そうだおじさん、死んじゃおうよ、死のう死のう!って言われてもなぁ | peroの根無し放浪渡世日記

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バックパッカーで旅仲間からはperoと呼ばれています。金融業➡︎探偵➡︎通信関係➡︎エセ小説家。東京に単身移転後16年余り暮らし、2022年6月に故郷・和歌山へ。妻が他界して8年以上も経つのにまだ生きている。藤井弘司としての著書が数冊有り、密かに文学賞を狙ってます(笑)

少し前から過去のことをよく思い出して、ニヤついたり恥ずかしく思ったり、悲しい気持ちになったりもするが、過去を振り返っても後悔ではなく懐かしく思うようにしているニヤリ


結局、誰かが言っていたように人生とは思い出作りってことかな🙂


金融業と手形割引業を営んでいたころの思い出はかなり多くて、拙著・街金狂騒曲では書ききれなかったが、仕事以外の懐かしい出来事をたまに書いておこうと思う


前にも書いたことがあるかもしれないけど、十一年間あまり探偵をやっていたころは、その前の職業だった街金時代のことをあまり思い起こすことはなかった。


何でだろうなぁ、って考えてみたら、やっぱり街金の経営は最終的に失敗したわけだし、それが原因で妻ともいったん離婚し、負債整理のためにしばらく京都のビジネスホテルに身を隠して、ヤクザの追っ手から逃げていたという苦い思いがあったからなのだろうと結論付けた。


だから、探偵時代の同僚や後輩たちは、僕の街金時代の話をあまり知らないはずだ。


何故って、今みたいに酒の席なんかで話をしたことがほとんどないからね。(多分)


でもどういうわけなんだろう、このところ街金時代の約十年間のことを思い出すことが頻繁にある。


細かいことまで結構覚えているんだなぁ、これが😆


拙著の「街金狂騒曲」はかなりの長編なんだけど、ここに書いたことはごく一部の話で、もっともっとディープでそして目玉が飛び出るような恐ろしいことや、ロマンティックな出来事などもたくさんあったな。


K子やF子やM子は今どうしているんだろうなぁ、幸せな人生を送ってるのかな❓


まあ当時は金があったから行動半径も広く、加えて若かった上に怖いものなしの阿呆な精神状態だったから、結構女性を口説いた😅


今みたいに頭髪が薄くなかったしね。


あれはある夏の夜のことだった。


事務所を閉めたあと、いつものようにひとりで曽根崎通りの前から気になっていたバーに飛び込んだ。(このころあちこちの飲み屋へ飛び込んだものだった)


ひとりでウイスキーをカッ食らって、バーテンと無駄話をしていたら、途中から若い女の子ふたり客と意気投合した。


「世の中なんてつまらないわ。何よクソ会社にクソ男!」って、ふたりはクダ巻きながらかなり良い調子に酔っていた。


僕も調子に乗って「よーし、それならこの際、いっそのこと死んじゃおうか!」って、彼女たちに冗談を言うと、「そうだ、死んじゃおうよ、死のう死のう❗️」と叫びだした😳


な、なんで~❓爆笑


「おじさん、早く死のうよ、行こうよ早く」なんて言うので、どこに行くんだと聞くと「海❗️、海に行こうよ。そしてそこで死ぬの❗️」って仰る😄


おじさんと言われる年齢じゃなく、このころまだ三十代半ばだったんだがなぁ。


「よーし、車ごと海に飛び込むぞ~‼️」


僕も酔っ払ってきて叫ぶ。


店を出たのがもう午前三時ごろだったと記憶する。


当時僕が乗っていた車、トヨタの「サイノス」に乗り込み、海を目指して車を飛ばす🚘


勿論三人ともヘベレケの酔っ払い、車全体が酔ってフラフラと走る🤪


阪神高速道路神戸線だったか、グングン飛ばして目指すは神戸埠頭、というかメリケン波止場⚓️


よくまあ警察に捕まらなかったものだが、波止場に着いたころはまだ暗く、海は真っ黒、遠くに停泊船の灯りだけが光っていた。


「ここから飛び込むか❓」


彼女たちに聞いてみたら、ふたりとも疲れと酔いとで寝てしまっていたよ爆笑


僕もシートを倒したけど眠れず、そのうちに夜が明け、朝日が眩しく車内に差し込んできた🌅


目を覚ましたふたりはすっかり死ぬ気などなくなってしまっていたが、「まあ、いろいろと辛いことや腹が立つことがあるだろうけど、頑張って生きていようや」と彼女たちに説教して、大阪に向かって車を走らせた。


カーステレオからは「角松敏生」のメロディーが流れていたなぁ。


あのふたり、今はいったいどこで何をしているのかな?


十五歳くらい年下だったから、もうすっかりオバサンになって子育ても終わっているだろうなぁ🤔


今夜は街金時代の懐かしい思い出を予定外に長々と書いてしまったけど、このような話はいっぱいあるのでまた書きますねウインク


👍



懐かしい楽曲だなぁ👍




また明日👋