【〇○婦問題】2019.08 (h) ④ | ぺる Ⅱのブログ

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続・チラシの裏書き

 

 

 

目次 

 

2019

01(08/26)ベルリンで響いたスローガン…「日本軍『慰安婦』は戦争性暴力」

02(08/27)『反日種族主義』の共同著者イ・ウヨン氏、日本の極右団体から支援受けた

03(08/27)[社説]『反日種族主義』が引き起こす騒音と懸念

04(08/28)[インタビュー]「ベトナム戦争虐殺の痛みを治癒して『平和の種』育てよう」

05(08/28)ソウル市、日帝侵略の歴史を記憶する南山“国恥の道”造成

 

 

 

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01 

ベルリンで響いたスローガン…「日本軍『慰安婦』は戦争性暴力」

登録:2019-08-26 08:24 修正:2019-08-26 11:24


チェ・ヘウォンのベルリン・ダイアリー


今月14日、ベルリンで開かれた日本軍「慰安婦」メモリアルデー集会=チェ・ヘウォン提供//ハンギョレ新聞社

 

 ドイツに来た翌年の冬、偶然、日本軍「慰安婦」問題について扱う国際行事を見つけた。その行事でドイツ市民団体「コリア協議会」が率いる日本軍「慰安婦」問題対策協議会(AG “Trostfrauen”)に初めて会った。その後、ドイツ社会に日本軍「慰安婦」問題を知らせる活動に参加するようになった。
 

 日本軍「慰安婦」問題対策協議会は、韓国、ドイツ、日本、コンゴなど様々な国からきたメンバーらが、女性の性暴力撤廃と戦争犯罪被害女性の人権と尊厳を回復するために様々な活動を繰り広げている。例えば、ドイツに「平和の少女像」の建立を推進、「慰安婦」問題解決に向けたドイツの議会決議案の採択などだ。協議会は、このような活動を通じて欧州社会に「慰安婦」問題が戦争性暴力問題であり、フェミサイド(Femicide、女性殺害)であるという点を広めている。
 

 故キム・ボクトンさんとキル・ウォンオクさんが戦時性暴力再発防止と被害者支援のために「ナビ(蝶)基金」を作ったのも同じ脈絡だ。これと関連してベルリンでは2017年5月、意味深い出会いが実現した。当時、キル・ウォンオクさんがドイツを訪問し、日本軍「慰安婦」問題を知らせる過程で「ナビ基金」をヤズディ教徒女性であるマルワ・アル・アリコさんに伝えたのだ。イスラム国家(IS)は2014年8月3日、少数民族であるヤジディ教徒らが住んでいるイラク北部のシンジャル地域を占領し、ジェノサイド(大量虐殺)とフェミサイドを犯した。これによって1万人を超えるヤズディ教徒が犠牲となり、7千人以上の女性と子どもが拉致された。いまも3千人が行方不明の状態だ。



2017年5月に出会ったキル・ウォンオクさんとヤズディ教徒女性のマルワさん=ヤズディ教徒世界組織提供//ハンギョレ新聞社


 キル・ウォンオクさんとヤズディ教徒女性のマルワさんの二人の女性は、今も戦場で身体的、性的に虐待される女性を助けるために闘っている互いの経験を分かち合った。13歳の時に日本軍によって拉致された93歳のおばあさんの話と、21歳の時にISのテロリストに連行されたマルワさんの話は、別々の話ではなかった。マルワさんはこの出会いの後、「出会い感謝し、加害者の処罰が行われ二度とこのようなことが起こらないよう、闘いを続ける」と語った。


毎年8月3日に開かれるヤズディ教徒の集会=チェ・ヘウォン提供//ハンギョレ新聞社

 

 この特別な出会いは一度では終わらなかった。ベルリンでは昨年から8月3~14日にかけて「戦争、性暴力とフェミサイドに対抗する行動週間」が開かれている。ヤズディ教徒に対するフェミサイドが行われた8月3日と、世界日本軍「慰安婦」メモリアルデーの14日を記憶するため、ベルリンのフェミニストたちが集まって集会や展示会などさまざまな行事を開催する。今年もドイツ統一の象徴であるベルリンのブランデンブルク門の前で8月3日と14日、「戦争、性暴力とフェミサイド撤廃」のスローガンが響き渡った。「ヤズディ教徒女性協議会」で活動中のニジアンさんは「アジア太平洋戦争期間と2014年8月3日イラクで発生したフェミサイドは、今も全世界で起こっている」とし、「今のように連帯して女性に対する暴力に対抗していく」と話した。
 

