源氏物語「葵」④(最終回) 源氏と紫の上の結婚(2)紫の上の気持ちを考えてみる。 | 気ままな日常を綴っています。

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いつか静かに消える時まで。。
一人静かに思いのままに生きたい。。

一方、紫の上のショックは尋常では無かったわ。。

兄のように慕っていた源氏をいやらしいと憎む(❓)わ。。

源氏が、翌日の昼ごろ見舞いに訪ねても引きこもってばかり居るのよ。

この時、紫の上は13歳か14歳だと思われるわ。。

確かに当時としても、結婚するには早すぎる年齢だったかも知れないけれど、この紫の上の源氏に対する態度の描き方は、彼女が「男女の情を未だ解らなかった」ということを紫式部が強調して居るようにも思えるのよ。

つまり、紫の上は源氏に愛され、自らも愛し一生添い遂げるのよ。

その生活には嬉しいことよりも悲しいこと、情けないことの方がたくさん有ったはずよ。

彼女がいつまでも源氏の愛をこんな風にしか、というか、自分の気持ちが傷つけられたとかばかりに気を取られる女性では、到底やって行けない事なのよ。

 

恐らく。。彼女は間も無く源氏の愛を喜びと感謝を持って受け入れたと思われるわ。。文中では触れられていないけれども。。

そして大切な事は、源氏が用意した結婚の儀式が、葵の上の忌中ということもあり質素に(源氏と葵の上の婚礼は盛大になされている。)執り行われた事、先の少納言の懸念からも判るように、紫の上は源氏にどんなに愛されても「正妻にはなれない」という事が暗示されているという事なのよ。

私は高校生の頃、源氏にこんなにも愛された紫の上がなぜ正妻にならなかったのか、残念に思っていたのよ。

 

紫の上は、父親が先々帝の子の兵部卿の宮ではあったけれど母君は父を失った(後ろ盾のない)「側室の子」だったのよ。。しかも、唯一の後見人である祖母の尼君も他界してしまって居るの。

同じく先帝の子であり、今をときめく源氏とは身分的にも経済的にも釣り合わないわ。。

源氏ほどの社会的地位になれば、正妻となる女性はもっと源氏を押し上げることができる権力(後ろ盾)が無ければならないのだから。

紫の上も、自分の置かれた位置を良く理解していたと思われるわ。

自分自身で、自分がもし源氏に引き取られていなければ、兵部卿の宮の正妻とそのお子達に遅れを取ってしまいどうかしたら母君のように絶命していたのかもしれない。。と解っていたと思うわ。

 

紫の上が、後に明石の君の生んだ源氏の子を国母にまで育て上げ、若い正妻となった女三宮を夫の為に喜んで(❓)迎え入れ、涙せず耐えた姿は読者に感銘を与えるわ。

他の二条の院に迎え入れられた側室達に対しても、自分の境遇があったからこその優しさで接していたと思われるわ。。。

 

彼女こそ、源氏の求める美しく、聡明で、人の心のヒダを理解できる優しさを持った生き仏だと思うのよ。だからこそ、彼女は、結局源氏に最も愛された女性だったと思うの。

私は、彼女が生前出家しなかったという事実とこのこととは無関係では無いと考えるのよ。

 

物語の序盤で先走って記載してごめんなさい。

ただ、こういう視点から源氏物語を眺めると、先帝の妃との不貞という大罪を犯しながらも、なお生き永らえ、あらゆる人・女性の人生に関わった源氏の生き様は、やはり御仏の心に適ったものではないのか。。という気がしてくるのよ。

 

今日はここまでです。

次回は「賢木」①です。

ありがとうございました。

 

今日も良い一日をお過ごしください。

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(補足)一夫多妻制について。

当時は女性に経済的自立が許されていなかったので、一夫多妻制だったのです。
つまり、正妻たる女性は実家の後ろ盾がちゃんとしていて男性の地位を引き上げるような方がなっていました。
正妻は、当時は政略結婚で決められることが多かったのです。
源氏は、母の身分が低くて臣下に下されたので父の桐壺帝が左大臣の娘の葵の上を(兄の朱雀にではなく)源氏にあてがって源氏の後ろ盾をしっかり作ったという経緯があります。

側室は、親の後ろ盾を失ったいわば貴族社会であれば「没落貴族の令嬢」ですね。
このような方は、むしろ一夫多妻制で「男性から面倒を見てもらう」という側面が濃いと思います。
源氏の場合は、自分の気持ちをもできるだけ捧げるようにしていますが。
要するに当時の「一夫多妻制」の「側室を設けるという意味」は、夫の自由恋愛という側面ももちろんありますが、経済力を失った女性を救済する措置でもあったのではないか、と推定いたします。
必ずしも「側室」は性的な関係を伴うものでもなかったのではないか。。と思っています。源氏の例で言えば「末摘花」の晩年などが良い例だと思います。

ここに、女性に経済的自立が認められ、男性と肩を並べて「恋愛も男女同等に自由にできる」現代とかなり異なる時代背景があると思います。
一夫一婦制は、「このような基盤=女性の経済的な自立」がないと実現はできなかったと思われます。