【〇○婦問題】高木健一 | ぺる Ⅱのブログ

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続・チラシの裏書き

 

 

 

 

 

高木健一弁護士 インドネシアにおける慰安婦問題の発端

https://youtu.be/MFqiZyYycrg

 

嫁が韓国人

反日利権産業を外国に扶植して歩いている高木健一

火のないところにわざと火種をまいて反日利権産業をあちこちにまき散らす高木健一

『慰安婦を食い物にするハイエナ弁護士』


 

(動画説明欄より抜粋)

2015/03/21 に公開

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%9...
高木 健一(たかぎ けんいち、1944年(昭和19年) - )は日本の弁護士。韓国では福島瑞穂とともに従軍慰安婦に関する最初期の対日補償請求運動を展開したほか、在樺コリアン帰還訴訟、韓国人やインドネシア人慰安婦の対日補償請求運動を展開した。

 

インドネシアにおける慰安婦の対日補償請求運動支援[編集]
1990年代に、高木ら日弁連はインドネシアにおける慰安婦の対日補償請求運動の支援を行った。1992年、インドネシア外務省は慰安婦問題について「過大視しない」「韓国が(日本に対して)行ったような要求も出すつもりもない」と声明を発表したが、翌年の1993年4月に、高木や村山晃(現京都第一法律事務所所属[5])弁護士ら日弁連調査団がインドネシアを訪問し[6]、地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦に対して名乗り出て欲しい」という内容の広告を出し[7]、また日弁連調査団はインドネシア法律扶助協会(LBH)などと共同で元慰安婦の証言を集めはじめた[8]。その後、同1993年8月末までに代行業者まで出現し、約17000人の元慰安婦が名乗り出た[6]。

 

さらに、高木は戦中に日本軍補助兵だったインドネシア人兵補への補償運動を行っていた兵補中央協議会を訪問し、慰安婦の実態調査を行うことを提案。兵補中央協議会は1995年から元慰安婦の登録作業を開始し、全国で19753名の登録が行われた[9]。(1996年3月までに2万2千人のアンケートを集め、補償請求が兵補300万、慰安婦200万であったとも[6]、名乗り出れば200万円の補償を得ることができると宣伝されたともいわれる[7]。)兵補中央協議会会長のタスリップ・ラハルジョは「東京の高木弁護士の指示を受けて始めた。『早く進めろ』と催促も受けた」と述べている[10][11]。また同協議会は、慰安婦登録者を対象としてアンケートを実施していたが、「高木弁護士の文案で作成された」とラハルジョは証言している[12]。なお、当時同協議会の事務所には「反天皇制」「国連平和維持活動(PKO) ノー」と書かれた日本の支援者からの寄せ書きが飾られていた[13]。

 

 

(コメント欄より)

ソウル市に派遣された横浜市公務員の高木由紀さん(31)。 

父親は、高木健一弁護士。 

母親は、韓国人。 

(ハンギョレ新聞より)

 

     

 

[インタビュー]ソウルと横浜の都市の悩みは似ている
ハンギョレ 登録 : 2016.06.29 09:26修正 : 2016.07.15 11:34
ソウル市に派遣された横浜市公務員の高木由紀さん

「横浜の保育園保育問題は深刻、
ソウルは体の不自由な方・小さな子供の行き来には不便」
サハリン朝鮮人・慰安婦訴訟の高木健一弁護士が父

 

 「ソウルは障害者や子供たちには通うのが大変な都市みたいです。(非障害の)成人でないと…」

 

 高木由紀さん(31)は、ソウル市で働く唯一の外国人公務員だ。日本の横浜市に7年間勤務し、先月23日、ソウル市の地方公務員になった。2012年に朴元淳(パクウォンスン)市長が横浜市を訪問した際に、両都市の相互派遣勤務を約束したためだ。志願して横浜から2番目のソウル市派遣職員になった。

 

 ソウル市に勤務して1カ月経った24日に市庁で会った高木さん。ソウル市の歩道が目につくようだ。

 

 「横浜は景観の美しいことで知られているので、ソウルの歩道ブロックが整備されていないのを見ると、お年寄りや子供、障害者には不便に思えました」。ソウルの麻浦(マポ)に住む高木さんは、主に地下鉄で市庁と延世(ヨンセ)大の語学堂を行き来する。

 

 自分が所属する都市に対する自負心も強い。引きこもり(隠遁型社会不適者)を助ける地域社会活動が活発な一方で、国際都市として多文化政策、海外企業誘致にも注力する外柔内剛型の都市だという。「横浜はすでに完成段階(の都市)なので再開発に力を入れることはありません。横浜は独自市政が可能な政令指定都市ですが、中央政府と対立することもありません。メイン(主人)は横浜市です」と話した。2016年は様々な面からソウル市が比較されることになりそうだ。

 

