【〇○婦問題】2020.06 (h) ② | ぺる Ⅱのブログ

ぺる Ⅱのブログ

続・チラシの裏書き

 

 

 

目次 

 

2020

01(06/11)[ルポ]最期までキル・ウォノクさんを気にかけ…「食事はちゃんととっておられます」

02(06/12)「平和のわが家」に一人残されたキル・ウォノクさん、息子の家へ

03(06/12)[寄稿]「30年の慰安婦運動」まるで終わったかのように評価するのはやめよう(前)

04(06/12)[寄稿]「30年の慰安婦運動」まるで終わったかのように評価するのはやめよう(後)

05(06/13)「ナヌムの家」の職員6人、ウォルチュ僧侶など理事を追加で告発

06(06/23)「韓日基本条約」締結から55年、再び考える「隣人」

07(06/25)28年目にして初めて「平和の少女像」なき水曜集会

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

01 

[ルポ]最期までキル・ウォノクさんを気にかけ…「食事はちゃんととっておられます」
登録:2020-06-11 08:40 修正:2020-06-11 12:18

ソン・ヨンミ所長を追悼した水曜集会 
正義連理事長「ソン所長のメッセージ」公開に 
参加した市民から泣き声 
活動家ら、過剰捜査・憶測報道を批判 
「惨憺として悲痛な思い、守れなくてごめんなさい 
慰安婦運動の誹謗中傷に最後まで立ち向かう



10日午後、ソウル鍾路区の旧駐韓日本大使館前で開かれた「第1443回日本軍慰安婦被害者問題解決のための定期水曜集会」で、参加者たちが正義連の憩いの場「平和のウリチプ(わが家)」のソン・ヨンミ所長を追悼し、黙祷している。イ・ジョングン記者//ハンギョレ新聞社

 

 「理事長、ご苦労が絶えないでしょう?ハルモニ(おばあさん)はちゃんと食事をとっておられます」
 

 メッセージを読み上げる声が涙声になった。日本軍「慰安婦」被害者の「憩いの場」を16年間守ってきた故ソン・ヨンミ「平和のウリチプ(わが家)」所長の葬儀が終わった10日、水曜集会に立ったイ・ナヨン正義記憶連帯(正義連)理事長は、ソン所長が送った最期のショートメッセージの内容を公開した。最期のメッセージでも、ソン所長が憩いの場の最後の生存者であるキル・ウォノクさん(92)と正義連の活動家たちを心配していたという事実を伝えると、集会現場のあちこちですすり泣きが起こった。
 

 この日朝、正義連の活動家らは、ソン所長の出棺手続きを厳粛に行い、水曜集会の現場に向かった。この日の水曜集会は、ソン所長を追悼する場として行われた。午後12時、ソウル市鍾路区にある旧在韓日本大使館前に集まった100人余りの市民たちは「守ってあげられなくてごめんなさい」とソン所長を追悼した。
 

 葬儀の喪主を務めたイ理事長はマイクを握り、「あなたを失った私たちは皆罪人だ」とし、「突然の悲報と家族を失った痛みの中でも、むしろ私たちを慰めてくださった遺族の皆様に感謝する」とあいさつした。そして検察とマスコミに対する批判を続けた。イ理事長は「故人の死後もさまざまな予断と憶測、分別のない疑惑提起、責任転嫁と個人情報暴き、遺族と活動家に対する分別のない接近と不法撮影まで、マスコミの変わらぬ取材行動が続いている」とし、「惨憺たる思いで悲痛なばかりだ」と話した。
 

 水曜集会の主管を務めた韓国女神学者協議会のイ・ウンソン実行委員は「30年間水曜集会を続けてきたが、どの日よりも悲痛で厳粛な気持ちでこの場に立った」とし、「この1カ月間、さまざまな歪曲と偽り、暴力が水曜集会と正義連の活動を歪曲、誹謗中傷した渦中に、慰安婦運動の土台であるハルモニたちに寄り添いあらゆるお世話をしてきたソン所長を失った日だからだ」と語った。韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の共同設立者の一人、キム・ヘウォン正義連顧問も集会に参加し、「1992年に初めて水曜集会を行った際、政府は否定的な見方をし、市民は冷ややかだった。勇気を尽くして孤独な闘いを始めた」とし、「その孤独な闘いが女性の人権と世界平和を主張する運動の中心になった」と語った。キム顧問は「この苦労して築いた塔を崩そうとする不純な反対勢力が私たちを執拗に攻撃する。決して引き下がらず、日本がハルモニたちに謝罪し、戦争犯罪を謝罪するその日まで、しっかりと前進する」と述べた。
 