 日本政府の真の謝罪が行われるまで、さらには全世界の戦争性暴力問題がなくなるまで、毎年8月ごとにベルリンに響き渡る戦争性暴力に対抗するスローガンは止まないだろう。ドイツは1945年5月8日を終戦の日として記録したが、私たちにとってこの戦争はまだ終わっていない。公式の謝罪と法的賠償、戦争犯罪者の処罰なくして終戦はない。
 

チェ・ヘウォン:「女性新聞」「ウーマンタイムズ」などで取材記者として、またソウル市女性家族政策室で公務員として働いた。現在はドイツ・ベルリンで国際フェミニストグループ「国際女性空間」(IWS)のメンバーとして活動している。ベルリンで会った世界フェミニストと女性たちの話を書く。
 

チェ・ヘウォン(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
 

https://www.hani.co.kr/arti/society/women/906982.html
韓国語原文入力:2019-08-25 09:09
訳C.M

 

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02 

『反日種族主義』の共同著者イ・ウヨン氏、日本の極右団体から支援受けた
登録:2019-08-27 06:11 修正:2020-05-22 07:00

落星垈経済研究所のイ・ウヨン研究員 
日本の極右から航空・滞在費支援受け  
先月の国連人権理事会で「強制動員はなかった」と発言



7月2日、国連人権理事会で「朝鮮人労働者の賃金は高く、戦争期間には自由で楽な暮らしをしていた」と発言するイ・ウヨン落星垈経済研究所研究員//ハンギョレ新聞社

 

 『反日種族主義』の共同著者であるイ・ウヨン落星垈経済研究所研究員が日本の極右団体の支援を受け、先月、国連人権理事会に出席し、日本の植民地時代に朝鮮人の「強制動員はなかった」と発表したことが明らかになった。
 

 YTNは26日、「彼の論文を読んだが、その内容が正確だったため、国連に行かないかと彼に提案した」と言う日本の極右団体の藤木俊一氏のインタビューを放送した。先月2日、スイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会の定例会議で、イ研究員は、朝鮮人は自発的に労働者になったとし、強制動員を否定する発言をした。彼は「朝鮮人労働者の賃金は高く、戦争期間には自由で楽な暮らしをしていた」と発表した。
 

 イ研究員は当初発言者リストにはなかったが、日本の極右メンバーである藤木俊一氏の代わりに発言したことが明らかになった。藤木氏は国際キャリア支援協会(ICSA)という団体所属で、慰安婦問題を通じて安倍晋三政権の実体を暴くドキュメンタリー『主戦場』に登場し、詭弁をふるった人物だ。同団体は、国際舞台で慰安婦を否定するために作ったNGOで、極右団体と推定される。彼は2017年の36回国連人権理事会に出席し、「挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)は、北朝鮮と密接につながっています。彼らが慰安婦問題を提起する理由は、日本を非難し、金を要求して、韓米日協力に亀裂を生じさせるためです」と発言した。


 藤木氏はYTNに「(私の名前が発言者名簿にあったのは)受付の際の問題で、最初からイ・ウヨン氏が発言することになっていた」とし、イ氏に国連へ行こうと提案したのは自分だと語った。彼がイ研究員のスイス・ジュネーブの往復航空料と5泊6日の滞在費用も負担したことが確認された。



李承晩学堂で制作した「反日種族主義」シリーズ放送で講義しているイ・ウヨン落星垈経済研究所研究委員//ハンギョレ新聞社

 

 イ研究員は、イ・ヨンフン前ソウル大学教授とともに、日本の植民地時代における朝鮮人強制動員などを否定する主張を盛り込んだ『反日種族主義』という本の共同著者だ。彼はYTNに「極右団体であれ、極左団体であれ、歴史的な事実を共有しそれを知らせる人とはこれからも(共に)活動する」と答えた。
 

キム・ジフン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
 

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/907130.html
韓国語原文入力:2019-08-26 21:32
訳H.J

 

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03 

[社説]『反日種族主義』が引き起こす騒音と懸念
登録:2019-08-27 06:57 修正:2019-08-27 07:57


『反日種族主義』と著者イ・ヨンフン前ソウル大学教授=出所:李承晩学堂//ハンギョレ新聞社

 

