それでいいよ(カンボジアからシロの思い出) | peroの根無し放浪渡世日記

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バックパッカーで旅仲間からはperoと呼ばれています。金融業➡︎探偵➡︎通信関係➡︎エセ小説家。東京に単身移転後16年余り暮らし、2022年6月に故郷・和歌山へ。妻が他界して7年以上も経つのにまだ生きている。藤井弘司としての著書が数冊有り、密かに文学賞を狙ってます(笑)

何と、仕事中のブログ更新です😅

 

僕は猫が大好きだ。


離婚後、探偵調査会社の社宅で暮らし始めたころ、事務の女の子が自宅の前に棄てられていた子猫を飼いませんか?と言ってくれたのがシロとの出会いだった。(彼女の家は動物病院)

数日後、シロは僕の社宅で暮らし始めた。

哺乳瓶にミルクを入れて、シロを手に抱きながら飲ませることから始めなければならないほど、生後まだ間もない子猫の世話は大変だった。

そのころ一緒に暮らし始めた女性が意外にも猫好きだったため、猫育ての労苦は分かち合え、みるみるうちにシロちゃんは大きくなっていった。

シロと言っても女の子で、そんな名前をつけてしまったことを悪かったかなと最初は思ったが、「シロ!」と声をかければ駆け寄って来るので、今さら名前を変えるわけにもいかず、そのまま年月は経っていった。

数年後、同居していた女性と別れたことで、仕事柄数日留守にすることも多かった僕は、離婚した妻の元にシロちゃんを連れて行った。

長男も次男もそして元妻も、おとなしいが愛嬌のあるシロを歓迎してくれ、温かい家庭の元でその後は幸せに暮らすことになる。

そのシロは19年も生きて大往生だったが、元妻は泣き、長男も気落ちしていた。


亡骸は業者に荼毘にかけられ、遺骨の全部を長男が引き取って、大阪の実家に今もある。

このころは亡き妻とは復縁していました
ニヤリ

 


話は変わるが、子供を持つってことは大変なこころの負担が必要なんです。

子供が欲しくても得られなかった、或いは目下は得られていない方々には酷な言い方かもしれないが、自分の子供がこの世に生きているという事実だけで、常に子供のことが気がかりで、ひとつのこころの労苦となっているのです。

男親も女親も関係がありません。

子供がいくつになっても、たとえ三十歳や四十歳になったとしても、子供は子供なんです。

自分の子供とは特別なもので、もし僕の子供がいなかったら、精神的にずいぶんと楽な人生になったことでしょう。

でも、おそらく、普段から傲慢病とまで言われている僕だから、さらに人のこころを分からない、共産国家のイカレ指導者みたいに、好き勝手我侭やり放題の、今にも増してどう仕様もない男になっていたことでしょう。

幸いにも、僕には息子がふたり、そして次のどこかの世界へ行ってしまったシロちゃんがこころの中に常に根を下ろしています。

男親も女親もそれに人間も猫ちゃんも、動物も関係がなく、大切なものとは何かということを考えさせられています。

 

帰国したら息子たちに七年半振りに会いたいと思っています(どんだけ会ってないねんって)

 

 

さて、画像はここ最近の食事です、野菜が多くて嬉しいし、肉も旨くて大満足、そして何と言っても無料なのがありがたい。

 

宿泊施設もダブルベッドに偉そうに寝ているしね~爆笑

 

これは数日前の朝のお粥と揚げパンなど

 

 

 

 

これはベトナム料理コーナーかな

 

 

 

 

これは一昨日の夜食な麺🍜旨かった

 

 

 

 

これもベトナム料理コーナー

 

 


 

 連載小説「歌音のカノン)」は明日の夜に更新予定です、よろしくお願いします🤗

 

 https://kakuyomu.jp/works/16817330654701278794

 

 

 

 

https://www.alphapolis.co.jp/novel/307007263/483733887

 

 

 

 このYouTubeは日本では観れるかな❓こちらでは不可ですけど貼ってみよう😅

 

👍

 

 

また明日か明後日に