 この日、水曜集会が始まると、集会参加者を取り囲む保守団体は拡声器で騒音を立て、集会を妨害した。警察が衝突を防ぐため保守系団体に対して声を小さくするよう求めたが、彼らは「なぜ我々だけを閉じこめるのか。デモの届けを出した。われわれにも集会・デモの自由がある」と抗議した。両方から聞こえる騒音にも関わらず、水曜集会の参加者たちは終始厳粛な雰囲気の中でソン所長を追悼した。
 

チェ・ユンテ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
 

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/948802.html
韓国語原文入力:2020-06-11 02:02
訳C.M

 

目次 

 

 

 

 

 

 




 

02 

「平和のわが家」に一人残されたキル・ウォノクさん、息子の家へ
登録:2020-06-12 06:23 修正:2020-06-12 07:18

牧師の息子夫婦と同居することに 
療養保護士も常駐し、介護に当たる 
「ソン所長は母の娘のような存在」 
麻浦の憩いの場、8年ぶりに空き家に



キル・ウォノクさんの新たな住処になるファン・ソンヒ牧師が運営する仁川延寿区教会の教育館=仁川/チェ・ユンテ記者//ハンギョレ新聞社


キル・ウォノクさんの新たな住処になったファン・ソンヒ牧師が運営する仁川市延寿区教会の教育館門の前に、キルさんの車椅子が置かれている=チェ・ユンテ記者//ハンギョレ新聞社

 

 日本軍「慰安婦」被害者で、2012年から正義記憶連帯(正義連)が運営するソウル麻浦区にある憩いの場「平和のわが家」で生活してきたキル・ウォノクさん(92)が11日、憩いの場を離れ、養子のファン・ソンヒ牧師と同居することになった。
 

 正義連とファン牧師の説明によると、キルさんは同日午前、憩いの場を訪れたファンさんと共に、仁川市延寿区(ヨンスグ)にあるファン牧師の家に引っ越した。憩いの場を運営しながらキルさんの面倒を見てきたソン・ヨンミ所長が6日に死亡した後、ファン牧師が正義連側にキルさんとの同居の意思を伝えたという。キルさんは当初、どこにも行かないと言っていたが、ファン牧師に説得され、同居を決めたと、正義連側は伝えた。正義連側は「キルさんは糖尿病を患っており、健康面で不安がある」と述べた。
 

 キルさんの新たな住処は、地下1階が教会、地上1階は「教育館」、2階はファン牧師一家が生活する建物だ。キルさんは1階で生活する予定だと、ファン牧師は伝えた。同日午後、ハンギョレが教育館1階のドアを開けて入ると、キルさんは16.5平方メートル(5坪)余りの部屋に置かれた患者用ベッドで目を閉じて横になっていた。この部屋は中高生のための教育室として使われた所だ。キルさんの体調が良くない点を考慮し、24時間キルさんの面倒を見る療養保護士が隣の部屋に常駐するという。ファン牧師は「ソンさんも亡くなり、時期が来たと思い、同居を決めた。母(キルさん)がこの家に来るのは初めてだが、息子の家で一緒に住もうと声をかけたら、『うちに行く』と言って喜んだ」と話した。
 

 ファン牧師は正義連の会計不正疑惑について、「検察に任せるしかない。我々は(それについては)よく分からない」とし、「ただ母とここで幸せに暮らしたいだけだ」と語った。 ファン牧師の妻は「これまで義母の口座など金銭的な部分について全く知らなかったが、やはり把握しておくべきではないかと、ソン所長に言ったことはある」とし、「ソン所長は義母にとって娘のような存在だった。感謝してもし切れないほど」だと語った。
 

 「平和のわが家」は2012年、正義連の前身である韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が明星教会から使用権を寄付されて作った憩いの場だ。キルさんをはじめ、故キム・ボクトンさんやイ・スンドクさんらが生前ここで生活していたが、この日から誰もいない空き家となった。
 

仁川/チェ・ユンテ記者、カン・ジェグ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
 

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/948974.html
韓国語原文入力:2020-06-11 20:24
訳H.J

 

目次 

 

 




 

 

 

 

 

03 

[寄稿]「30年の慰安婦運動」まるで終わったかのように評価するのはやめよう(前)
登録:2020-06-12 11:28 修正:2020-06-12 12:55

「慰安婦運動を語る」専門家リレー寄稿(6) 
キム・ヨンヒ|延世大学国文科教授・延世大学ジェンダー研究所長



専門家リレー寄稿「慰安婦運動を語る」//ハンギョレ新聞社

 

