骨盤底のプロ・マダムフリーランス熊丸真理 -3ページ目

骨盤底のプロ・マダムフリーランス熊丸真理

福岡県福岡市六本松で『骨盤底筋トレーニングサロンはぴくま』営業中!
骨盤底のお悩み(尿漏れ・頻尿・子宮脱・性交痛・骨盤のゆがみ・姿勢・呼吸)に関する情報と、50歳でフリーランスになった私の人生最後の大冒険についてもリアルタイムで経過を発信。

マダムフリーランス・骨盤底理学療法士の熊丸です。
本日は仕事やプロフェッショナルとは何ぞやについて。

『仕事』とは、どこかが人と大きく違うことだと思います。どこかの一部分が大きく突出して歪んでいること。
その突出があまりにもほかの人と違うがゆえに、その突出が誰かに必要とされて『仕事』になる。

だから、どんどんその突出を大きく突き詰めていくと、その道のプロフェッショナルになると思います。

大衆音楽が好きです。趣味は少し偏っていますが。
思えば中学生の頃、たぶんザ・ベストテンか何かでthe blue heartsが『リンダ・リンダ』を唄っているのを見たときから、パンクやスカやロックが好きになった気がします。ちょうど80年代後半のヤンキー文化が終焉を迎えつつあった時代(笑)。
田舎だったので、都会よりヤンキーが幅をきかせていたかもしれない(笑)。

これが1987年の話だそうですので37年前です。1986年に岡村靖幸さんがデビューした年は私は中1、友達からCDを借りて何度も聞きました。ヤンキー文化の中で岡村ちゃんが好きな中1・・・ビミョーです。それから斉藤和義とか。90年代にはいったらいわゆる渋谷系にはまって、フリッパーズギターやオリジナルラブやピチカートファイブや小沢健二とかカジヒデキとか東京スカパラダイスオーケストラばっかり聴いていました。だいたいその辺り以降から仕事が忙しくなって、その後結婚や出産、子育てなどで音楽から遠ざかるんですが。

何が言いたいのかというと、大衆音楽の80年代から今までだけを切り取っても、当然ですがこの37年間、表に出続けて同じ仕事をし続けている人って、たぶん2%くらいかなと(個人の感想です)。
それがいいか悪いかは別問題です。
が。ここまでくると、その2%の人たちは立派なプロフェッショナルであり、立派な音楽職人だと思うんです。十分歪んで突出しています。

そういった仕事のジャンルが、世の中のあらゆる事象や具象にあるんですね。

ワタシも理学療法士という仕事を1994年に始めたからちょうど今年で30年しています。自分では分からないけど、私もどこかが突出して歪んでいるのは間違いない。30年理学療法士でなんとか食べてきて子供も育ててきたので、どうにか社会から求められて来たんだろうと思うんです。やっぱり理学療法士という仕事が好きです。

私が本格的に骨盤底理学療法やウィメンズヘルス理学療法の勉強を始めたのは2016年くらいからなのでそう長くはないのですが(8年くらい?)ちょうど日本でのウィメンズヘルス理学療法の黎明期だったので学会発表する方も少なくって、目立ったのもあると思います。勉強を始めるにはいいタイミングでした。同時期に病院の泌尿器科で実際の患者様のリハビリができたことも本当に勉強になりました。

今も引き続き情熱をもって仕事が出来ている、そして継続している2%に入り続けている、今後も自分が辞めない限りはきっとやり続けるでしょう。

こうやって、ワタシの幸せな突出は、突出し続けて歪み続けますがその突出が社会の役に立つのであればこれ以上幸せなことはないと思います。これが私の仕事と幸せの関係です。

教員だった時代に、よく学生さんに言ってたんです。仕事って、自分の1日の中の一番活動性が上がる朝8時くらいから夕方6時くらいまでやる。同時に、自分の人生の中で一番イキイキして輝いていて身体が動く20歳過ぎから65歳くらいまでやる活動。だから、自分の人生そのものって言えると思う。例えば理学療法士をずっと続けなくてもいい(養成校教員だったので)。転職してももちろんいい。自分がやってて楽しくそれが人の役に立ち、それも対価を貰えるくらいすごく役に立つことをしたいねと。

自分はそれを体現できているのか。しっかり突出を育てられているか。今日も自問自答しながら頑張っていきたいな~と、昨日のNHKのSONGSで踊っていた58歳の岡村ちゃんを見ながら考えました。

今日もステキなパンツでお過ごしください✨✨

↓写真は2017年8月の子連れフジロック参戦の様子。子育て真っ最中もやっぱり音楽好きだったかも・・・
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