 高木さんは「韓国はビル建設のスピードが速い。公務員の業務の流れもとても速いです。決裁方式は日本との差がそれほどないのに、ここでは時間があまりかかりません」と話した。彼女の話には時々韓国語が入り込む。新世代の“知韓派”なので韓国との縁も深い。母親は韓国人父の高木健一弁護士は1970年代半ばにサハリン残留韓国人帰還問題訴訟、1991年に日本政府相手の初の日本軍「慰安婦」関連訴訟を担った。1994年に米国で開かれた「挺身隊活動基金募金」のため特別講演をしたこともある。その場で、韓国挺身隊問題対策協議会の当時の諮問弁護士だった現市長の朴元淳氏と出会った。ソウル市が高木さんが来るまで知らなかった事実だ。

 

 彼女はソウルと横浜が共に直面している課題も指摘した。保育問題が代表例だ。日本でも韓国のように、市認可の保育園に子どもを通わせられない親が多い。「保育所待機児童ゼロを目標にして、一時は達成したこともあります。認可保育施設に定員を増やすことを要求しましたが、保育士が不足し、親が求める施設や定員に余裕がある施設をマッチング(連結)させることに限界がありました」

 

 高木さんは、ソウル市で国際会議・展示会などの大規模な観光客誘致に関連したMICE(マイス)と多文化関連業務を担当する。韓国語の勉強にも熱心だ。幼い頃から韓国をよく訪れた彼女は、大学に進学すると韓国語を第2外国語に選択した。好きな俳優はソン・スンホンだという。

 

 「韓日両国の架け橋の役割を果たせればと思いました。国際業務がしたかったので、国際都市の横浜市を選び、ソウル市勤務も志願しました。両国の関係は芳しくありませんが、こうして着実に市民・政策交流を重ねていけばお互いの役に立てると信じています」

 

 父の高木弁護士は、今月末に朴元淳市長と市庁舎で歓談する予定だ。高木さんは今週、横浜市から来たソウル市査察団に同行して支援する。

 

チェ・ウリ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

 

韓国語原文入力:2016-06-29 08:13

 

http://www.hani.co.kr/arti/society/area/750119.html訳Y.B
 

 

 

 

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【日韓】ソウル市に派遣された横浜市公務員の高木由紀さん サハリン朝鮮人・慰安婦訴訟の高木健一弁護士が父[6/29]©2ch.net
1 :ねこ名無し ★@無断転載は禁止 ©2ch.net:2016/06/29(水) 19:25:58.73 ID:CAP_USER

 

 

4

>高木由紀さん(31)は、ソウル市で働く唯一の外国人公務員だ。 
>彼女の話には時々韓国語が入り込む。 
>新世代の“知韓派”なので韓国との縁も深い。 

>母親は韓国人。 

>父の高木健一弁護士は1970年代半ばにサハリン残留韓国人帰還問題訴訟、 
>1991年に日本政府相手の初の日本軍「慰安婦」関連訴訟を担った。 

やっぱこういう奴なんだな 
韓国と繋がりもとうとする奴は 
それが公務員に紛れ込んで日韓交流を。。。。 

 

 

18

高木健一の嫁は糞チョン女だったのか! 
どうりで、慰安婦問題に首を突っ込んでいるんだ。 

戸塚悦郎の嫁もか? 糞チョンから金を貰った事は白状したようだが。 

 

 

26

>両国の関係は芳しくありませんが 

こいつの親父がこじらせたんだろ。 

 

 

27

いやーこれ特大スクープだろ。 
今までどこのマスコミも報道してないぞ。 

日本の一弁護士がなんで捏造してまで日本を貶めようとするのか?理解できなかったけれど、ようやく理解したわ。 

 

 

28

高木も多いよなザイニチw 

 

 

 

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高木健一  Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E5%81%A5%E4%B8%80

 

批判・評価

(抜粋)

 

西岡力は、2007年と2012年に草思社から「よくわかる慰安婦問題」など慰安婦問題に関する書籍を2作品発表し、この中で、慰安婦強制連行の主張をとる弁護士の高木健一を「事実を歪曲しても日本を非難すればよいという姿勢」などと論評した。これに対し論評された高木は、名誉を傷つけられたとして、西岡と出版元の草思社に対して出版の差し止めと1000万円の損害賠償を求めて名誉毀損訴訟東京地裁に起こしたが、1審東京地裁は2014年2月、「記述の前提事実の重要な部分が真実であるか、または真実と信じたことに相当な理由がある。公益を図る目的で執筆されており、論評の域を逸脱するものではない」として原告の訴えを棄却した。2審東京高裁も1審を支持した。2015年1月14日、最高裁第二小法定(鬼丸かおる裁判長)は原告側の上告を棄却した。これにより、高木健一の敗訴が確定し、西岡が勝訴した[18][19]。同裁判の勝訴を受けて西岡は「言論には言論でという原則に反する裁判は何とも後味が悪かった。」と述べている。また、同様に訴訟を起こされた植村隆との裁判についても、同じ感想を述べている[19]

 

 

 

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