人間失格 太宰治と3人の女たち | ヤンジージャンプ・フェスティバル

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今回は、1ヶ月以上前に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と勝手な2本立て上映で観た、こちらの映画の感想文。

 

この作品の主人公である太宰治との出会いは、僕が高1の時。

当時、現代国語の担当だったM先生が授業で教材にした『人間失格』に衝撃を受け、それ以来、すっかり心酔している作家。

 

『人間失格』は2010年にも映画化されていて、当然のごとく観に出かけたわけですが、僕自身の感想としては「いろいろ思うところはあるけれど、なかなか佳い作品だった」というところ(→僕の感想はコチラで)

 

そんなこんながありまして、本作が公開されると知った時は、期待と不安が2:8くらいでいたのでしたが、公開直前に見た予告編で、太宰の妻を演じた宮沢りえ、そして太宰の最期の愛人山崎富栄を演じた二階堂ふみの姿があまりにも僕のイメージとピッタリ!

かなりの期待をこめて劇場へと足を運んだのでした。

 

 

【あらすじ】
妻子がいるにもかかわらず同時に2人も愛人をつくる破天荒な人生を送りながらも、すべてを作品に昇華させた天才・太宰治の晩年を「さくらん」「ヘルタースケルター」の蜷川実花監督が、太宰と彼を愛する3人の女性との関係を軸に極彩色の映像美で映画化。主演は「信長協奏曲」「銀魂」の小栗旬。3人の女性に宮沢りえ、沢尻エリカ、二階堂ふみ。
 複数の女性と浮き名を流し、自殺未遂を繰り返す天才作家の太宰治。その破天荒で自堕落な私生活は文壇から疎まれる一方、ベストセラーを連発してスター作家となる。やがて身重の妻・美知子と2人の子どもがいながら、同時に2人の愛人、作家志望の静子と未亡人の富栄ともただれた関係を続けていく。それでも夫の才能を信じる美知子に叱咤され、自分にしか書けない小説に取りかかる太宰だったが…。
(
allcinema onlineより)

 

観終わった瞬間の感想としては「あぁ、そういう映画だったのか」といったところ。

タイトルも『人間失格』だし、てっきりあの作品を原作とした映画なのかと思ってましたが、どっちかというと「太宰治と3人の女たち」に重点を置いた作品でした。

 

太宰治は1948年に39歳で亡くなるのですが、この映画で描かれている1946~48年頃は、これもまた代表作の一つである『斜陽』のモチーフとなった日記を書いた太田静子さんと関係を持ったり、最期の愛人となった山崎富栄と出逢い、逢瀬を重ねたりと、あちらこちらで女性を手玉に取っていた時期・・・・だと思っていたのですが、この映画を観る限りでは、手玉に取られていたのはむしろ太宰の方だったんだな・・・・と。

 

妻である美知子。出会った当初は師弟のような関係だった静子。そして富栄の3人は、それぞれが理想とする太宰治(津島修治)像を、彼女たち自身の胸に描いているようであり、そんな彼女たちと相対する太宰は、その姿を演じようと必死になっている・・・・といった様子。

『人間失格』の作中でも「周りに嫌われないようにと必死になるあまり、本当の自分を捨てて、道化を演じ続けて来た」ということが書かれていますが、本作での太宰は、周りにいる3人の女たちに嫌われまいと必死に道化を演じているダメ男といったところ。

これまで、女性の視点から太宰を見たことはあまりなかったので、また新しい太宰像を見ることができたな・・・と思ったのでした。

 

というわけで、この映画を通して、また新たな太宰治の姿を楽しむことができたのですが・・・・・・・・・・・・・・

 

これは俺が好きな太宰治じゃなーい!

 

劇中に登場する、太宰を崇拝する若手編集者、佐倉潤一のセリフを借りるならば

「あなたは僕の知っている太宰治じゃない!!」

と言ったところでしょうか。

 

何しろこの映画の中での太宰治さん。出演時間の5割が編集者やら取り巻き連中やらと酒を呑んでウェイウェイ。

4割が女たちを口説いたり、女たちとイチャついたり、甘えたりしている・・・・という体たらくで、もしかしたら晩年の太宰は実際にもそんな感じだったのかもしれないけれども、とにかくただのバカにしか見えなくて、こんな人が帝大(東大)に入学なんかできるはずもなさそうだし、小説なんか一つも書けなさそうという雰囲気。

 

そんなバカやってる姿こそが、太宰の言うところの「道化」とか「ポォズ」だということなのかもしれないけれども、もしそうだったと言うのならば、もうちょっと尺を使って、死にもの狂いで作品に向かい合っている姿であるとか、道化を演じている自分と、本来の自分とのギャップに苦悩する姿だとかも描くべきだったのではないかなぁ・・・と思ったり。

そんなこんな。最後まで観ているのが少々ツラい映画だったなぁ・・・というのが正直なところでした。

 

 

とはいえ、そもそも太宰治ファンなんてものは、太宰作品に登場する人物はまるで自分のようだ→太宰は自分の気持ちの代弁者だ→オレだけが太宰の気持ちを理解している・・・と思い込んでいる人たちばかりですから、自分とは異なった作品論を他人から展開されると「アイツは判って無いな・・・」と否定する人が多い気がしますのでね。

 

この映画に対しての僕の感想についても、僕の描く「太宰治像」と監督の描く「太宰治像」が違ってた・・・というだけのような気がしますので、気になる人はまだ公開されている劇場に出かけたり、DVDやBlu-rayで観るのを楽しみにすればいいのではないかなと思いますし、僕個人にとっても、この映画を観たことがきっかけで、何年も前に買ったものの読む気が起きなかった、山崎富栄さんの日記集(『太宰治との愛と死のノート』)を読み始める気持ちになったということもありますので、まぁ観に行ってよかったのかなぁ・・・と。

そんなこんな、改めて太宰治と向き合うきっかけとなった映画でした。

(2019年9月16日 横浜ブルク13にて鑑賞)