おはようございます。
今回も前回に引き続きヨハン・フリードリヒ・ベトガーのお話第2回目です。
よろしくお願いいたします。
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さて、18世紀初めベトガーがドレスデンの牢獄で辛い日々を送っていた頃、荷をいっぱい積んだ船は広東からアムステルダムダムの海賊が横行する海を行き来し、比類ない美と精巧を備えた(特に伊万里からの)磁器を運んでいたのよ。
アウグスト大王が求めていたのはそうした逸品(硬質磁器、ハードペースト)だった。。。
ベトガーは、牢獄の実験室で白磁の秘法を発見すべく熱心に実験を続けていたのだけれど、なかなか成果が出来ていなかったわ。
当時、ベトガーには共同研究者が居たのよ。この人物はチルンハウスという人で元々磁器の製法を研究して居た人なのね。
彼はすでに白土、ガラス、チョーク、石灰を混合する方法で「軟質磁器」(ソフトペースト)を作る事に成功して居たのよ。
チルンハウスは、アウグストのベトガーに対する苛立ちが高まると、「ベトガーこそ自分の研究の後継者である」と王を説得してくれて居たのよ。ベトガーの良き理解者だったのね。
(1735年頃の古マイセンの港湾風景図 ティーボウルの片面の絵付け。ヘロルトが得意としたモチーフです。)
1705年頃、さらに広大な研究室と窯が必要になった為、ベトガーは「囚人」の身分のままマイセンの街にそびえるアルブレヒト城に移送されたわ。
ここでの実験は極秘とされたので、窓はレンガで塞がれ、ベトガーは囚人のように実験室に閉じ込められたのよ。
でも、ベトガーは陶磁器の秘法の解明に次第にのめり込んで行くわ。。
ファイアンス陶器やせっ器、軟質磁器など、すでにヨーロッパで製造されていた焼き物とベトがーが求めて居た真の硬質磁器との「根本的な違い」は焼成温度にあるとベトガーは考えて居たのよ。
ベトガーは、元々ガラス製造行程について知識を持っており、また、錬金術の研究により鉱物が熱によって変化する様を熟知して居た為、従来よりももっと高い温度で焼成することが粘土をガラス質に変える鍵だと気づいて居たのよ。
本物の磁器が持つ無孔のガラス的特性を得るのにガラスは必要ではない、ある比率の岩石を高温で溶かし全く別の形に変成させれば良い。。。
(同じティーボウルのもう一面の絵付け。かなり小さいティーボウルに綿密に絵付けがなされている。)
そうしてマイセンに来て1年後、彼は肌理細かい赤色せっ器の焼成に成功するわ。
でも、それは「白い宝石」では無かったのよ。
で、試行錯誤の結果、ベトガーがやがて目をつけたの材料は、カオリンまたは磁土と呼ばれる肌理の細かい灰色味を帯びた土だったのよ。
カオリンは、長石質母岩が風化して出来たものであり、主成分はカオリナイトという珪酸アルミニウム水和物で可塑性があった為成形に最適だった。。
それにベトガーがカオリンに目をつけたもう一つの理由は、高温で焼くと「真っ白く変化」することだったのよ。
でも、カオリンは高温で柔らかくなるけど溶解しないから石灰質の鉱物をあらゆる割合で配合し焼成することを試みて見たのね。
そうしてついに1708年1月15日、ベトガーは卵の殻のように薄くて半透明な白磁の焼成に成功したのよ。
彼が27歳の時だったわ。。。
(ティーボウルの内側の底にはこのような絵付けが❣️カップの内側の絵付けは18世紀マイセンの特徴の一つです。)
こうして、ヨーロッパ初の白磁の焼成に成功したマイセンは、世界屈指の陶磁器工房となるのね。
ヨハン・フリードリヒ・ベトガーが白磁の焼成に成功したまでの話はこれで終わりです。
しかし、彼はこのような素晴らしい業績にもかかわらず、磁器製法が門外に出ることを恐れたアウグストに一生幽閉され、37歳の若さでアルコールに溺れてなくなってしまうのよ。
では、次回はヨハン・フリードリヒ・ベトガー③(私の勝手な感想→あいかわらずの言いたがりですみません。笑)です。最終回となります。
では、皆様、今日も良い一日をお過ごしください。