 『反日種族主義』という本が深刻な騒音を引き起こしている。全国民の常識である日本軍「慰安婦」と徴用の強制性を否定しただけではなく、独島も大韓民国の領土である証拠がないという挑発的かつ荒唐無稽な内容を盛り込んでいる。(本の元になった映像講義が行われた)当初から著者たちの「親日賦役的観点」が指摘されており、学界と専門家たちも傍観してきたが、いつの間にか本として刊行され、国内のある書店ではベストセラーとなり、今度は日本語に翻訳され、年内に日本語版の出版が進められているという。果たしてこれでいいだろうか。三・一運動100周年に加え、韓日間の“経済戦争”を繰り広げている最中に聞こえてきたとんでもない知らせに、開いた口が塞がらない。著者たちの反歴史的かつ没理性的行動はもとより、恥辱の歴史を省察・自覚できない一部の退行的流れについては、懸念せざるを得ない。


 「韓国のうそ文化は国際的によく知られている事実」という文言で始まる同書は、いきなり「種族主義」という表現を使い、韓国人を“反日”に執着する未開集団であるかのように描いている。
 

 日帝による徴用に強制性がなかったという主張も、あきれてものが言えないものだ。1944年徴用令が始まる前には「募集と官斡旋」方式だったため、強制力がないというのが彼らの論理だ。しかし、延世大学のイ・チョルウ教授が論駁するように、「搾取を目的に脅しや武力行使、詐欺などで人を募集」した場合は、人身売買と見なすのが国際的に認められた概念だ。日本の学者はもちろん、韓国の最高裁判所(大法院)も徴用の強制性を公認しているだけでなく、被害当事者たちが生々しく証言しているのに、これ以上何を言う必要があるだろうか。
 

 「慰安婦」を「企業型売春」などと述べる著者たちには、映画『キム・ボクトン』を見ることを勧めたい。工場に就職すると思っていた14歳のキムさんは、中国広東省まで連れていかれ、青春を失って、80年にわたる苦痛の人生の末に亡くなった。「私が証拠だ」という慰安婦被害ハルモニ(おばあさん)の前でも、果たしてそのような主張を展開することができるだろうか。
 

 彼らは、同書の土台になった映像講義に日本語字幕をつけたが、「日本の視聴者たちの反応が熱かった」と自慢した。同書出版前から日本語版も計画しており、文芸春秋社と出刊に向けた協議を進めているという。彼らが同書で主張する内容は、かなりの部分が日本の右翼の主張と相通じるものがある。おそらく右翼の“嫌韓”攻撃の良い素材として使われるだろう。結局“実証的”研究という名の下、民族を売るようなことではないか。自問してもらいたい。
 

(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
 

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/907197.html
韓国語原文入力:2019-08-26 18:55
訳H.J

 

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04 

[インタビュー]「ベトナム戦争虐殺の痛みを治癒して『平和の種』育てよう」
登録:2019-08-28 08:28 修正:2019-08-28 11:59

済州作家会議会長 詩人のイ・ジョンヒョン氏


今月11日、ベトナムのクアンガイ市で開かれた「済州・ベトナム 詩の朗唱の夜」で、済州作家会議のイ・ジョンヒョン氏(最前列左端)、ベトナムのタン・タオ氏(最前列中央)などの参加者が同席した=済州作家会議提供//ハンギョレ新聞社

 

 「私の友達」。ベトナム最高の詩人として評価を受けるタン・タオ氏(73)は、今月11日、イ・ジョンヒョン済州作家会議会長(64)をこのように呼んだ。夕方、ベトナム中部のクアンガイ市で開かれた「済州・クアンガイ 詩の朗唱の夜」でのことだった。1979年、詩集「草原を渡る足跡」でベトナム作家会議の「最高文学者賞」を受賞したタン・タオ氏が、去年、詩集「花より先に訪れた名前」で「5・18文学賞」を受賞したイ氏を呼ぶのに適切な呼称である。
 

 しかし「友達」という言葉には、二人の詩人の間の個人的友情を飛び越える何かがある。まさに1960年代後半のベトナム戦争時、韓国軍による民間人虐殺を経験したベトナムと戦闘兵を送った韓国が、その痛みを飛び越えて「友達」になろうという望みが込められた言葉でもある。


2008年にソウルに来たベトナム詩人の証言
「韓国軍民間人虐殺の『憎悪の碑』がある」
すぐにクアンガイ省を訪問し、現場検証
従軍記者出身の詩人タン・タオ氏らと出会い
8回に渡り「済州・クアンガイ 詩の朗唱の夜」
「二人の詩人の友情のように、閉じた心が開くことを」


 「韓国軍によるベトナム民間人虐殺」問題は、韓国社会では相変わらずタブーに近い。1999年「ハンギョレ21」の通信員だったク・スジョン「韓ベ平和財団」常任理事の勇気ある報道によって知られ始めたが、相変わらず韓国政府レベルでの実態調査さえ行われていない。その被害規模について、ク常任理事が現地調査を通じて「ベトナム戦争当時、韓国軍による民間人虐殺が約80の村で起こり、9千余名が犠牲になった」と推定する程度である。
 

