ウイーン磁器工房(6) 閉窯(1864年)、そしてアウガルテンへ。 | 気ままな日常を綴っています。

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ウイーン会議で王制が復活したものの、市民階級が力をつけていく一方で、ハプスブルク家は弱体化して行きました。

1848年に即位したオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(1830ー1916年)と皇后エリザベート(1837ー1898年)は、ウイーン磁器工房を支援しようとしましたが、イギリスの産業革命による工業化の進展による大量生産の廉価品におされ、工房はついに1864年に閉鎖され、その後二度と復興する事なく、ウイーン磁器工房製品は永久に歴史上のものとなりました。

 

食器や彫像の約600個の原型が、ヨーゼフ・デ・センテの陶器工場(ウイーン・ノイシュタット窯)に払い下げられ、残りの型はヘレンド窯に引き取られました。

しかし、ノイシュタット工場は、ウイーン窯の型を使って偽物を作る事は有りませんでした。

そして、本業の陶業には大して応用も利かないので、型は不要になって持て余し、1902年、アレクサンドラ製磁工場(ボヘミア 1905年設立)に売却されてしまったのです。

 

アレクサンドラ製磁会社は、この型を使って寸分違わぬ完全に同一の造形でウイーンの模造品や販売用無彩色白磁を大量に作りました。

この為、ウイーン磁器工房の贋作が多いのです。

この会社は、1921年にボヘミアの製磁工場会社の合併に参加して支社となり、1925年からエルンスト・ワーリス株式会社となりました。

 

1922年には、ウイーンでアウガルテン社が旗揚げして、ウイーン磁器工房によく似た形状と図柄の製品を作り、この窯の後継者を自称しています。

すなわち、第一次世界大戦でオーストリアが敗れ、ハプスブルク家が廃止される事になったのですが、アウガルテン社は1922年、かつてマリア・テレジアの狩猟の館であったアウガルテン宮殿に新設し、名前も「アウガルテン」として出発したのです。

そして、過去の絵柄のデザインなどの伝統を新しい意匠として復活させると共に、アール・ヌーボーやアール・デコと呼ばれる現在にも続く新しい様式を生み出して行き、現代に続いています。(厳密には、アウガルテンはウイーン磁器工房を後継している訳では無い。)

 

(アウガルテン 現代物)

 

(アウガルテン 現代物 ウインナー・ローズ)

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今日はここまでです。

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