 私は水曜集会に一度も参加したことがない。
 

 私は「女子高」3年の夏休みにテレビで金学順(キム・ハクスン)さんの証言を聞いたが、隣にいた「男」の大人は、1987年の6月抗争以降、韓国社会の民主化と進歩を深く考える知識人の一人だった。彼はニュース報道を見るなり、「民族の恥をあんな風にさらけださなければならないのか」と非難した。金学順さんの証言後の秋頃、「慰安婦」を再現したドラマが流行したが、学校で生物の教師が、鉄条網越しに男女の主人公がキスするシーンを事細かに説明し、「慰安婦」役を演じた「女」の俳優の胸がかなり大きいという話を重ねて強調した。「慰安婦」について、私に話しかけた二番目の「男」の大人だった。
 

 大学に進学すると、学校で数人の女子の先輩が基地村の活動や水曜集会に出ようと話しかけてくるようになった。私は基地村の活動にも水曜集会にも関心があったが、私が何かを悩んで選択する前に、街頭デモの現場へ、立ち退き住民の戦いの場へ私の手を引いて連れて行く先輩たちがいた。そして彼女たちは常に「韓国社会はいろいろな矛盾が重なっているから、まずは急を要していて重要な問題から解決していくしかない」ということを口癖のように言っていた。
 

 口述敍事を専攻して大学の教授になった後、学生たちと一緒に「日本軍慰安婦」の記憶を持つ女性たちが口述した話を読み、関連する小説や映画を観てこんな話を交わしたこともあった。
 

 韓国社会で「日本軍慰安婦」に対する記憶は1991年まで封印されていた。記憶の封印とともに、彼女たちの人生と苦痛も存在しないことになっていた。金学順さんが口を開くまで、彼女たちの存在は幽霊のようだった。ただ風の噂で聞こえる話があるだけだった。彼女たちの証言は決して忘れられない暴力の記憶を世にさらけだすことであり、それ自体が再び苦痛の中に吸い込まれていくことだったが、当時この言葉に耳を傾けようとする人は少なかった。彼女たちは自分たちのそばに寄り添った人々と連帯し、国内外の法廷と証言の場を訪ね回った。人々は彼女たちに「最大限感情を排除し、正確かつ客観的に」話すよう求め、「そうすれば他の人たちが聞いてくれる」とも付け加えた。人々は暴力の記憶を「正確かつ客観的に語る」ことは不可能だということを理解できず、世間の関心は韓日間のイシューが浮上したり静まるのに従って上がったり下がったりするのが常だった。ある人は検事や判事のように「私が判断してあげるからファクトを話してみろ」という態度で証言を求め、ある人たちは彼女たちの言葉とは関係なく「民族」という言葉が呼び起こす情動に自分一人深く捕らわれていた。



日本軍性奴隷制問題解決に向けた第1420回定期水曜集会が、元旦午後、ソウル鍾路区旧駐韓日本大使館の向かいの少女像の前で開かれた中、正義記憶連帯のメンバーらと市民200人余りが日本政府の公式謝罪と法的賠償を要求している=キム・ボンギュ先任記者//ハンギョレ新聞社

 

 映画の中で証言に立った女性たちは、みな服を脱いで自分の傷を見せる。彼女の言葉を信じなかった人々は皆、その傷を見て深いため息をつき、ようやくその言葉を信じるようになる。「日本軍慰安婦」を再現したすべてのストーリーとイメージは「少女」あるいは「ハルモニ(おばあさん)」に限定される。そして、ここに重要な修飾語が入る。「純潔な少女」、そして「純粋なハルモニ」だ。私は、韓国社会は彼女たちの30代と40代と50代を描けないと思う。韓国社会で彼女たちは「生きている人」ではなかったため、「純潔」と「純粋」から外れた生涯を再現することはできないだろう。何よりもその時間のあいだ、彼女たちを沈黙させた「暴力」を、韓国社会が自ら告発することができるだろうか。
 

 私は「日本軍慰安婦」問題の被害者が耐えてきた時間や、彼女たちと連帯してきた活動家たちの時間を分かることはできない。彼女たちの言葉に耳を傾け、彼女たちの書いた文を読んだが、やはり「私は分かることはできない」と思う。当事者以外では誰も分かることのできない時間であろう。私は推察できるということすら、とうてい言えない。しかし、私は私が「日本軍慰安婦」問題の当事者だと考える。「日本軍慰安婦」と呼ばれていた彼女たちが経験した暴力の加害と被害いずれにもつながっており、また彼女たちと連帯する社会的責任が私にあると考えるからだ。
 

