(物語)
今度休暇から帰って見て、ロストフはデニーソフおよび全連隊と自分の結びつきがどれほど強いものであったかを、初めて感じそして知りました。
ロストフは、モスクワのわが家に近づいた時に味わったと同じ感情を、馬車が連隊に近づいた時に覚えました。
従卒のラヴルーシカが「伯爵の到着だ❗️」と嬉しそうに自分の主人・デニーソフに叫ぶと、彼は壕舎(ごうしゃ)の中から走り出て、彼を抱きしめ、士官達が駆け寄って来た時ーーロストフは家族に抱きしめられた時と同じような感激を覚えました。
連隊も家でした、両親の家のように、常に変わる事なく懐かしい、そして尊い家でした。
ロストフは連隊長に帰隊を申告して、元の中隊への配属を命じられました、そして当直や糧秣の勤務についたりして、自由を奪われて、常に変わる事の無い一つの狭い枠の中に縛り付けられたのを感じると、心の安らぎと自分の場所に居るのだという意識を覚えました。
彼が自分の場所を見出せずに、選択を誤ったような自由世界のあの乱脈がここには一切有りませんでした。
釈明をすべきか、せざるべきか、と迷うようなソーニャも居ませんでした。
あそこへ馬車を飛ばそうか、止めようか、と思案する可能性も有りませんでした。
あのドーロホフに恐ろしく負けた嫌な事を思い出させるものも有りませんでした。
連隊内は、すべてが明瞭で単純でした。
連隊では、誰が中尉で、誰が大尉で、誰が善人で誰が悪人か、特に誰がーー仲間か、拗ねてがはっきりわかっていました。
隊付きの商人は信用貸しをしてくれるし、俸給は3度に分けて支給されました。
思案したり、選択したりする事は何も有りませんでした。
ただパヴログラード連隊で良くない事とされている事を一切しなければ良いのでした。
派遣されたら、明確に定められた命令を実行するーーそれで全てが順調に行くのでした。
改めて連隊生活の、この特定の条件の中に入ってみると、ロストフは疲れた人間が休憩しようと寝そべった時に覚える、あの喜びと安らぎを覚えました。
今度の戦争での、この軍隊生活がロストフにとってますます嬉しいものとなったのは、彼がドーロホフに負けて以来(この行為は、肉親達からどれ程の慰めの言葉を掛けられても、彼は自分を許す事が出来ませんでした)、以前のような勤務ぶりではなく、自分の罪を償うために立派に務めて、仲間から見上げられるような優秀な士官になろう、つまり地方ではあれ程難しい事と思われたが、軍隊では容易になれそうに思われる素晴らしい人間になろう、と決意したからでした。
ロストフは賭けに負けた時から、この借金を5年間で両親に返そうと決意していました。
彼は1年に1万ルーブリずつの仕送りを受けていましたが、今度は2千ルーブリだけに減らしてもらって、残額を借金の返済に充てて貰う事にしたのでした。
さて、ロシア軍は、プルトゥスクや、プライシュ・アイラウ付近で、幾度か後退や、進撃や、戦闘を繰り返した後、バルテンシュタイン付近に集結していました。
皇帝の到着と新しい会戦の開始が待たれていたのでした。
パヴログラード連隊は、1805年の戦役に参加した組で、ロシア内で兵員の補充を行なっていた為に、今度の戦役の最初の作戦には遅れました。
連隊は、プルトゥスクにも、プライシュ・アイラウにも行かず、戦役の後手に、ようやく実戦軍に合流して、プラートフ部隊に加えられました。
プラートフ部隊は、総軍の指揮下から離れて独立行動を取っていました。
パヴログラード連隊は、何度か敵と小規模な遭遇戦を展開して、敵兵を捕虜にし、一度などはウディノ元帥の馬車を獲得したことも有りました。
4月になるとパヴログラード連隊は、焼け野原になったあるドイツの小村の付近に、何週間も足止めされていました。
雪解けの頃で、道は通行不能となり、補給が切れて糧秣も食料も何日も届きませんでした。
全てが食い尽くされて、ほとんどの住民が逃げ散ってしまって、後に残っている者は乞食よりも悲惨な有様で、徴発する物は何も無く、同情心の薄い兵士達でさえ、彼らから取り上げるどころか、却ってなけなしの物をくれる事がしばしばある有様でした。。
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(解説)
ニコライ・ロストフは軍に戻ると、軍の規律に従った生活が、むしろ自由で自己責任の中で生活するよりももっと楽なのだ。。という気持ちになります。
元のパヴログラード連隊に配属になりましたが、そこには気心知れた生死を共にした仲間が待っていました。
ロストフは、モスクワでの休暇中の自分のご乱行に素直に反省し、今後はきちんと軍務に就き、恩返しをしたいと思います。
ドーロホフとの一件は、恐ろしく馬鹿げた事でしたが、流石にロストフの気持ちを引き締めてはくれているようです。
それから、ロシア軍の1805年のアウステルリッツ以降の様子がざっと概観されています。(※この経緯は、ビリービンのアンドレイへの手紙でも詳細に記載されている。)
パヴログラード連隊は、1805年の戦役に参加していた為、プルトゥスクにも、プライシュ・アイラウにも行かず、戦役の後手に、ようやく実戦軍に合流して、プラートフ部隊に加えられましたが、雪解け時の4月に道が悪い為に糧秣や食料の補給が途絶えてしまうというアクシデントに見舞われてしまいます。
実戦以外に於ける軍隊での生活の苦労が記載されています。