 その後、ク常任理事などを中心に「ベトナム平和紀行」を進行し、民間レベルの謝罪と和解の動きが続けられてきた。平和紀行団は、ベトナム中部の虐殺現場を訪ねて慰霊祭を行い、虐殺被害の村の子どもたちに奨学金を与えている。しかし、まだ韓国軍によるベトナム民間人虐殺問題は、韓国社会で全面化することができない。
 

 イ氏はこのような状況で、2008年から両国の文学者の交流を通じて、この問題と関連した和解の糸口を作っていこうと提案した。きっかけは2008年夏、ソウル国際文学行事に参加したベトナムの詩人チム・チャン氏(1938〜2011)との出会いだった。



左からク・スジョン韓ベ平和財団常任理事、タン・タオ氏、イ・ジョンヒョン会長=済州作家会議提供//ハンギョレ新聞社

 

 「当時、済州島に来たチム・チャン氏を通じて、ベトナムのクアンガイ省に韓国軍虐殺に関連した『憎悪の碑』があるという事実を確認して、大きな衝撃を受けました」
 

 イ氏は同僚で詩人のキム・スヨル氏などと共に、直ちにその年の12月にベトナムを訪問し、チム・チャン氏の紹介でクアンガイ省が故郷である詩人タン・タオ氏と初めて出会った。ベトナム戦争に従軍記者として参戦したタン・タオ氏は、1975年にベトナムが統一された後、故郷のクアンガイ省でずっと作品活動を行っていた。
 

 その出会いをきっかけに、イ氏とタン・タオ氏を中心に、済州とクアンガイの文学交流が始まった。計15人の韓国作家会議所属の詩人と5人のクアンガイ作家会議の詩人が参加した今回の「済州・クアンガイ 詩の朗唱の夜」は8回目の行事だ。
 

 これまでの交流を通じてタン・タオ氏は「済州鎮魂の儀式のムーダン」など、済州4・3事件の痛みを抱く詩を作り、イ氏はベトナム虐殺を素材に「目と手」「カイ カイ カイ」などの詩を出した。2015年には「昼にも夢を見る者がいる」というタイトルの済州・クアンガイ共同詩集も発行した。
 

 済州の詩人たちはベトナムを訪問する度に、さまざまな交流プログラムと共に、クアンガイ省ビンホア村、クアンナム省フォンニィ・フォンニャット村などの虐殺現場を訪問して、犠牲者に対する追悼行事も一緒に進行している。去年初めに済州作家会議の会長に就任した詩人のイ氏はそれまで、済州作家会議事務局長、済州文学の家事務局長としてこの交流事業を主導してきた。
 

 このような努力が果たして韓国人とベトナム人を「友人」にすることができるだろうか?イ氏は「できる」と答える。実際、文学は長期間隠されてきた偽りを明らかにし、痛みを治癒する役目を果たしてきた。権力が頑なに隠そうとした済州4・3虐殺までもが、1978年に作家の玄基栄(ヒョン・キヨン)氏が季刊 「創作と批評」に中篇小説『順伊おばさん』を発表して、初めて韓国社会にその姿を明らかにした。
 

 イ氏は、済州とクアンガイの詩人の努力も「和解と平和の種」になることができるはずだと考える。イ氏はまず「両国の文学者交流を通じて、韓国人とベトナム人が戦争の時に起きた悲劇について、よりいっそう真剣な見解を持つようになるだろう」と見通した。ベトナム戦争の虐殺が、孤立した一つの地域の問題ではなく、20世紀的野蛮が引き起こした全世界的問題だという点を喚起させ、成熟した市民意識を造成することができるということである。イ氏は「さらに、詩に昇華させた虐殺の痛みは、加害と被害を超え、お互いを治癒して閉ざされていた心を開く触媒になりうる」と見る。
 

 現在、韓国と日本は過去の問題で経済戦争を行っている。もちろん、韓国とベトナムの状況とは異なる。何よりベトナムは「過去を閉じて未来に出よう」というスローガンの下で経済発展に重点を置いている。しかし、ベトナムも、いつか近い未来に経済成長が軌道に乗った時、過去の門をまた開こうとするだろう。イ氏の言葉通り「傷が治癒されていない状態では、過去の門は、政権が閉ざそうとしても閉ざせるものではないから」である。
 

 その時の韓国とベトナムの関係は、今の韓日関係とは異なる姿になれるだろうか?未来を予断することはできない。ただし確かなのは、両国の詩人が一緒に植えている「友達の心」を込めた平和の種が、今も育っているという事実だ。
 