 沖縄のペ・ボンギさんが、本人の意志ではなく、ひとえに生き残るために仕方なく「日本軍慰安婦」だったという事実を明らかにしなければならなかった時、沖縄の住民たちは「あなたはつらい記憶を引き出して証言しなくていい。私たちが覚えている。私たちが証言する」と言った。記憶を通じて非可視化された存在を可視化するとき、記憶に対する責任と倫理的義務は誰にあるのだろうか。暴力の被害当事者にのみ証言の義務を強要し、その証言を通じてのみ存在を信じることができるという社会は、どのような社会だろうか。最も大きな被害を受けた人から少ない被害を受けた人に至るまで、その被害の程度によって当事者性の位階を定めることはできない。また、暴力の被害を受けた人だけが当事者性を持つわけでもないと思う。私たちみなが植民支配の暴力とその暴力の痕跡、そして性暴力の現実に対して何らかの当事者性を持っており、持たなければならない。当事者性の拡張を通じて私たちが記憶すると言うとき、暴力の後の沈黙を作り出した暴力も止めることができるだろう。
 

 しかし、私たちは互いに異なる当事者性を持っており、この計り知れないほど多くの当事者性の違いを前に、慎重に近づいていかねばならない。暴力の被害を直接受けた人々の立場と、彼女たちのそばにずっといた活動家たちの立場をすべて分かるとは言えず、これを下手に裁断することはできない。この固有の違いに対して姿勢を低くし、”慎重に”近づくことができるだけだ。時には「あなたの苦痛を理解する」という言葉さえ暴力になることがあるからだ。イ・ヨンスさんの記者会見後、私はイ・ヨンスさんとユン・ミヒャンさんの時間を、そして挺対協と正義連の歴史を「分かっている」という多くの人々の言葉を聞いている。その言葉の中から、「日本軍慰安婦」と呼ばれていた彼女たちと連帯する者の当事者性を省察する、半世紀の沈黙を作った韓国社会の暴力を反省する声を、発見することはなかなかできなかった。「日本軍慰安婦」をめぐる言説の場の歴史は、50年間は沈黙の暴力で覆われた時間であり、その後30年間は他者化の暴力に覆われた時間だった。(続)
 

キム・ヨンヒ延世大学国文科教授・延世大学ジェンダー研究所長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
 

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/947803.html
韓国語原文入力:2020-06-0809:03
訳C.M

 

目次 

 

 

 

 

 

 




 

04 

[寄稿]「30年の慰安婦運動」まるで終わったかのように評価するのはやめよう(後)

登録:2020-06-12 11:31 修正:2020-06-12 12:56

 

「慰安婦運動を語る」専門家リレー寄稿(6) 
キム・ヨンヒ|延世大学国文科教授・延世大学ジェンダー研究所長



専門家リレー寄稿「慰安婦運動を語る」//ハンギョレ新聞社

 

(前編より続く)
 「ハルモニ」の言葉を聞け、彼女の言葉を尊重しろという人たちが真っ先に「代理発話」に出た。「ハルモニ」の意思は何なのかを自らの言葉で説明し、評価し、その中に込められた真意が何なのかを教えようとした。自分だけが、あるいは自分たちだけが「ハルモニ」の言葉に込められた本音を最も正確に知っていると自負する人々は、金魚鉢の中の魚を上から下に見下ろす人のように、事態を観照する位置にいた。金魚鉢の中で起こることは、その人々にとって”自分のこと”ではなく、金魚鉢の中で起こることに対する責任も彼らにはない。過ちは”あいつら”の責任であり、”私”は倫理的な人間であるため、彼らは倫理を装うあらゆる修辞を動員して「当事者の言葉を尊重しなければならない」と言う。彼らにとっては当事者でない位置から当事者の言葉を尊重し、当事者の話を代理発話することが”倫理”なのだ。
 

