『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第42帖で匂宮三帖の第1帖。巻名は本文の「世人は匂ふ兵部卿、薫る中将と聞きにくく言ひつづけて…」に因む。本来の題は「匂兵部卿(におうひょうぶきょう)」で、「匂宮」は略称。光源氏の子孫とその縁者の後日談を書く。
「源氏物語』に登場する架空の人物の通称。「匂兵部卿宮(におうひょうぶきょうのみや)」とも。第三部「宇治十帖」の中心人物の一人。・・・以上ウイキペディアより。
薫14~20歳 匂宮 15~21歳
夕霧 40~46歳 女三宮 35~41歳
明石中宮 32~38歳 明石の君 52~58歳
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光源氏が亡くなって8年の歳月が流れたわ。。
あの輝かしいお姿や世評の栄光を受け継ぐようなお方は、たくさんの御子孫の中にもなかなかいらっしゃらないのよ。
もう御退位された冷泉院も、瓜二つの言われて居たけれど、この方の事をあれこれ申すのも畏れ多いことね。
今の帝と明石の中宮の間に生まれた三の宮(匂宮・後の匂兵部卿の宮)と、六条の院で育った女三の尼宮の若君(薫・後の中将の君)が気高くお美しい。。との評判だったのよ。
でも、これには、お二人が光源氏の御子孫だからということで格別に大切にされてきたから。。という理由もあるのよね。
三の宮(匂宮)は、紫の上に愛され特に可愛がって育てられたので、今も(紫の上が最初に源氏に連れてこられた)二条の院にお住まいなのよ。(※紫の上の遺言。)
ご両親である帝と中宮も、東宮である一の宮は別として、この三の宮を格別に可愛がり、お側に置きたくて宮中にも住まわせているのよ。
でも、本人は気楽な二条の院の方が居心地が良いと思っているのね。
元服を済ませてからは、(匂)兵部卿の宮と申し上げるのよ。
匂宮の姉宮の女一宮は、紫の上のお住まいだった六条の院の南の対にお住まいなのよ。
明けても暮れても紫の上を恋い偲んで御出でになるのね。
匂宮の兄宮に当たる二の宮(※幼い頃、匂宮と夕霧の抱っこを取り合い、匂宮に譲ってあげた優しい兄宮)も、六条の院の寝殿を時折のお休み所になさっているのよ。
いつもは、宮中の梅壺に居られ、夕霧の右大臣の二番目の姫君と結婚しているのね。
この方は次の東宮候補として世間からも重々しく扱われ、お人柄もしっかりしておられるのね。
夕霧の右大臣には姫君が大勢居たのね。
御長女は、東宮妃として入内して、他に寵を争う人も居ない有り様なのよ。
その次々の姫君たちも、皆、御弟の宮たちに嫁がれるだろう。。と、世間の人々も、明石の中宮もそう思って居られるのよ。
ところが、この匂兵部卿の宮は、そんな気持ちも無く、自分の意思からではない縁談などは嫌だと思っていらっしゃるのよ。
夕霧の右大臣も、宮たちばかりと結婚させるのもどうか。。と思ってはいるけれども、もし宮中から請われればお断りはするまい。。と姫君達を大切に育てているのよ。
中でも六の姫君は、貴公子達が恋い焦がれる憧れの的だったのよ。
二条の院や六条の院にたくさん住んでいた様々な女君たちも、源氏が亡くなった後は、泣く泣く終の住処と決めた所にそれぞれ移って行かれたのよ。
花散里は、二条の東の院を、源氏から遺産としていただきお移りになったのよ。
(ヘレンド:トゥッピーニの角笛 1960年代。現代のトゥッピーニの角笛よりも躍動感ある絵付けです。やはり東欧諸国に属していたハンガリーのヘレンドは、国の威信をかけてこのような作品を作って居た時代です。)
女三の尼宮は、三条の宮邸においでになるわ。
六条の院は淋しく、人少なになったので、夕霧の右大臣は「私が生きてる間だけでも、この六条の院は荒廃させたくない。。」と、花散里の住んでいらした東北の御殿(※夕霧が学生時代に過ごして居た所ですね。)に、あの一条の(朱雀院の)女二宮をお移しになるのよ。
