5月5日は、明石の姫君の生後50日目で五十日の祝に当たる日だったわ。
源氏は幼い姫君を愛しく思い、お祝いのお使いを間違いなくその日に到着するようにと念を押して届けるわ。
源氏は、自分の不運はこの姫君誕生のためのものだったのだ。。と考えるのよ。
源氏は「姫君を連れて京に来ることを決意してください、心配するような事は決してさせませんから。。」と手紙を書くわ。
この手紙を読んで入道は狂喜するわ。
姫君の乳母は、明石の君が理想通りの素晴らしいお方と判るや源氏の都でのご様子や世間での評判などを話して聞かせて差し上げるのよ。そんな乳母を源氏はちゃんと労うわ。
ようやく、明石の君も「こんなお方の姫君を生んだ自分もなかなか大したものだ」と思えるようになるわ。
一方、源氏は二条の院で、明石の君との手紙の表包みだけを紫の上にお見せして「決して隠し立てしている訳では無いのです」的な配慮をきちんと示すわ。
源氏は、この頃、紫の上のご機嫌を取るのにまぎれて花散里邸へなかなか出かけられないでいたわ。(紫の上が邪推❓するといけないから「外出自体」を控えていたのね。)
ようやく五月雨の頃、公私共に暇になった源氏は、久しぶりに花散里を訪ねるわ。
花散里は、日常の経済的な面は源氏を頼りにしていたので、拗ねたり恨んだりなどしないわ。
それに源氏一筋にじっとお待ち申し上げていたのよ。
その花散里の心優しさに源氏は癒されるのね。
源氏は、このような恵まれない女たちを新しい御殿に呼び寄せて明石の姫君のお世話をさせたいと工事を急がせるわ。
その頃、朱雀院は、すっかりのどかな心境で四季折々につけて管弦の遊びなどに興じているわ。
東宮の御母の承香殿の女御は、今までは内侍の君への院のご寵愛に圧倒されていたけれど、今は打って変わって結構な御身分になられているわ。
藤壺の尼宮は、太上天皇に準じた扱いを受け、宮中への参内も自由にできる身になるわ。
源氏は、弘徽殿の大后に対しては丁重に扱うけれども、それが却って世間の噂のタネになるわ。
そして、源氏が不遇の間手紙も寄こさず源氏を殊更避けていた兵部卿の宮に対しては、源氏は厳しかったわ。
紫の上の父君であり藤壺の尼宮の兄であるけれども、紫の上への扱いを含めて「彼の人間性」を見たのね。
兵部卿の宮が希望する正妻がお生みになった姫君の入内についても、気をつけて上げないのよ。
その年の秋、源氏は住吉神社にお礼詣りに行ったわ。
ちょうどその折も折り、あの明石の君も毎年の恒例の行事として住吉神社にお詣りに来るのよ。
でも、源氏の一行の華やかさに圧倒され我が身の情けなさを嘆くのよ。
自分の生んだ姫君が人数にも入らない有様で育っているので悲しいと思うのね。
明石の君は、自分の成し遂げた事(姫君の出産)がどういう意味を持っているのか、を理解できないでいるのよ。元は大臣の子孫(孫)と言っても片田舎で育った訳だから。。
明石の君は、難波に船を泊めてせめてそこでお祓いだけでもしようと、そちらに船を漕いで行くわ。
源氏はその夜、奉納の管弦の席で惟光から明石の一行がこの騒ぎに参詣もせずに立ち去った事を聞くわ。
源氏は、せめて短い手紙だけでも渡して慰めよう。。と「澪標あるこの難波で、身を尽くして恋い慕う貴女に会えたのはやはり宿縁の深さ故だろうか。。」と明石の君に届けるわ。
女君の方は、「物の数でもない我が身が、貴方様に対して身を尽くしてお慕い申し上げても何の意味がございましょうか。。」とお返事するのよ。
この二人が交わした歌に因んでこの帖の題名がつけられているわ。
女君は、源氏の一行が通り過ぎるのをお待ちしてその翌日に参詣を済ませるわ。
そして源氏が京にお着きになっただろう数日も経たないうちに、源氏からお使いの者を通じて「近いうちに京へお迎えします。」と告げるお手紙が来るわ。
彼女は京の都という所を知らないので、不安で行くべきか迷うわ。。
入道も、さすがに娘の京入りが具体化しそうになれば、このまま娘と孫娘を片田舎に置いとくのも京へ手放すのも悩ましい。。と思うわ。
今日はここまでです。
いつも読んでくださってありがとうございます。
次回も「澪標」③です。
よろしくお願いいたします。
では、今日も良い一日をお過ごしくださいね❣️