 しかし私は、言葉の前に解釈が存在していたと思う。どんな言葉が出てくるかの前に、この言葉がどのように解釈されるか、その運命が決まっていた。イ・ヨンスさんとユン・ミヒャンさんの言葉がある前に、「正義連」と「日本軍慰安婦」問題に連帯してきた人たちの言葉が出てくる前に、この言葉はすでに構築された陣営のスペクトルの中で各自の位置を持つようになる計画の下に包摂されていた。この計画は正確に他者化の暴力を具現化する。誰かを規定し、ある偏見に固めて攻撃しようとする時に真っ先に実行することは、対象を縮小して固定することだ。そして、その縮小され固定された属性は、対象の固有のものとして本質化され、その他のすべては他者化の暴力によって、先に述べた規定された内容に還元される。このようなとき、事態は単純化され、文脈の厚さは薄っぺらく平面化される。
 

 イ・ヨンスさんとユン・ミヒャンさんは異なる陣営によって攻撃のターゲットとなった。互いに異なる立場に立ったように見えるが、彼女たちは結局、他者化の暴力の前でいずれも攻撃の対象であるだけで、その攻撃を正当化する口実は彼らの”堕落”だ。いつ誰によってかはわからないが、イ・ヨンスさんは純粋な被害者と仮定され、ユン・ミヒャンさんは純粋で倫理的な活動家と仮定された。彼女たちは生きている人間ではなく”対象”であるため、この”純粋”の境界を越えた瞬間、”堕落”と”不純”のあらゆる汚名を着せられ、攻撃の対象となった。この”純粋”から外れた”堕落”は、攻撃の理由であると同時に攻撃を正当化する根拠でもある。
 

 イ・ヨンスさんとユン・ミヒャンさんから明らかになった”純粋”から外れた”堕落”の兆候は何だったのか。私はそれが、政治権力に向けた欲望を表わしたことだと思う。しかし、両者はこの30年間、政治活動を続けてきた。制度圏の中に入って政治をするのは場を移すことに過ぎず、「日本軍慰安婦」を取り巻く全ての議論は最初から最後まで幾重もの政治を遂行することに他ならない。被害者が”運動”に乗り出し、この”運動”を通じて政治的な場に突入することは、どの社会でも珍しいことではない。市民社会団体で活動していた活動家が制度圏の政治に進入するのも同じだ。今、韓国の国会議員や地方自治体の長、地方議会の議員のうち、こうした”運動”の経歴を足がかりに政治に乗り出した人は数え切れないほど多い。


 ある研究者が私に、韓国社会で“男性”がすることは「肯定的一般化」の対象になりやすいのに対し、”女性”がすることは「否定的一般化」の対象になりやすいと言ったことがある。”男性”たちがする非常に小さなことも大きく価値を評価され肯定的な方向に一般化するのに対し、”女性”たちがすることは極端な否定的評価を受け、反対方向に一般化される傾向が強いということだ。イ・ヨンスさんとユン・ミヒャンさんはすでに特定勢力を代理表象する存在となった。人々が「ナヌムの家」と「正義記憶連帯」を区分できないのは、無関心で無知なためではなく、区分したくもなく、区分する必要がないからだ。彼女たちにとって「ユン・ミヒャン」と「正義連」と「ナヌムの家」は区別する必要がない対象だ。このようにして水曜集会に出た数知れない人々や、「ユン・ミヒャン」ではない活動家たちや「正義連」へと続いた30年の歴史、そしてこれらすべての人々の時間が、簡単に消される。ユン・ミヒャンさんは一つの典型になり、「堕落した活動家」と「非倫理的な86世代の政治勢力」と「日本軍慰安婦問題に実践的連帯を見せた女性」らを代理表象することになった。


 この議論の中で、ある人たちはユン・ミヒャンさんが国会議員の資質を備えているか検証すると乗り出し、ある人たちは日本軍慰安婦運動の歴史を評価しようと言ったりもする。しかし、大多数は沈黙している。言うことがないからではなく、 どんな言葉もこれら陣営の構図の中で簡単に使い捨てられるパイになることが、あまりにも自明だからだ。老人の貪欲、大邱(テグ)、横領、5軒の家、家族、黒幕、韓日関係、交流と和解、裏切りと道具化などの言葉が、この30年間の歴史を、その時間のほんの少しでもつかみ取ることができるだろうか。その時間は、ユン・ミヒャンさんのものでも、イ・ヨンスさんのものでも、「挺対協」や「正義連」でもない。イ・ヨンスさんもユン・ミヒャンさんも、この運動の流れの中にいる一人にすぎず、彼女たちは他のすべての活動家がそうであるように、過ちと限界を持ちうる。「正義連」もまた同じだ。今、「正義連」を非難し、その団体名の前に付けるあらゆる修辞の言葉をそのまま韓国社会のすべての社会運動団体の前につけたとしても、全くおかしくないだろう。


