うんです。
そして、自己を知るには、他人との比較においてだし、自己の完成は、日々の生活における戦いによってのみ達成される、そうして最大の善徳=死への愛=新生への復活への助成が達成される、と諭されます。
即ち、もう3年程別居状態にあるエレンと同じ屋根の下で暮らす事を(暗に)諭されるのですね。
で、ピエールは「そうかな」と思って、外遊から戻ってきたエレンとペテルブルグの家に一緒に住むのですが、もう、夫婦としての実態は無くなるようですね。
あくまでも、ピエールは、自分達の『愛の無い』結婚生活による精神的な葛藤によって自分を成長させて行くのだ、そして自分を完成させて、最終的には死を愛し、新たな新生の為への祝福を可能しよう。。と言った動機では無いか、と推定します。
そして、ピエールは、エレンに対しても自分と同じように学んでほしい。。その為の助力は惜しまない、と言った所でしょうかね。
これって、どうなんだろうね、と率直に思いましたけれどね。
時代背景が現代とは全く違うし、女性の自立はほとんど絶望的な時代ですからね、簡単に離婚して実家に戻すと言うのはいけないモードが大きかったのかもしれませんね。
教義から。。とは言え、その教義自体も世相を反映したものでしょうしね。
ピエールはともかく、エレンという極めて世俗的な女性がこれを一生続けられるものでしょうかね。。
彼女は類稀な美貌の持ち主で、男性にちやほやされたい人、(肉体的にも)愛されたい人でしょうから。。
まだ、(特にピエールは)全く一人で生きていた方が「地獄度」はかなり低い感じもするのですけれどね。。
ただ唯一、エレン側の世間体だけは守られるんですけれどね。
そして、この『生殺し』状態に自分とエレンを置くことによって、さらなる苦しみが生じてくるんですよね。
それはむしろ自然の流れで、そうしてさらなる葛藤の結末、またピエールが一皮剥ける、と言う流れなのでしょうけれどね。
でも、ヨシフの言うように『死への愛』にピエールとエレンが同時にうまいこと到達できるとは到底考えられませんね。
しつこいようですが、ピエールは大富豪としての帝王学も受けていないし、たとえ亡き父親が懇切丁寧に『金を大量に持っている貴族というものはね〜』と教え諭されていたとしても、『自分流』が強い人間なのですよね。
だから、ピエールに、こうも言葉で表現しがたい葛藤と苦しみが与えられてしまうのはね、そうした『ピエール自身の強烈な人生経験のみ』が彼自身を成長させるものなのだ、というトルストイの判断が明確に見えている感じはしますね。