クアンガイ(ベトナム)/キム・ボグン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
 

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/907394.html
韓国語原文入力:2019-08-27 19:19
訳M.S

 

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05 

ソウル市、日帝侵略の歴史を記憶する南山“国恥の道”造成
登録:2019-08-28 21:38 修正:2019-08-29 07:48

南山統監府跡から朝鮮神宮跡までの1.7キロ 
「記憶」の意味を込め「キオク」(ㄱ)文字型の敷石



日帝の統監官邸があったソウル市中区の記憶空間に国権喪失の歴史を記憶する“国恥の道”を表示する「キオク」(ㄱ)文字型のロゴの敷石が設置されている。市民が歩きながら恥辱に耐えなければならなかった時代の痛みを体験できるようにするためだ//ハンギョレ新聞社

 

 ソウルの南山(ナムサン)は、日帝侵奪の痛みが染みついたところだ。1910年8月29日、大韓帝国を強制併合した日帝は、1925年に明治天皇と自分たちの建国神である天照大神を崇拝する「朝鮮神宮」を南山に建てた。これに先立つ1906年に朝鮮併合の礎石となった「統監府」が建てられたのも、日本人集団居住地が造成されたところも南山だった。その恥辱が染みた空間が「記憶空間」に変貌した。
 

 ソウル市は28日、韓日併合条約が公布された国恥日である8月29日に南山のふもとの芸場(イェジャン)地域に約1.7キロメートルの「国恥の道」造成を終えて開幕式を開くと明らかにした。国恥の道のコースは、南山の芸場エリア再生事業の一環で南山歴史調査の結果を基に造成された。この道は、韓日併合条約が締結された統監官邸跡から始まる。1906年に設置された統監官邸は、1910年から1939年まで朝鮮総督の官邸として使われた。1910年8月22日に強制併合条約が締結された場所でもある。道に沿って歩くと現れるソウルアニメーションセンターは統監府跡だった。統監府は強制併合以後には朝鮮総督府として使われ、独立活動家の金益相(キム・イクサン)義士が爆弾を投じたところだ。朝鮮総督府は、1926年に景福宮の新庁舎に移転し、南山にあった旧総督府の建物は1950年の朝鮮戦争の時に消失した。



国恥の道に造成された南山の記憶空間~朝鮮神宮跡地//ハンギョレ新聞社


 ここをすぎれば日帝の軍神としてあがめられた露日戦争の英雄、乃木希典を追悼するための「乃木神社」跡と、清日戦争戦勝後に日帝が建てた「甲午戦争記念碑」跡、「京城神社」跡が続く。甲午戦争記念碑跡と京城神社跡には、現在は崇義女子大が建っている。道は南山植物園があった場所まで続くが、ここは日帝が1925年に作り植民地政府の国家儀礼を執典し、韓国人を強制的に神社に参拝させた「朝鮮神宮」跡でもある。道の終端には、14日の慰安婦メモリアルデーにソウル市が設置した「慰安婦」被害者記念碑が造成されている。市は、国恥の道の敷石に“道”を形象化して歴史を“記憶”しようという意味で、キオク(ㄱ)文字の形のロゴを刻み、国恥の道の各歴史現場にも“キオク”形の案内板を設置した。


ソウルの南山に日帝が建てた韓国統監府と現在の姿//ハンギョレ新聞社


ソウル、南山に日帝が建てた朝鮮神宮と現在の姿//ハンギョレ新聞社

 

 国恥の日である29日には、武装抗日闘争を率いた友堂 李会栄(イ・フェヨン)先生の孫であり3・1運動100周年ソウル市記念事業委員長のイ・ジョンチャン氏と、共に民主党のイ・ジョンゴル議員をはじめ、白凡 金九(キム・グ)先生の曽孫子のキム・ヨンマンさん、趙素昴(チョ・ソアン)先生の孫のチョ・イルレさんなど、独立有功者の子孫がこの道を歩く計画だ。
 

 一方、29日にソウル市龍山区(ヨンサング)の植民地歴史博物館では、独立活動家の子孫と共にする庚戌国恥日(韓日併合条約公布日)追悼式が開かれる。「国恥の日を知っていますか?」というタイトルの特別展をはじめ、オーケストラと声楽家の「国恥歌」「国恥日の歌」などの公演が続く。
 

チェ・ユンテ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
 

https://www.hani.co.kr/arti/area/capital/907468.html
韓国語原文入力:2019-08-28 19:42
訳J.S

 

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