 過ちや問題はどこにでも誰にでもあるから、なあなあにして流そうという話をしたわけではない。私は「正義連」に対する批判的議論も、かつての日本軍慰安婦問題をめぐる運動の歴史についての評価も、全部必要で有意義だと思う。国会議員になったのだから、政治家のユン・ミヒャンさんに対する評価も必要だと思う。さらに1987年6月抗争後の市民社会運動の歴史を振り返ることもできればいいと思う。また、活動家の位置づけと役割、当事者性の問題についても生産的な議論が必要だと考える。しかし、今この夥しい”盤”に群がっている人々が、本当にこうした問題に関心があって一言ずつ言葉を加えているのかは分からない。



キム・ヨンヒ延世大学国文科教授・延世大学ジェンダー研究所長=カン・ジェフン先任記者//ハンギョレ新聞社

 

 私も、私が加えたこの一言の効果が怖い。インターネットのコメントが怖いのではなく、私がわからないことについて、わかっているかのごとく言ってしまうのが怖く、私が言った言葉がこの談論の中でどのような政治的効果を生み出すか見当がつかないのが怖い。しかし、怖さの中でも一言を切り出したのは、沈黙の理由を言いたいからだ。この半世紀、”ハルモニ”たちの沈黙を生んだ暴力は、依然として省察されないまま続いている。「私の方がよく分かっている」と先を争って言い出す人々の後ろで、数知れない人たちが言うべきことを言えずに沈黙している。私はこの沈黙を代理することはできないが、私の気持ち推して慎重に察するとしたら、明らかに人々の口を閉ざさせる苦痛と怒りがあるだろうと思う。いつもとてつもない苦痛の跡を残した最初の暴力は消され、その苦痛の跡のためにちゃんと考えてちゃんと休めなかった人々が互いを非難することが繰り返されるということ、そして最初から暴力を傍観したり共謀した人々が、この争いを勝手に評価し裁断することが繰り返されるという事実に、私には我慢できない。何よりも今、論争に参加した人々の多くは、まるで「終わった戦いを評価するかのように」発言したり、「戦いが終わった後の結果をめぐって争う人々を非難するかのように」発言するが、沈黙する人々にとってこの戦いはまったく終わっていない。沈黙を破ってはっきりと言うが、それは30年前も、今も、完全に”現在”だ。
 

キム・ヨンヒ延世大学国文科教授・延世大学ジェンダー研究所長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
 

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/947803.html
韓国語原文入力:2020-06-0809:03
訳C.M

 

目次 

 

 

 

 

 

 




 

05 

「ナヌムの家」の職員6人、ウォルチュ僧侶など理事を追加で告発
登録:2020-06-13 02:31 修正:2020-06-13 07:22

法人理事を寄付金品法違反、横領などの疑いで告発 
「虚偽で学芸員の資格取得し給与受け取っている」 
「健康保険料1420万ウォンを後援金で納付」 
アン・シングォン前所長ら運営陣も追加で告発 
「公開入札したように見せかけるため写真を撮って提出」



京畿道広州市退村面元堂里の「ナヌムの家」=広州/イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社

 

 日本軍「慰安婦」被害女性が住む京畿道広州市(クァンジュシ)の「ナヌムの家」を内部告発した職員たちが、法人の理事などを寄付金品法違反および横領などの疑いで追加告発した。
 

 ナヌムの家のキム・デウォル学芸室長ら内部告発した6人の職員は、「ウォルチュ僧侶(ソン・ヒョンソプ)、ウォンヘン僧侶(イ・ギュジョン)、ソンウ僧侶(ソ・インニョル)、ファピョン僧侶(チェ・グァンシク)ら法人理事は、ナヌムの家ホームページを通じ、これまで118億ウォン(約10億5000万円)を超える寄付金を募ってきたが、寄付金品法に基づく募集登録をしていなかった」として、彼らを寄付金品法違反の疑いで告発した。寄付金品法は、1000万ウォン(約89万2000円)以上の寄付金を募集する際には、事前に寄付金募集・使用計画書を作成し、政府に登録しなければならないと定めている。寄付金募集目標額が10億ウォン(約8920万円)を超過する場合は、行政安全部に登録申請しなければならない。
 

 このほかにも、ウォンヘン僧侶が虚偽で学芸員の資格を取得したことや、2013年3月から2018年10月まで「ナヌムの家」に常勤していなかったにもかかわらず総額1億ウォン(約892万円)程の給与を受け取っていたこと、ウォルチュ僧侶が1420万ウォン(約127万円)の地域健康保険料を後援金から払っていたことなどに基づき、偽計による公務執行妨害および横領の疑いなどで告発した。
 