そして、雲居の雁の君の住む三条のお邸と一晩おきに15日ずつ几帳面に通うのね。
また、明石の君は、大勢の御孫の宮たちの後後見をしながら、そのお世話をしていらっしゃるのよ。
夕霧の右大臣は、源氏の女君達には公平に親のような気持ちでお世話していたのよ。
でも、紫の上が早逝されたので、心尽くしてお世話する事が出来なかった事を残念に思っていたのね。。
そして世間の人々も、この上なくご立派であった源氏や、あの紫の上の面影がいつまでも心に沁みついていて、事ある毎に思い出されない時は無いのだったのよ。
女三に尼宮の若君(薫)は、源氏が特にお願いしていた通り、冷泉院(※源氏と藤壺の子)が大切にお世話をしていたのよ。
秋好む中宮との間には皇子が生まれなかったので、将来は、うれしい御後見役としてこの若君(薫)を頼りにしていたのよ。
元服は、冷泉院の御所で執り行われたのよ。
14歳の2月には侍従になり、その年の秋、右近の中将になるわ。。
院の御恩顧により、たいそう急いで四位に昇進おさせになって、早々と一人前にしてあげるのよ。
そして冷泉院のお傍の対を、中将のお部屋として整えるのよ。
薫中将の君が、この冷泉院のお住まいをお気に召すように、ひたすらお世話をなさるのよ。
冷泉院と弘徽殿の女御(前大臣の長女)との間には姫君がただお一人おられるけれども、その方にも劣らない程薫中将の君を大切に思っているのね。
薫中将の君の母君の尼宮は、今はただ、御仏へのお勤行ばかりを心静かになさっているのよ。
尼宮は、薫中将の君が、三条の宮邸にお出入りするのを、かえって親のように頼りにするので、そんな尼宮がおいたわしくて中将の君は度々母を訪ねて差し上げるのね。
冷泉院からも、東宮からも、二の宮、三の宮からも、いつも「ご一緒に。。」とお誘いがあるので、薫中将の君は忙しくて全く暇が無く、体が二つ欲しいくらいだったのね。。
今日はここまでです。
ありがとうございました。
次回も「匂宮」(匂兵部卿)②です。
今日も良い一日をお過ごしくださいね❣️
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(追記)
一応、さらりと通してみました。
源氏物語第3部は、この薫と匂宮が主人公ですね。
薫は、本当は女三宮と柏木の衛門の督との間の子です。
世間では源氏48歳の時の子という風になっています。
尼となった女三宮は、登場の頃と比べて落ち着いた人間(あえて女性とは書きません)になっているように見えますが、やはり薫を頼りにしている弱々しい部分はあるようですね。
しかし、これは当時の女性だったら「あたり前」でしょう。
むしろ、源氏の所にお輿入れした時の「軽薄なイメージ」は、出家したあたりから完全に払拭されている感じで、とても当時の女三宮と同一人物とは思えないですね。
自分の失敗で柏木に姿を見られた事により、不義の子を生んだ(それは彼女の意思とは全く関係ない出来事だった)という事実は、如何に大きな衝撃だったか。。が見受けられますね。
しかも「皇女」だったから、そんな汚名は自分で自分が許せなかったのでしょうね。
今、思うと、朱雀院があっさりと彼女を出家させたのは「実はそんなことではないか」と朱雀院は確信していたからじゃないかな。。と思います。
匂宮は、幼少の頃からやんちゃでわがままなイメージですね。
この帖でもわがまま一杯に育って負けず嫌いな麺が描かれます。
それに控え薫は、「すでに人生を達観」している感じですね。
薫は、本当は源氏の子ではないものの、源氏のお願いにより冷泉院(源氏と藤壺の不義の子)が手厚く後見して、官位も与えて一人前にするのですね。
薫は、世間的には何不自由なく暮らしていますが、なんと無く自分の出生の秘密に気づいている風です。
この対照的な二人はどんなドラマを繰り広げるのでしょうか。。。