 さらに、アン・シングォン前所長やキム・ジョンスク前事務局長ら施設の運営陣が虚偽の補助金精算報告書を提出させたとして、彼らを「偽計による公務執行妨害」の疑いで追加告発した。職員らは告発状で「アン・シングォンとキム・ジョンスクは広州市などの補助金で各種の建築事業などを行う際、補助金管理に関する法律などに違反し、実際には工事入札公告を行っておらず、公開入札の過程を経ていないにもかかわらず、これを行ったかのように装い、広州市に虚偽の内容が含まれた補助金精算報告書を提出した」と明らかにした。
 

 職員の説明と告発状の内容を総合すると、2017年に「ナヌムの家」遺品記録館および追悼館の建設工事、2019年に「ナヌムの家」生活館の工事を行った際、運営陣は公開入札をしたかのように写真を撮影して提出したが、実際には工事担当業者の代表が知人を連れてきて演出した写真を提出していたことが分かった。職員らは「公開入札ではなく随意契約で業者を選定する行為は、補助金管理に関する法律および施行令に違反する行為」と説明した。
 

 京畿道も先月20日に「ナヌムの家」特別点検の中間結果を発表し、「ナヌムの家は2014年から2019年まで13件の契約を行い、国家総合電子調達システムの『ナラジャント』を利用せず、『ナヌムの家』のホームページでのみ入札を公告し、契約を行った」と指摘している。
 

 職員たちは今年3月にもキム前事務局長を横領と背任の疑いで、先月にはアン前所長を背任の疑いで警察に告発している。
 

パク・タヘ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
 

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/949114.html
韓国語原文入力:2020-06-12 15:44
訳D.K

 

目次 

 

 

 

 

 

 




 

06 

「韓日基本条約」締結から55年、再び考える「隣人」
登録:2020-06-23 09:37 修正:2020-06-23 16:41

[「和解・共感」朝日新聞インタビューのまなざし] 
イ・スヒョンさんの母「元徴用労働者や元慰安婦に 
真摯な気持ちで謝ってほしい」 

作家の平野啓一郎氏「韓国最高裁判決文を読もう」 
韓日関係の回復を模索、8カ月にわたり連載



1965年12月18日、イ・ドンウォン外務長官と日本の椎名悦三郎外相などが政府庁舎の長官室で韓日基本条約発効を祝って祝杯をあげている。条約締結はこれに先立つ1965年6月22日、東京の首相官邸で行われた=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 

 2001年に東京で線路に落ちた日本人を助けようとして死亡した故イ・スヒョンさんの母シン・ユンチャンさん(71)が、強制徴用と慰安婦問題に対する日本政府の真摯な謝罪を要求した。
 

 シンさんは今月22日、朝日新聞のインタビューで「日本は元徴用工や元慰安婦らを傷つけたことを認め、真摯な気持ちで謝ってほしい。息子の命日に事故現場にいらした日本人女性が色紙にしたためた言葉のような、人間味が感じられる行動であってほしい」と明らかにした。
 

 インタビューが行われたこの日は、韓国と日本が国交正常化協定に署名してからちょうど55年目の日だ。インタビューが掲載されたコーナーのタイトルは「隣人」。韓日両国関係が歴史問題を解決できないまま最悪の状況に突き進んだなか、朝日新聞は昨年10月から共感と和解の視線で韓日関係を考えようという趣旨で「隣人」と題したインタビュー連載記事を掲載した。
 

 韓国と日本は55年前の1965年6月22日、東京でいわゆる「韓日基本条約」と「韓日請求権協定」を含む4つの付属協定に署名した。断絶していた両国の国交を回復する転換点となったが、植民地支配の不法性を明記せず、韓日協定は強制徴用、慰安婦など、現在も対立の火種として作用している。
 

 日本は「無償3億ドルの支払い」などの請求権協定で歴史問題が完全に解決したという立場だ。一方、韓国の最高裁(大法院)は2018年10月、「日本政府の朝鮮半島植民地支配は不法だった」とし、強制動員の被害者が受けた不法行為や人権侵害に対する慰謝料の請求権は1965年の協定の適用対象ではないと判断した。韓国の裁判所は最高裁判所の判決を受け、日本企業の韓国内資産に対する強制売却の手続きを踏んでおり、日本はそれが現実化した場合には経済報復するなどを予告した。韓日は接点を見出せずに「強行対応」で争っている格好だ。朝日新聞のインタビュー連載は、韓日関係を回復するための新たな道を模索しなければならないという指摘から始まっている。
 

 シンさんに先立ち、昨年10月にインタビューに応じた小説家の平野啓一郎氏は、徴用問題に関し「国家利益の代弁者になって考えるのではなく、まず一人の人間として彼らの境遇を思うことが大切」とし、「まず、韓国大法院の判決文を読むべき」と提案している。「韓国が好きな大学生・もち」と名乗った日本人は「私にとって韓国は、安くて、かわいくて、よいもの。私たちの世代が何かを新しく築き上げることができると思う」と語った。これまで朝日新聞には14人のインタビューが掲載されたが、大半は「共感」と「和解」、「理解」を強調した。
 

キム・ソヨン記者 misong@donga.com
 

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/950479.html
韓国語原文入力:2020-06-2 02:34
訳C.M

 

目次 

 

 

 

 

 

 




 

07 

28年目にして初めて「平和の少女像」なき水曜集会
登録:2020-06-25 09:40 修正:2020-06-25 12:48

「分裂をあおってもこの場所を守る」 
保守団体が集会場所を先取りすると 
雨の中、約10メートル離れた場所で150人が集結 
「慰安婦被害者の方々の名誉と人権を」叫び



24日午前、ソウル鍾路区の旧日本大使館前の少女像で「反安倍反日青年学生共同行動」所属の学生たちが少女像の撤去を要求する保守団体メンバーのデモを阻止するために、少女像の周りで体を縛って座り込みをしている=パク・ジョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 

 梅雨に入った24日昼、雨具を着けた市民たちが「第1445回日本軍性奴隷制問題の解決に向けた定期水曜集会」(水曜集会)に参加するために集まった。しかし「平和の少女像」のない場所だった。「正義記憶連帯」(正義連)が28年間水曜集会を続けてきたソウル鍾路区(チョンノグ)の旧在韓日本大使館前に、保守団体が集会届出を先に行なって場所を取っていたためだ。
 

 水曜集会の場所は少女像から約10メートル離れた場所だった。1992年、日本軍「慰安婦」被害者である金学順(キム・ハクスン)さんが初めて被害を証言したのを機に始まった水曜集会が場所を移して開かれたのは、今回が初めて。すでに保守団体の「自由連帯」は7月中旬まで「平和の少女像」前での集会を届け出、優先権を得ている。
 

 発言を行ったイ・ナヨン正義連理事長は「水曜集会は1995年の阪神淡路大震災当時、被害者追悼のために1回だけ行わなかったのを除き、1400回を超えて今日まで続いている」と述べ、「(水曜集会の)時間と空間の歴史的意味を否定し、確執と分裂を助長する行動が起きているが、変わらずこの場に立った。追い出され、奪われ、弾圧を受け、全身が傷だらけになってもこの場を守る」と述べた。150人余りの市民も参加し、「30年間の叫び、ハルモニ(おばあさん)たちに名誉と人権を」などのスローガンが書かれたプラカードを持って支持を送った。
 

 前日の23日、水曜集会を支持する青年たちが少女像のそばで徹夜の座り込みをした。反安倍反日青年学生共同行動所属の若者たちは、前日午前からこの日の集会まで「少女像を守ろう」などのスローガンを叫び、少女像の場所を守った。イ・ソヨン反安倍反日青年学生共同行動代表はハンギョレに「慰安婦被害者の方々が闘争してきた場所を保守団体に明け渡すことはできないと思った」と話した。
 

 また、他の青年団体もこの日午前9時から少女像の近くで保守団体を相手に「水曜集会の侮辱と妨害をやめよ」という抗議集会を開いた。6・15青年学生本部大学生分科所属の70人あまりの若者は「少女像を守り歴史を守ろう」「水曜集会侮辱デモは帰れ」などのプラカードを掲げ、連帯発言を行った。進歩大学生ネットで活動するカン・セボムさんは、「被害者の方々や市民が血と涙と叫びで築いてきた30年の歳月を、日本政府が謝罪するまで続けていきたい」と語った。
 

 これに対抗して、保守団体も正義連の解体を求める集会を開いた。保守団体と水曜集会を支持する市民の間で大声が飛び交ったりもしたが、物理的な衝突はなかった。
 

カン・ジェグ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
 

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/950817.html
韓国語原文入力:2020-06-25 02:01
訳C.M

 

目次

 

 

 

 

 

 

 

 


 

end